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そして古城へ
「ねえ、お父さま。なんなら、ぼくがその野獣の怒りを和らげることができるかもしれないよ。交渉術は得意なんだ。この家に住んでからは買い物するたびに値切りすることが多かったからね」
ジャンティーが、シャルルの手を優しく握り返す。
ジャンティーは、最後まで反対し続けるシャルルをなんとか説き伏せようとした。
「ジャンティー、やめておくれ。どうか行かないでおくれ」
シャルルは泣きすがった。
「お父さま、落ち着いてよ。ぼくはこの家からいなくなるけど、アヴァールとリュゼがいるじゃないか。そもそも、こうなったのはぼくのせいでしょう?ぼくが薔薇なんかねだったりしたから…」
泣きすがるシャルルの背中を、ジャンティーは優しく撫でさすった。
「違う、わたしが野獣の怒りを買ったからだ。わたしのせいだ」
シャルルが首を振って反論した。
「原因はどうであれ、ぼくは行くよ。みんなを危険に晒せないもの。アヴァール、リュゼ、2人でお父さまを支えてあげてね。体を大事にするんだよ。お家の掃除や畑仕事を忘れないでね。それと、夜遊びや派手な買い物はほどほどにね」
「え、ええ…お兄さまも、気をつけて」
「必ず、その、帰ってきてね」
突然名前を呼ばれたアヴァールとリュゼは、取ってつけたような別れの挨拶を述べた。
「うん、じゃあね2人とも。留守番を頼んだよ。ほら、お父さま。気を確かに!早くそのお城にぼくを案内して!!」
ジャンティーは粗末なコートを羽織ると、玄関ドアの向こうへ足を進めた。
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野獣の住む古城への旅は、かなり重苦しい旅となった。
道中、絶望にかられたシャルルが倒れてしまいそうになるのを、ジャンティーは何度も必死に助け起こして励ました。
「ジャンティー、こんなことになって、本当に申し訳ない…」
ようやく城の前にたどり着き、ジャンティーをひとり残してそこを発っていくというときに、シャルルの目から大粒の涙があふれ出た。
「泣かないでよ、お父さま。さっきから何度も言ってたでしょう?ぼくはまだ死ぬと決まったわけじゃないんだから。なんとかして、必ず帰ってくるから。そのときまで、アヴァールとリュゼをよろしくね。気をつけて帰るんだよ」
そう言い含められて、シャルルはジャンティーを古城の前に残して、涙ながらにさっき来た道をとぼとぼと独り寂しく帰っていった。
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無事にシャルルの背中を見送った後、ジャンティーは急激に体の力が抜けていくのを感じて、その場にへたり込んだ。
いったい、野獣は自分をどうするつもりでいるのだろう。
──ぼくをオモチャみたいに痛めつけるんだろうか?ひょっとして、食べられてしまうのかな…?
さすがのジャンティーも、しだいに恐怖がつのってきた。
シャルルたちには「必ず帰るよ」と言ったものの、本当に帰れるのだろうか。
そもそも、野獣がきちんと約束を守ってくれる保証なんて何もない。
ジャンティーを食べた後、シャルルやアヴァール、リュゼを犠牲にする可能性だって、なくはないのだから。
──ぼくもみんなも、大丈夫なんだろうか…?
ジャンティーがひとり不安で震えていると、突然、天地がひっくり返ったかのようなゴーッという物音が聞こえてきた。
気がつくと、ジャンティーの目の前に見るも恐ろしい野獣の姿がそこにあった。
体をガタガタと震わせながらも、ジャンティーは気丈にも必死に耐えていた。
「お前が、あの男の息子か?」
野獣が真っ赤な瞳をギラギラ光らせて、ジャンティーを見下ろした。
「…は、はい、ぼくが、そうです。先日ここに来たシャルルの息子です。名前はジャンティーといいます」
恐怖と戦いながら、ジャンティーはなんとか声を絞り出した。
冷たい空気を吸った喉の奥が、わずかに痛む。
「そうか、ジャンティーというのか。いい名前だ。よくぞここまでやって来た」
「はい、ご主人さま。あなたに一生懸命お仕えすることを誓います。なんなりと御用をお申し付けくださいませ。その代わり、父や妹たちには決して手出ししないと約束してください」
ジャンティーは深々とお辞儀をした。
野獣はこの約束を聞き入れてくれるだろうか。
不安に感じつつ、ジャンティーは返答を待った。
「ああ、わかっているとも、約束しよう。それと、わたしのことを「ご主人さま」などと呼ぶんじゃない、ジャンティー。ここでは、お前のほうが主人なんだ。そして、わたしのほうが、お前に仕えるしもべなんだ」
野獣は急に、わけのわからないことを口走った。
──どういうことだ?
「ついておいで、城の中へ入ろう。中を案内してやるから」
なんのことなのかまったく分からないでいるジャンティーに、野獣が手まねきしてきた。
言ってから野獣が歩き出したので、ジャンティーは戸惑いながらも付き従った。
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──この城の中、ぜんぶぜんぶ、お父さまの言ったとおりだ
野獣の後をついていくと、城の門がひとりでに開き、門内に入るとひとりでに閉じた。
そこからさらに進んで鉄の門扉をくぐり、城内に入っていくと、石造りの回廊に出迎えられる。
シャルルがジャンティーたちに話して聞かせたとおりの情景が、そこに広がっていた。
また、城内は異様に広く、いま住んでいる一軒家、いや、かつて住んでいた屋敷すら比べ物にならないくらいだ。
部屋数がいくつあるのかもわからない城内をあちこち案内され、ジャンティーは目が回る思いだった。
──こんなに広くて部屋がたくさんあるようなお城だと、掃除なんかも大変そうだな。迷子になってしまいそう
どの部屋にも天井からは豪奢な水晶のシャンデリアが下がっていて、窓にはどっしりしたダマスク織りのカーテン、天井には天使や神話の神々を描いた珍しいフレスコ画、周囲の壁には手の込んだタペストリーや、緻密に描かれた風景画なんかが飾られている。
床にはつづら折りの絨毯に、優美な装飾が見事な猫脚の椅子やテーブルやキャビネット、大理石の暖炉。
──うっかり壊そうものなら、何をされるかわからないな。どれも見るからに高価だし…扱いには気をつけないとな
「ジャンティー、ここに入れ」
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