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第20話 希望など
ホッと息を吐く。
「なんだ。脅かすな」
「もういいのか? お前、死んでたんじゃないのか?」
「他のやつが……なんかライムが、なんか、してるって言ってたらら」
ふらついているし、呂律も回っていない。牢番の近くまでくるとばたんと倒れる。
「おい。大丈夫か?」
「寝てろよ。むしろなんで歩けるんだお前」
一人が起こそうとして、いやこれ寝かせておいた方が良いなと、伸ばしかけた手を引っ込める。
しかしラブコは起き上がった。産まれたての小鹿の以上に、足をがくがく震わせながら。
「りゃ、りゃいむは?」
ライムは情けなくて駄目でどうしようもない奴なんだ。俺が側にいてやらないと。
その一心がラブコを動かす。
「ライムなら檻の中だぞ? ヴァンリ様に仕事を任されてな。寝てろってお前……」
「よ、ようしゅ(様子)見てくる」
あいつが一人で仕事なんて、出来るわけがない。掃除飯炊きといった家事ならともかく。
ふらふらと歩き出す。ぶつかりそうだったので牢屋への戸を開けてやる。
「うお~い。やいむ。生きてるか?」
「あ、兄貴!」
予期せぬ兄貴の登場に大口を開けている。蛇なだけあり、口がどこまでも開く。スミは離れながら「うえ。増えた」と顔を歪ませる。
ライムの笑顔を見て確信する。やはり困っていたんだな。俺が、俺が代わってやらないと。
「何故ここに……?」
「お、お前こそ。なひ(何)やってんだ?」
「大兄貴がこの兎を…………しとけって」
「なんて?」
世界が回っている~と言いながら壁や檻にがんがんぶつかっているので、ライムは兄貴を一旦座らせる。兎が怪訝そうな顔で見てくる。
兄貴の顔を見ると一気にほっとした、考えてみれば今まで一人で何かしたことがなかったからか。
「座りましょう、兄貴」
「仕事なら、手伝うぞ……」
顔が真っ赤で全身酒臭いし口からは舌がだらりと出ているが、こんな時まで自分を想ってくれている兄貴に、ライムは胸の前で拳をぎゅっと握る。
このまま兄貴に縋ってしまえば、どんなに楽か。
(ほら。縋りついてこい)
兄貴はよろよろと手を差し出してくる。弟がこの手を取ると、分かり切った顔で。
(お前はそんな立派な蛇じゃない。無理するな)
(でもそれじゃ駄目だ……)
ラブコに頼って、それで一人で仕事をこなせたと言えるだろうか。胸を張って自信がついたと思えるか。ただでさえ自己肯定感が低いのに、
(自分を嫌いになってしまう)
三つ編みが揺れるほど、首を振る。
「いえ。自分で……ひとりで大丈夫です。兄貴」
「………………え?」
赤い顔が引きつる。
今、ライムは何と言った?
追い込まれるとヒトは変わる。変わろうと足掻く。初めて一人で仕事を途中までできたライムはそれの途中だ。
だが、ラブコには理解できなかった。いや、したくなかった。
手を取らなかった弟をまじまじと見つめる。あれは本当に、ライムなのか。
ふいっと兄貴から離れ、兎の青年に向き直る。
「すいません、中断して。続きをしますね……?」
クソみたいな奴らに犯されたというのに、スミは微妙な心地だった。不吉な自分は誰かを抱くことも抱かれることもないと、諦めきっていたから。とはいえ感謝の念など湧くはずもないが、恨みの炎が燃え上がることはなかった。
「――はあっ……はあ、……はぁ」
汗や涙や白濁色の液やらでどろどろに汚されたスミが石畳の上に転がる。着物は乱れに乱され、腕を通しているだけの有り様。何も考えられない頭で、ぼうっと天井を見つめている。
「……疲れました」
その横で、肩で息をしているのは三つ編みの男だった。自身の乱れた着物を直しながらへたり込んでいる。
「まあ、初めはこんなもんだろ」
置物と化していた桜羽織の蛇が途中から乱入してきた。退屈だったのか、もたもたする弟に見てられなくなったのかは分からないが。おかげでスミは声が枯れるほど喘がされた。
枯れ木男はものすごく葉巻を吸いたそうな顔で、よく頑張ったなと弟の背を叩く。兄貴に褒められたと汗がにじんだ顔を喜ばせるライムだが、ラブコは少しだけ寂しそうだった。
(これで私は、一歩前に進めたんでしょうか……?)
