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野獣の要求

これでジャンティーとの約束を果たせそうだ。 気分が高揚したシャルルが薔薇を一輪摘もうと花壇に手を伸ばした、次の瞬間のことだった。 ガラガラガラッと地鳴りのような音が鳴り響いた。 突然のできごとに、シャルルはその場に腰を抜かし、あたりをキョロキョロと見回した。 いったい、何が起きたのか。 「……無礼者!」 どこからか、野太い声がした。 姿は見えないのにもかかわらず、その声はそばで怒鳴られているのかと思うくらいにはっきり聞こえてきたものだから、シャルルは思わず身震いした。 突然、門の陰から、声の主が姿を現す。 そこにいたのは、見たこともないほどに恐ろしい野獣だった。  「この恩知らずめ!!」 野獣の背丈はシャルルの2倍ほどもあり、全身が黒くて長い体毛で覆われている。 手足の先には鋭く長いナイフような爪が生えていて、まるで熊みたいだ。 尖った牙が剥き出しになった口と大きな耳は狼に似ている。 顔と体は間違いなく獣のそれなのに、高価そうな服を着ているのが、なんともアンバランスだ。 ビロードのロングコートにジレ、シルクのクラヴァットに、ウールのスラックス、本革のロングブーツ。 それは、かつてシャルルが豪商だった頃に身につけていたものと、なんら変わりはしない。 だのに、この熊や狼に似た野獣は二本足で歩いて言葉を解し、発することもできる。 こんなチグハグな生き物を、シャルルは初めて見た。 野獣が、ギョロリとシャルルを睨む。 その瞳孔は猫のように縦長で、瞳の色は流れ出る鮮血のように赤くギラギラ光っている。 シャルルはあまりの恐ろしさにガタガタ震え上がり、思わず摘み取った薔薇の花をその場に落としてしまった。 「よくもやってくれたな!この恩知らずめ!食事を出して、一晩泊めてやり、丁重にもてなしてやったのに、親切にしてやったのに。厚かましくも私の大切にしている薔薇まで盗むとは!!」 野獣が、シャルルに向かって雷鳴のような声で吠えかかる。 「も、申し訳ございません!お許しください、お許しくださいませ!!ここがあなたさまの城だとはぜんぜん知らなかったのです。道に迷ってしまって、死ぬほどお腹が空いていたものですから……この薔薇が、とても美しかったものですから……」 シャルルは跪き、許しを乞うた。 「ほう…ならば、お前が大切にしているものを差し出せ。そうすれば許してやる。そうだ、お前には子どもはいるのか?」 野獣がニヤリと薄気味悪い笑みを浮かべた。 「ご、ございます。3人ございます」 「そのなかの、誰かひとりをこちらに連れてこい。そうすれば、引き換えにお前の命だけは助けてやろう。さあ、早く連れて来い!」 野獣に怒鳴られて、シャルルはたまらずその場を離れていった。 ────────────────────── ──ああ、どうしたもんだろうか… 吹雪のなか、ようやくのことで帰途につきながら、シャルルは身も世もなく考え続けた。 愛しくかわいい自分の子どもたちを、あんな恐ろしい野獣の犠牲になんてできるわけがない。 そもそも、3人の子どもたちの誰が、得体の知れない野獣のところに行くことを了承するだろうか。 「お父さま、おかえりなさい」 家に帰りつくと、ジャンティーが出迎えてくれた。 その後ろに、アヴァールとリュゼもいる。 いつもならとても喜ばしいことなのに、今のシャルルの心はますます重く沈むばかりだった。 そんな父親の尋常ならざる様子を、子どもたちは天気の悪いなか、一晩中歩き続けて帰ってきたからであろうと推測した。 「お父さま、大丈夫?」 ジャンティーは困惑しながらもシャルルの濡れて冷たくなった服を着替えさせ、温かい食事を用意して勧めた。 しかし、シャルルは精魂尽き果てたかのように、長椅子にへたり込んでしまった。 「ジャンティー。約束通りに薔薇を一輪持ってきたよ。しかし、この薔薇が、仇になってしまった……本当に、すまない」 シャルルは震える手で、懐から真っ赤な薔薇を一輪取り出した。 「お父さま、いったいどうしたの?何があったの?」 ジャンティーに問いかけられて、シャルルは道中に起きたできごとを、すべて子どもたちに話して聞かせた。 あまりのできごとに、3人の子どもたちは絶句するばかりだった。 重苦しい沈黙が部屋を埋め尽くしたところで、ようやくアヴァールが口を開いた。 「とんでもないわ、そんなところに行くなんて!」 「そうよそうよ!ひょっとしてお父さま、そんな恐ろしいことをわたしたちにさせたりはしないわよね?」 アヴァールに続いて、リュゼが責めるような目つきでシャルルを見つめた。 「でも……」 今度はジャンティーが口を開いた。 「でも、何よ。お兄さま、何か言いたいことがあるの?」 アヴァールが、睨むようにジャンティーを見た。 「ぼくたちの誰がひとりが行かないと、お父さまの命はないって、野獣は言ったんでしょう?お前たちはそれでいいのかい?ぼくは嫌だよ」 ジャンティーの言葉に、アヴァールとリュゼは黙りこくってしまった。 「ぼくが行くよ。その野獣は、3人のうちの誰かひとりを連れて来いって言ったけど、それは言い換えればこの中の誰でもいいってことだよね?」 ジャンティーはシャルルのほうへくるりと向き直ると、はっきりとそう述べた。 すでにその顔には、ある決意を持っていることが、シャルルには簡単に理解できた。 「でも、ジャンティー。そんなこと….」 とんでもないとばかりに、シャルルは首を振った。 よりにもよって、自分にとっていちばん愛しい我が息子が、この心優しい長男坊が。 この子がいなくなった後の人生など、まるで考えられない。 「お父さま、落ち着いてよ。野獣はただ、だれかひとりを連れてこいとしか言わなかったんでしょう?何をされるかはわからないよ。でも、殺されると決まったわけじゃない」 「それでも、あんな恐ろしい野獣のことだ。お前が無事で済むはずがない!2度と帰ってこられないかもしれないんだぞ!!」 シャルルがジャンティーの両手を握る。 その目には、うっすら涙が滲んでいた。 「それは行ってみないとわからないよ。いずれにしても、お父さまが殺されるなんてそんなこと、ぼくは黙って見過ごすことはできないよ。だったら、ぼくが行く!」 「そんな…」 シャルルが、ジャンティーの手をより強くギュッと握る。

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