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第5話 祭りは楽しまなくては
「ここ何区?」
「六区です。面積が一番大きいのがここでさあ。まあほとんど森ですがね」
緑が多い、憩いの場。
お金持ちやオシャレさんが多い四区から出たおかげか、すごく気が楽になった。
広い面積を生かし、出店などがずらりと並んでいる。縁日のような雰囲気だ。
ヒトでごった返しているが、温羅の周囲だけ一定の「ヒトがいない」空間が出来上がっている。ヒトが多いため維持隊は配備されているが、精鋭部隊の玉蘭は王の護衛。維持隊の実力者は一~四区に。五区以降はその残り、新入りなどが混ざった人材しか回されないのを、市民や観光客は知っているからだ。
快適なので、フリーは温羅の背中にぴったりとくっついて歩く。ヒトとぶつかるのを気にしなくていいというのは、楽でいい。ニケははるか高みから悠々と店を眺める。
ぐぎゅるるるるる~。
漂ってくる香ばしいにおい。すさまじく腹が減った。
フリーは腹を押さえる。
「米が食べたい……」
「僕は魚が食べたい」
「我は肉がいいですね」
遠くを見ようと踵を上げ、フリーはつま先で立つ。
ニケは瞬時に「そんなことしたら転ぶぞ」と言いかけたが、しっかり温羅の肩に両手を乗せているので、大丈夫だろう。大丈夫だといいな。
「米と魚と肉が同時に食べられる店はないかな?」
温羅は冷めた顔でははっと笑う。
「そんな都合のいいものがあるわけ――」
からんからんと鐘の音がする。
「向日葵豚の足と魚の尾がはみ出ている丼! 全部食べきれたら料金タダ! しかも賞品もあるよ。さあさあ、参加するヒトは、いないかなっ?」
やたら裾が短いハッピ、胸にサラシを巻いた元気そうなお姉ちゃんが、手持ちサイズの鐘を振って客寄せをしている。
「タダだってよ!」「ばか、やめとけ。完食で来た奴はいないって噂だぞ」「しかも完食できなかったら、倍の料金を取られるときた」
体格自慢の兄貴たちが、参加するかどうかを真剣に話し合っている。
「「「……」」」
温羅の足が、そちらにふらふらと吸い込まれていく。
「温羅さんっ? どこ行くの?」
「参加する気か?」
「完食――――っ! 優勝は鬼のお兄さんです!」
わあっと観客が沸く。
「おおー! 食い切りやがった」「鬼ってあんなに食うのか。こええな……」「気持ちのいい食いっぷりだったぜ!」
空になった丼を見せつけるように掲げ、温羅は両腕を上げて、天を仰ぐ。
喝采が一段と大きくなる。
悔しそうな顔をしつつも、ハッピのお姉さんは勝者を称えて手を叩く。
「「……」」
最前列で見守っていたフリーとニケは目を点にして、拍手しておく。
温羅の他に参加したのは三名。
二人は半分ほど食べたところで放心し、一人は丼に顔を突っ込んで気絶している。
まず丼の大きさからしておかしい。一メートルはある丼に向日葵豚――最高ランクの豚――一頭丸まる。塩焼きにされた大魚が三尾。ふっくら炊かれた雑穀米(一人十二合)に埋もれていたラスボス、味の染み込んだブロック肉。
その全てを、温羅は食べきった。
フリーは頬をぽりぽりと掻く。
「いやあ、すごいね」
「おかしいだろ。一人だけ箸使ってなかったぞ」
「いただきます」もせずに丼を掴むと、ずごごごごっと流し込んでいく。大飲み大会だったか?
空になった器の前で「ごちそうさま」はしていた。星影と逆だな。
ハッピのお姉さんが賞品を持ってくる。
「おめでとうございます。賞品の『向日葵豚肉十キロ』を差し上げまーーす」
この辺だけ静まり返った。
お肉をたらふく食べた後に渡される賞品がお肉。賞品なのか嫌がらせなのか、ぎりぎりのラインだ。受け取る側が嫌がらせだと感じたら……
観客が一歩一歩下がっていく。ハッピのお姉さんも、顔面汗まみれだ。それでも商品を差し出す腕を引っ込めないのは、根が真面目なのだろう。固まっているだけかもしれないが。
フリーはいつでも呼雷針を呼べるよう意識しつつ、成り行きを見守る。
温羅はさらっとお肉を受け取った。
「おお。腹が減ったからおかわりをしようと思っていたんでさあ。ありがたく頂戴しやす」
静寂の静霊がお菓子を食べながら通過した。
「青真珠村からの出張出店」を見つけたので、ニケとフリーは焼き天を頬張っていた。
「うまい」
「また食べたかったんだこれ。美味しいねー」
出店エリアから少し離れた飲食スペース。
全然涼しくならない夏の風を感じながら、長椅子に並んで腰掛けている。飲食スペースは満席だったが、温羅が近づくとこの席に座っていたヒトたちが一斉に逃げたので、ありがたく座らせてもらっている。
「もぐもぐ」
(可愛い……)
飛駕籠(とびかご)で食べた時は、ニケはずっと着物の中だった。勿体ないことをしたと思う。両手で持ったおむずびを齧っているニケというのは、世界中の賛美の言葉でも足りないくらい存在に感謝したくて可愛くて尊かった。
小さな両手でおむすびを持ち、咀嚼するたびに膨らんだ頬がもきゅもきゅと揺れる。
