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第6章 憎しみという花があでやかに咲く

      第6章 憎しみという花があでやかに咲く  もみじが色づき、雪化粧がほどこされ、おぼろ月が淡々しく浮かび、やがて蝉が鳴きはじめる。  沢渡志木が獣人の世界に迷い込んで一年がすぎた。  性奴という階層に堕ちてからこっち、季節がひと巡りした現在(いま)となっては、単位を取得するのが最重要課題だったころのさまざまなエピソードは遠い昔の物語。  人生が激変するなかで、悲喜こもごもの出来事があった。公爵邸に居室を与えられたのも、そのひとつだ。  アルフォンソの(ちょう)を受けて夜伽の相手を務める。ブラック企業に就職してしまい、病むまでこき使われる恐れもない、役目といえば淫技に磨きをかけることのみ。  ある意味、ちやほやされる地位に()いた。ヒトという下等な生き物が(と周りには思われている)にしては、異例の出世を遂げたと言えるのだろうか。  ところでアルフォンソは第一および第二王子、ならびに現国王の弟に次ぐ王位継承権を持つ。事と次第によっては次期国王の座が転がり込んでこないとも限らない。 「おれも勝ち組の仲間入り、とか。ありがたくもないけど玉の輿に乗った、みたいな?」  苦笑交じりに呟く。その横顔は愁いを帯び、アルバイトを掛け持ちしながら大学に通っていたころとは比べ物にならないほど色香を増した。  後ろあきで貝ボタンがずらりと並ぶシャツは、アルフォンソが脱がせることを前提としたもの。肩まで伸びた黒髪もアルフォンソの趣味と、すべて〝ご主人さま〟の好みを反映して志木を縛る。  ちなみに、いちど勝手に髪を切ったら足腰が立たなくなるまで責め抜かれて、懲りた。  白亜の屋敷と調和を成す庭は広く、四季折々の花が咲き乱れる。  中でも志木のお気に入りの場所は、柳の枝葉がなよやかに揺らめいて、翠緑色のモザイク模様を描く泉の(ほとり)だ。  (ねや)で命じられるがまま嬌態をさらした翌日の昼下がりは、ここで過ごすと決めている。ひとりでまったりする、ひとときには浄化作用がある。  でないとアルフォンソという毒素に(むしば)まれたあげく、王都でいちばん高い尖塔の上から飛び降りてしまうかもしれない。 「なあんか、すっかり浦島太郎の気分だ……」  どちらの候補者が結局、アメリカの大統領選を制した? YOASOBIの新譜や新海誠監督の新作は、どういう系? 仰向けに寝転がって、両手を目いっぱい伸ばした。この澄み渡った空がもしも故郷(ふるさと)につづいているのなら、せめて魂だけでも帰り着いて……、 「……って、滅々ウザい!」  跳ね起きたのに驚いて、ばさばさと小鳥たちが飛び去った。  志木が失踪したというニュースは、元の世界の仲間内では心配を交えて面白おかしく消費され尽くして、それっきりだろう。  アパートの管理会社から実家に連絡がいったと思うが、もともと両親とは折り合いが悪い。息子が行方不明だと、さすがに警察へは届け出たはず。しかし休学届に関しては望み薄だ。学費が未納のため、すでに除籍になっているかもしれない。

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