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第55話
双方の事務所が否定しても火に油を注ぐように燃え広がり、なかなか沈静化しなかった。
ここまで炎上するのは小城が人気アイドルだからだろう。アイドルは清廉潔白でなければならないという偶像を背負っているが故に代償は大きい。
ドラマ放送後は小城と晶の演技に対しての批評ばかりがSNSで書かれ、誰も本編を観てくれていなかった。
批判を受け、小城とのシーンを削るよう脚本も変えられ、バディものなのに本末転倒になってしまった。楽しみにしてくれていた視聴者の期待に応えられず歯痒い。
スタジオで台本を読んでいると衣装を着た小城がふらふらと歩いているのが見えた。この数日でだいぶやつれてしまい元気がない。
「お疲れ様。今日もよろしくな」
「はい、ご迷惑おかけしないように頑張ります」
少し話しているだけなのにスタッフたちは色眼鏡で見ている。やっぱり付き合っているんだろという顔をしていた。
その空気を敏感に察した小城は怯えたように周りを窺がっている。
「これよかったら」
天然素材のオーガニックで有名なインスタントスープの詰め合わせの紙袋を取り出した。小城は一瞬ぱっと表情を明るくしたが、すぐに首を振った。
「せっかくですが、またなにか言われたら」
「わかった。じゃあマネージャーに渡しておくな」
「すいません」
頭を下げて小城は楽屋へ向かってしまった。
撮影が終わり、寮へ帰るときも乾と一緒にタクシーに乗る。寮の近くには大きなワンボックスカーやテレビ局の名前が書かれた車がずらりと並んでいた。
それを見てぞっとした。
どれだけ追い詰めれば気が済むのだろう。これだけ見張られていたら普通の生活もできない。
タクシーを降りると乾が窓から顔を出した。
「明日も迎えに来ますから」
「わかった。面倒かけて悪い」
「大切なタレントを護るのが仕事ですから」
「仕事熱心なことで」
「負けないでください」
乾の言葉に圧倒された。もしかして応援してもらっているのだろうか。ずれた眼鏡を直して乾は続ける。
「マスコミの言葉に惑わされないで、南雲さんは南雲さんの仕事をしてください。私はそれを全力で守ります」
守れなかったですけどね、と自虐をこぼした。
「ありがと。頑張るよ」
「ではまた」
滑らかにタクシーは走り出し、マンションに入った。
掃除をする余裕もなく、ごみは散らかり四隅にはホコリが溜まっている。家事をやらなきゃと思うのにそんな気力が起きないほど心は疲弊しきっていた。
玄関を開く音が聞こえ振り返ると天根がビニール袋を下げて立っている。
「晶さんの方が早かったんですね」
「僕もいま帰って来たばっか」
「じゃあタイミングがよかった。今日はカツカレー買ってきました」
「ありがと」
天根は毎日食事を調達してきてくれ、慣れない家事をやってくれようとしているが、ごみの分別はできないし、洗濯物は色柄ものを一緒に洗ってしまうので何枚か洋服がダメになった。
元々家事が苦手で晶が呼ばれていたので仕方がない。
「事務所に頼んで明日からハウスキーパーさんに来てもらうことになりました」
「……なんでそんな勝手なことするんだよ!?」
「晶さんも疲れてるでしょ? 家のことはいいので、仕事に専念してください」
「僕から仕事を奪うのか!」
天根は目を大きく見開いたまま固まってしまった。
「僕はできる! やればできるんだ!」
途中から自分でもなにを言っているのかわからなくなっているのに涙が込み上げてきて、嗚咽を漏らしながら叫んだ。
僕はできる、大丈夫、頑張れるから置いて行かないでーー
「晶さん!」
肩を掴まれて顔をあげると天根と目が合い、頬に一筋の涙が伝っている。
「ゆっくり息を吸ってください」
「ふぅ、はぁ……」
「上手です。大丈夫ですよ」
背中を擦られようやく自分が過呼吸を起こしていたのだと気づいた。酸素が血液にのって全身に行き渡る。
「落ち着きました?」
「……悪い。取り乱した」
「俺がついてますから」
抱きしめられる腕の強さにほっとした。力が抜けると涙がとどまることなく溢れてくる。
「完璧こそが南雲晶なのに」
スキャンダルなんて汚点がついてしまった。事実ではないにしろ、世間では小城と付き合っているとずっと思われ続ける。それが嫌だ。
「完璧って疲れませんか?」
なにを言い出したんだと首を傾げる。
「仕事も家事も俺が口を挟む隙がないくらい完璧も魅力的ですけど、弱ってる方が人間らしくて好きです」
「こんなのが?」
「はい」
頬に手を添えられて上を向かされる。天根は慈しむような眼差しをしていた。
「スキャンダルに落ち込み、世間の声に傷つく晶さんはとても人間らしくてやっと手に入った気がする」
「そんな大袈裟だな」
「いままで晶さんはプログラミングされたロボットみたいでした。朝起きて家事をして仕事をして、帰ってからもご飯作ったり掃除をしたり」
「……完璧じゃないと不安なんだよ」
両親が亡くなり田貝の家に世話になったときも完璧に家事をこなし、自分の存在を主張しようとしていた。
勉強も演技も家事もすべて過不足なく誰もが認めるほどこなしてこそ南雲晶というブランドを、両親が大切に育ててくれた自分を守れるような気がしていた。
でもその超人離れした努力が人を寄せつけなかったのだろう。
なんでもできる人間には誰も共感はできない。親しみがあるほうが人は魅力的に映るのだ。
天根や清のように血や汗の匂いがわかるような人物にみんな心動かされるのだろう。
(そうか。こんなにも感情が動くのか)
感情が揺れるのはなにも恋愛だけではない。怒り、悲しみ、喜びだけに心は動く。
いままた自分のなかに新たな息吹が芽生えようとしていた。
「提案なんですけど、SNSやってみませんか?」
「そんなことしたらアンチはこぞって書くだろ」
「それでいいんですよ。ちゃんと今回のことを謝罪して、世間に誤解だと言う。そしたらあとはいつも通りの晶さんを見せればいいんです」
「そんなんでいいのか?」
「きっとそういう晶さんを見たい人って多いと思いますよ」
今回の件は事務所が声明を出したので晶自身なにも伝えていなかった。それもあって余計に世間は騒ぎ立てていたのだろう。
事務所に相談すると怒られるのが明白だったので、フリーアドレスを取得しアカウントを作った。
そして今回のことを詫びた。
その投稿は瞬く間に拡散され、事務所から電話がきて田貝にこっぴどく怒られた。
心無いコメントも多かったが、応援してくれる言葉も同じくらいある。
嬉しさと苦しさが同じところにいるのが不思議だった。人の言葉一つでこんなにも気持ちが天国に行ったり地獄に落とされるものなのか。
でもそばにある温もりに支えられ、目が合うだけで幸せに浸れる。
芯が強くなるとなにも動じなくなるのだと初めて知った。
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