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第46話

 時計塔が時を告げて、桃色がかった雲がぷかりと浮かぶ。  せっかく、のんびりしていたのに。志木は咳払いにまぎらせてぼやき、柳の枝にじゃれつく小鳥にビスケットの欠けらを投げてやった。それを獅子の尻尾が()ぎ落とす。  小鳥など放っておいて、おまえの飼い主たるわたしをかまえ、と言いたげに。アルフォンソはマントを脱ぎ去ると、水際に敷いた上に横たわる。 「国王陛下を補佐する立場上、多忙を極めて疲れている。よって膝枕を申しつける」  だったら房事を控えればよいのだ。志木だって、たまには独りでゆっくり(やす)む贅沢さを満喫したいのだから。  せっつかれて、しぶしぶ膝をたたむ。アルフォンソはさっそく頭を載せてくると、腹の側を向く形に寝返りを打った。 「おれだってより、してもらうほうが嬉しいのに……」  キュートな女子に。そう、ぼそっと呟いた。もっとも膝枕はおろか、恋人つなぎも「あ~ん」も、今となっては蜃気楼のごとく儚い夢物語だが。  耳がぺたりと寝たのはくつろいでいる証拠で、珍しく隙だらけだ。(ねや)で志木を辱めるときは、荒らし放題に(なか)を荒らしている最中でさえ、行為を客観視しているふしがある。ごろにゃん、と甘えてきかねないさまに調子が狂う。  主従の垣根を越えて睦まじげに寄り添うふたり、と傍目には映るだろう。志木は紅茶を泉にぶちまけて、ムカつく像を結ぶ水鏡を濁らせた。  囚われの身となってから一年のあいだに流したくやし涙の量はバケツ……いや、バスタブ数杯分に相当するに違いない。さんざん、むごい扱いをしてくれた相手と今さら恋人ごっこなんか、ちゃんちゃらおかしい。  と、琥珀色の双眸がひたと据えられた。 「おまえは望郷の念を抱くことがあるか」 「そんなもの、抱くだけ虚しいでしょうが」 〝元の世界へ〟と唱えたとたん願いが叶えられる呪文があれば、悪魔に魂を売り渡してでも知りたいくらいなのだから。  性奴の座を()われて下男に格下げになったとしても、ひきつづき公爵邸に置いてもらえるだけありがたいのだ。  結局、アルフォンソの庇護のもとでしか生きられない。絹のシャツをつまむ。着飾らせる価値がある、と思われているうちが花で、あすは(すす)をかき出すよう命じられて煙突をよじ登っているかもしれない。  と、問わず語りが水辺をたゆたう。 「去年の今時分だ。そぞろ歩きを楽しんでいた月蝕の夜、おまえを拾った。ちょうど、そこの……」  尻尾が矢印を描いて揺らめいた。 「柳の木の根元に倒れていた。夜露を()いて清らかで──よいか、わずかなりとも嗤おうものなら承知せぬ──泉の精が現れたかに思えた」

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