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第30話
翌朝の目覚めは最悪で、頭蓋骨をドリルで削られているような痛みがあった。身体も重たくダルい。直感で風邪だとわかったが休む選択肢はない。
なんとか起き上がり朝食を用意する。掃除、洗濯と決まったルーティンをこなすが、動くのが辛く、いつもより時間がかかってしまった。
その様子を見ていた天根は何度も手伝うと声をかけてくれたが、頑なに固辞し続けてどうにか最後までやり遂げられてほっとする。
それでも撮影が始まると体調の悪さが嘘のようになくなった。
扇情的に栗山という男を演じる。
世間の目が怖くて離れたくせにその恋を忘れられない情けない男。寂しがり屋で色んな男を惑わせて欲に溺れ、落ちていく。
けれど奇跡的に再会を果たし、不器用ながらも前向きになっていくのだ。
(栗山の良さもダメさも一番知っているのは僕だ)
栗山の妖艶さを限界まで引き出して、引き出して、これ以上ないくらい引っ張って。机の引き出しを限界まで引っ張ると取れてしまうようにぷつんと意識がそこで途絶えた。
額に冷たいタオルの感触で目を開けると形のいい眉を寄せた天根と目が合った。
「大丈夫?」
「冷たくて気持ちいい」
「熱があるから」
「誰が?」
「それがわからないくらい具合いが悪いってことだよ」
身体の表面は火照っているのに内側が寒い。頭の奥がズキズキ痛み、膝を曲げるのも辛いほど関節が痛いてくぐもった声を漏らした。
天井や周りの景色を見てここが晶の楽屋だとわかり、撮影中に倒れたのは明白だ。
「撮影は?」
「いま俺たちがいないシーンを撮ってる」
「そうか、すぐ戻らないとな」
「熱あるからゆっくり休めよ」
「これくらい平気だ」
熱があろうが脚が折れていようが受けた仕事は最後まで全うしなければならない。それがプロの定めだ。
完璧が当たり前の世界だから、百パーセント以上の力を発揮しないとすぐに見捨てられる残酷さと隣り合わせだ。
「晶」
低い声にびくんと肩が跳ね、恐る恐る顔を上げると扉の前に田貝が立っていた。
「天根くん、席を外してくれるか」
「でも」
「これはお願いじゃなくて命令だよ。雇用主の言うことは聞いてもらわないと」
貼りつけられた笑顔は背筋が震えるほど怖い。田貝が怒っている。撮影中に倒れて完璧じゃないからだ。プロ失格だと罵倒されるかもしれない。
天根がどうすればいいのかとこちらに視線を寄越した。
「大丈夫だから。外で待ってて」
「わかった…… 」
田貝と二人きりで残されると室温が下がったような気がする。
なんとか上半身だけ起こして、田貝の方へ身体を向けた。
「すいません、迷惑かけて」
「本当そうだよ。監督、スタッフ、共演する役者みんなに多大なる迷惑と心配をかけた」
「その通りです」
ぐぅの音もでないほど真理をついている。どれだけみんなの時間を奪ってしまったのか、考えるだけで頭が上がらない。
「熱を出したのは姉さんが死んでから初めてだな」
「そう……でしたっけ?」
「少なくとも僕の前ではいつも元気に振る舞っていたよ」
振り返ればどんなに具合いが悪くても田貝に悟られないようにしていた。家事を完璧にこなし、学校へ休まず通い、学業もそれなりの成績を残してきた。
そうでもしないと自分の存在の意味がない。
役者の仕事もできないただ飯くらいの若造は田貝の足枷にならないように毎日必死だった。
その習慣がいまも染みついている。
完璧でなければ必要とされないと。
「熱を出したって聞いて驚いたけど、同時にほっとしたよ」
「どうして?」
「それだけなにふり構わず頑張ってるんだなって」
「でも結局現場のみんなに迷惑かけてる」
「それはこっちでフォローしとくから大丈夫」
「ありがとうございます」
「そこまで完璧にこだわらなくていいんじゃないか?」
田貝の言葉に目を丸くした。
「だって役者は完璧でいないと作品に悪い影響がでます」
「綻びがあるほうが人間らしいだろ」
「人間らしい」
それはつまり自分が人間らしくないということだろうか。田貝の言葉の意味を理解したいのに頭が痛むので思考がまとまらない。
「今日はもう帰ってゆっくり休みなさい」
髪をくしゃりと撫でられて強張っていた気が緩む。怒られると思っていたのに逆に安心させてくれ気が緩み、再び眠りに落ちた。
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