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第37話
「俺が役でキスしたと本気で思ってるんですか?」
「おまえがそう言ったじゃん」
「そうですね。そうでした」
天根は前髪を掻きあげて口元を綻ばせた。
「なんでそんなに怒ってるんですか?」
「別に怒ってない!」
大声を出してしまい周りの視線が集まった。
二人共帽子とサングラスで顔を隠しているが、天根の大きすぎる背と金髪は否が応でも目立
つ。
案の定、黄
色い声が響いてしまった。
「場所変えましょう」
腕を引っ張られ、人混みを縫うように走る。スマートフォンのシャッター音が聞こえ、顔を
隠した。悪いことをしているわけではないのに芸能人というだけでプライベートを晒してもい
いと思われる。
子役時代にはなかった文化で、気をつけるように田貝や葛西に言われていたのにすっかり忘
れていた。
(SNSで晒されてしまうかも)
あとで田貝に連絡しといた方がいいか。でもなんて言う? 二人で映画観て買い物していた
だけで傍から見れば仲の良い先輩後輩だ。
恋人ごっこをしていたなんて誰も思わないだろう。
後ろめたさは影のようにまとわりつく。この感覚はキリカンとして見られていたときと
似ていた。
なにも知らない人から見たものが全部真実だと声たかだかに言われる。そういう世界だ。
いつのまにか繁華街を抜け、東京湾が一望できる公園に着く。ここだけクリスマスムードと
は程遠いさびれた雰囲気のせいで人がいない。
「……天根はこの関係を続けたい? それとも終わらせたい?」
天根に決定権を委ねるのは卑怯だが、自分で決めて拒否されたら耐えられない。だから人か
ら傷つけられた方が慰めやすいと思った。
神の裁判を待つ罪人のような気持ちで、答えを待っていると高く昇った月を見上げながら天
根は口を開く。
「終わらせたいです」
その言葉は深く傷つけてくるのに不思議と心が凪のように静かだ。
天根は役でしか自分を見ていない。撮影も終わったいま、恋人ごっこをする意味がないということだ。
「……わかった。じゃあ寮も出ていくな。元々そういう約束だったし」
晶のマネージャーを葛西が兼任してくれていたということもあり天根の住
む寮に居候させてもらっていた。
だが撮影も終わり、明日から別々の仕事が始まる。正式に別のマネージャーも決まり一緒に住ん
でいる理由はもうない。
恋人ごっこは今日限りだ。
役作りの一環だったけれど天根と過ごすのは楽しかった。田貝にすら見せなかった醜態を受
け入れて貰えて、先輩後輩じゃない確かな絆があると少女漫画の主人公みたいに自惚れていた
のかもしれない。
失恋の痛みは想像よりもずっと痛い。胸が痛むなんて生優しいものじゃない。内蔵を絞られ
て出てきた血をコップに集めて飲ませられ、不味いと泣いている気分だ。
込みあげてくる熱いものを唇を引き結んで耐えた。ここで泣くのはみっともない。そんなの
告白と同じじゃないか。
「……本当の恋人になって欲しいんです」
悲しさのあまり都合のいいように聞き間違えたんだろうか。
じっと見上げると天根は首の後ろに手を置いて、首を傾げた。
「晶さんのこと本気で好きなんです」
「なにその冗談」
「役なんて関係なく、晶さん本人が好きなんです」
「さっきは自分がわからないと嘆いてたじゃないか」
「でも晶さんといると素の自分になれて肩の力が抜けるんです。天根尚志が帰ってくるんで
す」
それは都
合のいいように解釈しているのではないのか。
けれど揶揄できなかった。天根の鋭い眼光が嘘ではないと切実に訴えてくる。
あまりの強さに怖気づいてしまうほどに。
「僕は人付き合いも避けてきたから嫌な思いさせるよ」
「俺も得意とは言えないですけど善処します」
「付き合ったことがないし、そもそも人を好きになったことがないから過ごし方がよくわか
らない」
「俺も誰とも付き合ったことないですよ」
「前に芸能界入ってからないって言ってたからてっきり学生のときにあったのかと」
「見栄くらい張らせてください」
目を丸くして訊き返してしまった。あれだけ王子だ恋人役だと演じてきたのにプライベートで付き合ったことがないのは意外だ。
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