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第27話

 「なぁ、ずっと気になってたんだけどどうして役に入りきっちゃうんだ?」  天根の笑顔がペンキを塗り替えたように苦しそうな表情に変わった。この手の話題は天根の地雷なのだろう。  でもずっと気になっていることだった。  日常生活に支障が出るほど役と同一になる生活。思考も行動もすべてがキャラクターのものになり、天根の意思はない。本当はやりたくないことでも、役の性格的にやるなら行動しなくてはいけないというジレンマ。  「一度役が抜けると戻るのに時間がかかるんです」  「でも玄関出たら殺人鬼になってただろ?」  「徐々にエンジンをかけていくというか、助走がないと遠くまで飛べないのと同じで、生活の一部にしていかないと身に入らないんです」  「言ってる意味はわかる」  ようは気持ちがのるのに時間が必要なのだ。そういう役者もいるが、日常生活にまで役になる人は聞いたことがない。  「あと監督に指示されたところを忘れないように自分の身体に刻むためでもあります」  「でもそれしんどくない?」  「……楽しくないときもあります」  「それでも役者を辞めたいと思ったことは?」  「ありません」  きっぱりとした物言いに納得した。  そこまでやる気がなければ務まらない。  「じゃあプライベートで恋愛とかは?」  「役者になってからはまったくないです」  ということは役者になる前までは人並みにあったのだろう。やはり経験の差は演技にでる。  天根が恋愛作品に引っ張りだこになるのも無理はない。  「清くんと付き合うんですか?」  「なんでそうなる!?」  「そんな会話、今日してましたよね」  「……断っただろ」  「じゃあ俺と恋人ごっこしませんか?」  「ごっこ?」  「付き合うふりってことです」  確かに天根なら役で恋人になるから仕事だと割り切れるが、だからといって巻き込んでいい理由にはならない。  演技ができていないのな自分のせいだ。  「さすがにそれは面倒かけすぎだろ」  「じゃあいつも家事をやってくれるお礼としてでも」  「事務所からその分金もらってるよ」  「じゃあじゃあ……ちょっと待ってください」  「随分食い下がるな」  天根は眉間の皺に人差し指を当てて、他にいい案がないか考えているようだ。  (やはりそこまでの熱情を向けないとダメだよな)  監督には上っ面な色気と言われた。中身が伴っていないと。  一人で考えてもきっといいものは生まれない。さっきまで一人暗い部屋にいたときも気持ちが沈んでいくだけでなにも解決しなかった。  協力してくれるというなら利用させてもらうのも一つの手かもしれない。  ぱっと天根は笑顔になった。  「俺とだったら四六時中演技できますよ」  さらに天根自身のアピールまで始まってしまい、笑いながら制した。  「わかったよ」  「やった!」  「じゃあルールを決めよう」  「ルールですか?」  「そう。例えば相手が嫌がることはしないとか、このことは秘密にするとか」  「晶さんらしいですね」  こっちは真面目に考えているのに笑われると慣れていないのをからかわれている気分だ。もしかして普通はそういうのは決めないのだろうか。  「でも大事なことだろ」とつっけんどんに返した。  「そうですね。じゃあどこまでなら許されますか?」  「どこ?」  天根に距離を詰められた。  吐息がかかるほどの距離はあのときのキスシーンを想起させ、体温が比例するように上がっていく。  天根の細長い指が自分の手に重ねられる。  「手を繋ぐのは?」  「いい、かな」  「抱きしめるのは?」  「……時と場所による」  「キスは?」  握られた手の甲に天根の唇が落ちる。魅惑的な仕草にくらくらした。  これが色気というやつか。でもここで負けてはいられない。  天根はさっそく色気を引き出そうとしてくれているのだ。  負けじとぐっと顔に力を込めて、唇を上げた。  「天根次第かな」  「その表情すごくきました」  「よかった。ありがとう、付き合ってくれーー」  唇が重なる。  触れるだけの唇はすぐに離れ、そしてまた重なる。次第に僅かな隙間を縫うように舌が入ってきた。  ねっとりとした舌は勝手知ったる我が家のように咥内を蹂躙し、歯列をなぞりながら甘く吸われた。お互いの唾液を躊躇わず飲み込む天根に心臓が騒いで痛い。  キスだけで官能を呼び起こさせられ、腰を引いた。そこが反応してしまっているのを知られるのは恥ずかしい。  ゆっくりと唇が離れるのを眺めていると天根の目尻が赤く染まっている。それもまた興奮剤のように昂らされる。  「名残惜しい?」  「なんで」  「まだ足りないって顔してる」  天根の言う通りだった。  興奮冷めない身体は甘い熱を求めている。  (これ以上はまずいんじゃないか)  でも仕事上必要なこと。  色気を知るために大切なこと。  言い訳を並べれば並べるほど、自分が天根とキスをしたくて堪らないのだと知る。  天根の服の裾を引っ張ると察してくれた勘の良い彼氏(仮) は再び唇を重ねてきた。

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