進んだのか、はたまた後退したのかすら分からない。それでも達成感と心地よい疲労に包まれていたかったのに騒がしい大兄貴が入ってきた。
「やあやあ! どうだったかなー? ライムちゃ――……なんでラブコがいるの?」
「なんだ。大兄貴か」
「大兄貴……」
「ふたりしてなにそのテンションは。俺が入ってきたらもっと喜びなさいよ」
ヴァンリは鼻をスンと動かす。
「すっげえ精液のにおい」
「……」
顔を赤くしたライムが葉巻を探しているラブコに縋りつく。兎がなかなかに生意気なので何度も何度もしたのだ。においも充満しているだろう。風通しの良い部屋ではないので仕方がない。兄貴の羽織を引っ張り、顔を隠してしまう。独り立ちモードは切れたようだ。
ヴァンリは腰を曲げて商品を見下ろす。
(とろけた顔してんな。さてはライムちゃん、前戯もしっかりして相当優しく抱いたなー? 悪の組織の人間がそんなんでどうするのよ)
ちょっと呆れたが、ライムにしては大きな一歩だっただろう。ここはほめて伸ばす場面だと大兄貴は判断した。
ぐっと親指を立てて末弟に突き出す。
「よくやったね、ライム。大兄貴は信じてたぞ?」
「っ、大兄貴……」
潤んだ瞳が見上げてくる。わあ、可愛い。すっごい虐めたい。
「……どの口が言ってんだ。あ、大兄貴。葉巻持ってます?」
白けたラブコが壁にもたれる。わあ、すっごい殴りたい。お前にやる葉巻はねぇ。
「……ほら」
お高めの国分葉たばこを一本、放り投げてやる。ラブコは目を丸くしたが、遠慮する子ではないのでしっかり受け取った。
「……よろしいんで?」
「どうせライムの手助けをしてくれたんでしょ? その褒美だよ、褒美」
ラブコは火を探しながら首を振る。
「あ、いえ。俺は何もしてません。ライムが頑張ったんです」
「………」
兄貴の言葉に、ライムが口を開けて固まっている。じわじわと涙が滲んできているので、よほど嬉しかったのだろう。大兄貴が褒めた時より嬉しそうなのはあとで尻叩くとして。
ヴァンリは手を伸ばす。
「そうなの? へえ……。じゃあ、ラブちゃんに褒美を渡す必要はないね?」
「ちょ、触らんといてください俺の葉たばこに」
「返せコラ」
「火ぃ持ってませんか?」
「持ってないわ!」
取っ組み合いをする兄貴たちをなだめようか悩んだが、ライムの腕力では止められない。そそそっと兄貴たちから離れ、ハンカチを取り出すと兎の肌を拭いてあげようとした。
それを見た大兄貴がラブコの頬を引っ張りながらやめさせる。
「そんなことしなくていいよ。そのまま放置するし」
「え? ……さすがにそれは、かわいそうなのでは?」
「あのお方の趣味だよ、趣味~。俺もちょっとわかるよ? 汚れていて惨めな子ってそそるしさぁ」
うんうん頷くヴァンリの手を払いのける。器用に鱗を避けて摘まんでくるので赤くなった。
「趣味悪いですね」
「あんだこら? ライムとセックスしないと出られない部屋に閉じ込めるぞ」
「………」
なんだその恐ろしい部屋は。
ライムは胸の前でハンカチを握る。
「で、でもちょっとくらい……拭いてあげた方が」
いつもははいはい言うことを聞く末弟が食い下がってきた。ヴァンリはライムの前でしゃがむ。
「どうした? この兎に情が湧いたとか、言わないよね?」
「………その、美味しかったんで、つい」
末弟の言葉に思わず真顔になった。もしかして俺は、危ないことをしたのだろうか。あの方へ送る大事なものなのに、ライムがごちそうさま(丸呑み)している可能性もあった、ということか。いやまさかこの場面で食欲が勝るなんて思わないじゃん。
俺が真面目に考えてるのにこの兄弟は、「火、ある?」「ないです。火事を起こすと極刑なので」とどうでもいい会話をしている。
もう一回頬を引っ張ってやろうかと思ったところで、背後の戸が開いた。
「はぁい。カワイ子ちゃんたちぃ? 進捗はどう?」
「ボス」