「フリー? なんで僕を拝んでいるんだ?」
「生きてて良かった……」
こやつが泣いているのはいつものことだとニケは相手にしなかった。おむすび美味しい。
「我が君。お肉食べますかい? 上手に焼けましたぜ?」
その近くで、焚き火で肉を焼いている鬼。
見ないようにしていたが、声をかけられたので振り向く。
串に刺さった、薄く切った肉を差し出していた。
「……」
何も言わないということは、このまま食べろと言うことなのだろうか。せめて皿と箸を用意してほしい。冷まさないと口の中が大変なことになる。
「……遠慮しておくよ」
「小食なんですね」
「君の一か月の食費を聞くのが怖いよ」
「はあ」
がじがじと分厚い牙が肉を齧る。
「俺って小食なのかな?」
「おい。リーンさんや後ろのブラックホールを基準にするなよ?」
「温羅さん。隣おいでよ」
「いえ」
肉塊をぺろっと平らげた温羅は頑なに座ろうとしなかった。椅子が壊れた経験でもあるのだろうか。
フリーは立ち並ぶ出店を眺める。
「なんか。羽梨の出店とはまた違うね。あっちは大きな番傘……だっけ? を使っていてかっこよかったのに」
こちらは四方に建てた棒に大きな布を括り付け、屋根とした簡素なものだ。無いよりマシだが、雨が降れば雨漏りしそうである。その前に、屋根がない出店すらある。
ニケは白い腕を引き寄せると、フリーの醤油漬けマッグロ焼き天を一口齧った。むむ。マッグロ焼き天の方が好みだな。
「うまうま……。そりゃ、あそこは四区以上に景観と神に気を遣わねばならん神域だぞ。おんぼろ出店など並みの心臓じゃ設置できんわ」
椅子から落ちたフリーに構わず、ニケは自分の焼き天を平らげる。
「我が君っ?」
急に落ちた主を、焦った鬼が拾っている。
主を椅子に座らせる。フリーは尻をずらしてニケのすぐ隣に落ち着く。
死守したおむすびを口に押し込むと、帽子をニケの頭にかぽっと被せた。
「?」
帽子を被ったニケがぽかんと見上げてくる。大きいのか帽子が少しずれていて、意識が遠のきかけた。後ろに倒れかけた青年の背後に立ち、温羅が微妙な顔で支えている。
「かわいい……。可愛いしか言葉が出ない」
「なんだ急に。帽子被った僕を見たくなったのか?」
前触れなく現れた白い髪に、周囲がざわっとなる。
「……」
温羅がじろっと睨むと通夜のような空気になった。
楽なので温羅にもたれながら、フリーは頭を押さえる。
「思ってた百倍帽子ニケが可愛くて気絶しかけたけど、なんか、帽子被ってるとなんか……頭が痛い? みたいな」
「お前さんがオキアミなのはしょうがないとして。帽子程度の重さにも耐えられんのか?」
「重くはないよっ? ……ただ、なんか違和感があるというか、とにかく嫌」
「ふむ? お前さん、麦わら帽子や笠の時は何も言わなかったじゃないか」
「麦わら帽子の時は……海に興奮してて忘れてた。笠の時もつらかったけど」
「はあ?」
ニケは白い頬をぎゅっと掴む。
「なんですぐに言わないんだ。怒るぞ」
「え? え、えっと……」
あれだけすぐに言うように伝えていたのに、僕の教育は無駄だったのかと保護者は額を押さえたくなった。
「勝手な推測ですけど。我が君は辛いことに対して、我慢する以外の選択肢を知らないんじゃないんですかい?」
「え?」
見上げてくる赤い瞳に、温羅は楽しかった出来事を思い出すような顔つきになる。
このがきんちょを殺すと言った時の我が君の反応。押しつぶされんばかりのストレスからくる力の解放、つまり覚醒だった。
いままでは辛いことは我慢すればよかった。我慢できたのに、我慢できないことに襲われたゆえの爆発。
対峙した温羅からはそう見えたし、実際そうだろう。
(我が君、がきんきょのことめちゃんこ好いてますからね)
「むう……」
確かに。フリーの境遇を思えば不思議ではない。
それに翁のところにいると、肌が弱くてやわらかい着物でないと着られない、という患者さんもいたのだ。敏感肌やアトピーなどというらしい。綿や絹(シルク)が良いとおっしゃっていたが、綿はともかく絹(シルク)など超高額。竜宮城の乙姫くらいでないと身につけるのは難しいだろう。
なので、蚕(かいこ)精霊にお願いをして拵えて……話が反れた。
「じゃあ、この帽子は僕が被っておくか。嫌なことは誰にでもいいから、言うんだぞ?」
「ありがとうございます」
ありがとうございます、じゃねぇ。話聞いているのか。まあ、僕が可愛いから仕方ないか。
ずるっ。
「むむっ。でも、ずれてくるな。耳用の穴が空いてないし、大きいししょうがないか」
「くっそ……。可愛いなくっそ……」
歯を喰いしばって泣いている変人は置いておいて、もうちょい出店を楽しみたい。
「おい。腹ごしらえは済んだし、遊びに行くぞ」
「おーっ」
「……おー」
気合いの入っている声と入っていない声が青空に咲いた。
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