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野獣について

そして日に一度、野獣はあのゴォーッという地鳴りのような音とともに、ジャンティーの部屋にやってきた。 ここでの生活はある程度慣れたのだけれど、この音にはどうにも慣れない。 野獣の到来を予感すると、どうしても一瞬、体がこわばってしまうのだ。 それから野獣は、ジャンティーと食事をしたりお茶を飲んだりして過ごした。 ときどき、食事しているジャンティーを眺めているだけのときもあった。 それが終わると、互いに向かい合って座り、あたりさわりの無い話をする。 美術、音楽、絵画、演劇、文学。 野獣はありとあらゆる分野の知識に秀でていた。 いまは貧しい身の上ではあるが、かつて優雅な時代を送ったことのあるジャンティーは、それらの話に十分についていくことができた。 裕福な商人だったシャルルは、当時としては高い知識と教養を兼ね備えていたし、かつて住んでいた屋敷には珍しい革表紙の書物がいくつもあった。 シャルルの趣味で、壁にはいつも東洋渡りの錦糸織りのタペストリーや水墨画が飾られていた。 幼いころには、亡き母に本を読み聞かせてもらい、月に何度かは演劇を見に劇場に連れて行ってもらった。 野獣の話は、地に足ついた高い教養を感じさせた。 この野獣はいったい、どこでどのように育ったのだろうか。 この野獣の父親と母親はどんな人物なのだろうか。 兄弟姉妹はいるのだろうか。 彼らもまた、同じような野獣なのだろうか。 野獣と会話していく中で、ジャンティーはつぎつぎに疑問が沸いて出てきた。 「かわいいジャンティー。いつになれば、わたしを男として受け入れて見てくれる?いつになれば、わたしの妻になってくれるんだ?」 しばらく会話を交わした後、野獣は必ずそう聞いてくる。 これが、野獣の言った質問の内容であった。 これはジャンティーにとって、とても心苦しい質問である。 「答えは変わりません、ウォルター様。ぼくは、自分にウソをつくことはできません。「いいえ」としか、ぼくには答えられないのです」 こんな答えを出すのは、もう何度目かわからない。 何度聞かれても、ジャンティーはそう答えるよりほかないのだ。 しかし、何度同じ答えを返しても、野獣は決して荒々しい手を使ってジャンティーを自分のものにしようとはしなかった。 手に触れることもしない。 ジャンティーの答えを聞き終わると、ただ「そうか」とだけ言って、悪いことでも言ってしまったかのような顔をして、またあの轟音を立てて去っていく。 野獣のそんな姿を見て、ジャンティーは少しばかり胸が痛んだ。 それでもジャンティーには、自分があの野獣の妻になるだなんて、とても考えられない。 自分にウソをつくことはできない。 ジャンティーにだって、心で思い描く恋はあるし、夢見る人もいる。 そもそも自分は男なのだ。 野暮ったくて骨っぽい体つきの、凡庸な顔つきと体つきをした男だ。 なんだって野獣は自分を妻になんて考えるのだろうか。 どうせ妻にするなら、アヴァールやリュゼみたいなかわいらしい女の子が良いのではないか。 そう思った瞬間、ある心配が心をよぎった。 ──みんな大丈夫かな?アヴァールとリュゼはちゃんと生活できてるのかな?お父さまはどうしてるんだろう? ジャンティーはふと、家族のことが気になった。 けれど、ここには野獣がいる以上、無断で出て行くことは難しそうだ。 家族の元へ帰ることを許してくれるかどうか、ジャンティーにはまだ確信が持てなかった。 最悪の場合、怒り出して家族全員の命を手にかけるかもしれない。 それを考えると、自分はまだここに残り続けたほうがいいだろうとジャンティーは判断した。  ──────────────────── 「わたしを醜いと思うだろう?」 ある日、ジャンティーの部屋にやってきた野獣が、そんなことを聞いてきた。 「ぼくは自分にウソはつけません。たしかに、その通りです。でも、あなたの瞳はとても美しくて、とても哀しそうだと思います」 ジャンティーは戸惑ったが、同時に野獣の瞳の奥にある哀愁に満ちた翳りを見逃さなかった。 ジャンティーは、この野獣より醜い人たちを今までに何度も見たことがある。 他人を憎んだり嫉妬したり騙したり、陥れようとしたりする、醜い人。 その人たちの目は、このうえもなく醜かった。 これこそ、この野獣そのもののように。 「かわいそうなウォルター様」 ジャンティーは野獣に対して、そんなふうに思った。 この人だって、好き好んでこんなに醜く生まれたわけではないだろうに。 「そうだな、お前からしてみれば、わたしはそう見えるのかもしれない。しかしジャンティー、お前はそんなわたしに、一筋の光を残してくれた」 野獣が大きな口を開いて、ジャンティーに笑いかけてきた。 「わたしは明日もこの部屋に来る。そして、同じ質問をする。お前が「はい」とうなずいてくれるその日まで。無理にわたしを愛しているなんて言わなくていい。しかし、せめてわたしを見捨てたりしないでくれ。お前がここにいてくれるだけで、わたしは満足だから」 そう言って野獣は立ち去っていき、ジャンティーは孤独の中に取り残される。 この孤独が恐ろしく耐えがたくて、いっそ思い切って「はい」とうなずいてしまおうかと考えてしまうことがある。 しかし、自分にも野獣にもウソはつけない。 そんなウソは、自分も野獣も幸せにはしないだろう。 自分が孤独なら、野獣はもっと孤独なのだ。 ──孤独と孤独を寄せ合って、お互いに傷を舐め合うような真似だけはしないでおこう。それが一番よくない気がするから…… 孤独がせまってくると、やはり思い出すのは家族のことだ。 ──お父さまはどうしてるんだろう?アヴァールとリュゼは? シャルルは鎮痛薬を飲むのを忘れていないだろうか。 毎朝仕事に向かうときに、ハンカチを忘れてはいないだろうか。 アヴァールとリュゼが作った料理は、シャルルの口に合うだろうか。 アヴァールとリュゼは家の中をいつも清潔に保っているだろうか。 畑をちゃんと見ていてくれているだろうか。 シャルルは年老いて、かなり白髪が増えてきた。 どんなに自分のことを案じてくれていることだろう。 ──なんとかしてお父さまに、ぼくが元気でいることを教えるすべはないのかな…

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