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第20話
「いま仕事が忙しくて」
「あ、そうですよね。厚かましいお願いをしてすいません」
腰を直角に曲げて深々と頭を下げられると居たたまれなくなる。まるでこちらが悪いことをしてしまった気分だ。
「じゃあご飯行きませんか?」
「それはちょっと」
(だからこれ以上関わりたくないんだってば)
そう言ってしまったら楽だが、直接的な言葉で天根を傷つけたいわけではない。
目を白黒させていると先程のタクシーに押し込まれ、あれよあれよという間に目的地に着いてしまった。
六本木駅から近い会員制の高級和食屋。全席個室になっているので、芸能人やスポーツ選手などの著名人がよく利用するらしいと車内で説明を受けた。
そんな敷居の高い店に予約なしで入れるものだろうか。
疑問をよそに個室に案内され、気がつけば豪華な料理がテーブルに並んでいる。
「晶さんの料理には敵わないですけど、ここも美味しいですよ」
「さすがにそれはないだろ」
店主が聞いたら激怒するんじゃないかとヒヤヒヤしたが、天根は気にしている様子はない。
今回は天然な役柄なのだろう。
一通り食事を終えてデザートのあんみつを平らげる頃になると、ふと天根に真剣な眼差しを向けられた。
「あの、キリカンになってもらえませんか?」
「……どうして」
「役が邪魔して」
叱られた犬みたいに困った顔は良心を痛ませる。
晶はふうと深く息を吐いて、天根の頭を撫でた。
『おやすみ、クマ吉。明日もいい日だといいな』
天根がまとっていた緊張感がしゃぼん玉のように弾けて消える。
「十年ぶりに役者をやってどうでした?」
「どうと言われても」
「すごく楽しかったでしょ」
確信を持った強い瞳に自分の困った顔が映る。
楽しかった。それは紛うことなき真実で、役に入るあの瞬間は血が騒いで生を実感できた。
返事をしないでいると肯定と受け取った天根はほらね、と笑う。
「晶さんは役者が似合います」
似たようなことを田貝に言われた。
スポットライトを浴びて演技をしているときの高揚感はスーパーで働いているときの虚無感とは雲泥の差だ。
「……そう、なのかもしれない」
認めてしまった。
だから会いたくなかったのに。
「では復帰第一弾はこれにしてみませんか?」
手渡された台本には『それでも、キミが(仮) 』と書いてあり、なかを読み進めていくと頬が赤くなった。
「これってBL?」
「はい。原作は小説なんですけど」
初めて読んだ同性同士のセクシュアリティに気恥ずかしさがありながらも引き込まれる展開ですらすら読んでしまった。
キスシーンや濡れ場もありで、描写は少し過激だ。
けれどそれだけでなく、キャラクターの心の動きが丁寧でどうしてそんな選択しちゃうんだとモヤモヤしたり、二人のやり取りにニヤニヤしたり、感情がジェットコースターのように忙しなくさせられ、目が離せない。
「これを僕が?」
「朝香は俺と決まってて、栗山がまだなんです」
ダブル主演だが、オーディションをしてもこれという人がおらず、もう一度やるらしい。
またとない話だ。自分に務まるだろうか、なんて後ろは向かない。絶対に役を掴み取ってやるとこぶしを強く握る。
「やりたい」
自然と口をついていた。燻っていた思いがパチパチと爆ぜる。
「社長の言った通りだ」
「たが……社長が?」
「俺から言えば受けるだろうって」
「あの人は神様みたいなもんだからな」
「神様ですか?」
天根は首を傾げたが笑って誤魔化した。
「実は暴露しちゃいますけど、このお店を予約したのも田貝さんです。さっき事務所で会ったのも偶然じゃなくて、全部社長の言われた通りにしたんです」
「……そこまで狙ってるとさすがに怖いな」
田貝は神様を超えて、未来予知ができるのだ。そうじゃなかったら説明がつかない。
でも素直になったら胸の突っかかりが消えた。
「じゃあ社長に頼んでみるよ」
すぐに事務所に電話をして田貝に繋げてもらうと「僕の言う通りだっただろう」と笑っていて、なんとなく癪で「自分の意志です」と冷たく返した。
数日後にオーディションを受け、無事に役を勝ち取れた。
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