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第58話
葛西から天根はしばらくホテル暮らしをすると教えてくれた。野宿するわけではないことにほっとしつつも、ホテル暮らしで役を抜く時間はあるのだろうかと心配になる。
でもこちらから声をかけたら怒らせてしまうかもしれない。
一人になり天根が残した言葉の意味を考えていた。天根がソラの仮面を被らずにいたら好きにならなかっただろうか。
答えはノーだ。
天根だから好きになった。
自分を追い詰めてしまうほど役に向き合っているところや家事ができない不器用なところ、カッコいいところも目が離せない。
好きなところをあげたら一日は語れる。
でも一番は晶のことを最初からキリカンとして見ていなかったところだ。
初めて顔を合わせたときから天根は晶として接してくれ、キリカンの影に隠れていた晶自身をずっと見てくれていた。
ソラにならないといけない、でも本当は違うというジレンマに苦しみながらも世間が求める
天根尚志でいることを己の宿命のように背負っているからこそ、苦悩を理解してくれた。
自分と天根は似ている。
だから今度は支えたい。そばにいたい。
ではどうすればいいのだろう。
頭を悩ませているとスマートフォンの着信が鳴り、通話ボタンを押した。
『落ち着いて聞いて』
田貝はどこか興奮した声を抑えようとしているのに鼻息が荒い。なにかあったのだろうか。
『『それでも、キミが』が日本アカデミー賞にノミネートされた』
「本当?」
「さっき電話がきたんだ。間違いない」
まさかBL映画がノミネートされるとは思っていなかった。上映会場は増えたとはいえ、全国区の作品に比べると少なく、世間一般の認知度も低い。
それでもノミネートされたということはそれだけ作品に魅力があったということだ。
スマートフォンを握る手に力が入る。
「発表は春ですよね」
『そう、もうすぐだからその日は予定空けるように乾くんにも伝えておくから』
「わかりました」
電話を切るとじわじわと現実味が帯びてくる。ノミネートされるだけでもすごいことだ。
日本映画は一年で六〇〇本以上公開される。そのなかでノミネートされる数は絞られ、かつ賞を取れるのなんて数本しかない。
主演、助演賞も男女一人ずつなので何千人いる俳優のなかの栄光を手にいられる確率は天文学的に低い。
これしかない。
天根に電話をかけようとしたが辞めた。この気持ちは電波に乗せて語るものじゃない。
そう思うとやる気が出てきた。
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