真っ先に立ち上がったのはヴァンリだった。酔いが抜けたラブコもすぐに立ち、ライムは立てたがその場に倒れかけた。
「こ、こんなに疲れるんですね……」
「空になるまで出すからだよ。童貞のクセにがっつきやがって」
首根っこ掴んでラブコが立たせているから放置でいいだろう。
ボスは広くもない牢屋に入ってくる。
奴隷で散々遊んだのか、肌艶が増しているアーデルカマーに一礼する。
「ボスがわざわざこんな汚いところへ来なくとも、俺が報告」
ボスは前触れもなくヴァンリを引っ叩いた。
パァンと乾いた音が響く。
「!」
蛇弟は驚愕し、蛇兄は興味ないのかチラッと見ただけだった。
「……ボス?」
頬を押さえるヴァンリ。体幹が良すぎて倒れなかったし殴った手の方が痛んだが、アーデルカマーはビシッと扇でヴァンリを指す。
「幹部風情がワタシに命令しないでちょうだい? ヴァンリちゃん? ちょっと可愛がってあげたからって、調子に乗ったんじゃあなくって?」
ヴァンリは深々と腰を折った。
「出過ぎた真似でした」
「あン。分かればいいのよう? 素敵なお顔、腫れちゃったわね。冷やしておきなさぁい?」
鳥の羽がついた豪華な扇を広げ、口元を隠す。そして鼻をつまみながらスミへ近寄る。
「あら、いい具合ね。これならあの方も喜んでくださるわぁぁ~ン」
護衛としてついてきた禿頭男が、そっと濡れたハンカチをヴァンリの頬に当てた。
(いてぇよ。触んないで)
(それで冷やしていろ)
ボスに見られたら罰せられそうなことを平然とするとは。ラブコが「くっつけばいいのに」という不愉快な目で見てくる。俺は一人称名前呼びっ子じゃなきゃやだ。
「……ぅ……」
スミがうっすら目を開ける。嘘だろ。あれで気を失わなかったのかと、ラブコはちょっと引いた。
天下一の警鐘が叩き起こしたのだ。
ボスは獲物をいたぶる目でスミを見下ろす。
「あら? お目覚め?」
「……っ」
意識が戻ったのは良いが、指一本動かせない。
這いずることも出来ない兎の頭にヒールを乗せる。
ぐりっ。
「っ」
「喜びなさい? あなたはこれからあの方へ捧げられるのよ? あの方は奴隷と繋がったまま庭を散歩するのがお好きだから、開放的な場所でたくさん可愛がってもらえるわ」
気絶していた方がマシだったかもしれない。
ヒールをどかすことも、唾を吐くことさえ能わない。せめてもの抵抗に睨みつける。
「生意気な瞳だこと。その目がどう希望を失っていくか、過程を見学できないのが残念だわぁン。あ、そうそう。あなた友人がいたわよね? 助けを期待しても無駄よ? 見張りをつけているからね」
ね? と禿頭を振り返る。男は首肯する。
「擬態が得意な種族だ。動向を見張らせているが、奴らがお前の家に行く素振りはないし、もしお前がいないことに気づいても、すぐに報せるようにしてある。……牢番が派手にお前を追いかけ回していたようで目撃者はいるだろうが、スラムではいつものことだ。誰も通報しようなどと思わない」
アーデルカマーは優雅に扇ぐ。
「そういうこと。残念だったわねン」
心をへし折ろうとしてくる。抵抗力を奪うためだろう。スミはもう、指一本動かせないというのに。
「……」
ふるふると震える。ひそかに期待していた。あり得ないと分かっていても、もしかしたらニケたちが助けに来てくれることを。
瞳が絶望に染まっていく。小さくなり孤独に震える兎に、アーデルカマーとヴァンリが楽しげに嗤う。
「――様! お客様そちらは。困ります。おきゃっ」
何か声が聞こえた。ヴァンリがボスを瞬時に庇って下がった瞬間、牢の戸がぶち破られた。
「うわっ」
「ひいっ」
檻の隙間から飛んできた真っ二つに割れた戸をなんとか避ける蛇兄弟。戸だった物が壁に突き刺さっている。
「なんだっ!」
禿頭男が叫ぶ。見れば、出入り口から大男が肩で風を切りながら侵入してきた。あまりにも大胆に。
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