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帰還

野獣は懐から指輪を取り出すと、ジャンティーに手渡した。 一見すると何のへんてつもない、金色の指輪だ。 「これを枕元に置くといい。そうすれば、お前は一瞬後には家族のところへ帰ることができる。ここに戻るときも同じようにして、枕元に置くんだよ。そうしたら一瞬後には、お前はこの城に帰ってこられる」 「ありがとうございます。ウォルター様」 ジャンティーが言われたとおりにすると、それは現実のものとなった。  ───────────────────── 「ジャンティー!なんてことだ…これは、夢じゃないだな?」 「夢じゃないんだよ、お父さま」 突然現れたジャンティーを見て、シャルルは驚いた顔をして、のっそりと半身を起こした。 「どんなに会いたかったことか…ずっと心配してたんだよ。案の定、こんなことになってしまって……帰ってきて正解だった」 ジャンティーは目に涙を浮かべて、すっかり痩せ細ったシャルルの体を抱きしめた。 抱き返すシャルルの手が背を滑る。 背中に伝わるその手の温かさに、ジャンティーはますます深い喜びを感じた。 自分は本当に帰ってこられたのだと実感できた。 「ジャンティー、いまのいままでどうしていたんだ?あの野獣はお前を生かしておいてくれたのか?そもそも、どうやってここに帰ってきたんだ?野獣のところから逃げてきたのか?」 体を離すと、シャルルが矢継ぎ早に質問してきた。 「ぼくがどうしても家に帰りたいとお願いしたら、1週間だけ家族のところへ帰ってもいいって、お許しをくれたんだ」 「1週間…そうか、1週間か」 この家にいられるのは1週間だけと知った途端、シャルルは残念そうな顔をした。 しかし、それさえも束の間、蒼白だった顔にほんのり赤みがさしたかと思うと、なんとかベッドから自力で立ち上がった。 「アヴァール!リュゼ!喜べ、お兄さまが帰ってきたんだよ!!」 その声を聞いて駆けつけたアヴァールとリュゼはあっけにとられていたが、ふと我に帰って、兄と父親の手前、大喜びしているフリをした。 「お、お兄さま、信じられないわ。こうしてまた会えるなんて思っていなかったから…」 予想外の兄の帰還に、アヴァールは嬉しそうな顔をしてみせた。 「ほんとよね、お姉さま。わたし、嬉しいわ。夢でも見てるのかしら!」 アヴァールとは打って変わって、リュゼは即座に上手に「兄の帰りに歓喜する妹」を演じてみせた。 そんなアヴァールとリュゼの心情にまるで気づかないジャンティーは、2人の妹とかわるがわる抱き合って、再会の喜びに浸った。 一瞬、脳裏に古城の鏡で見た2人の姿がよぎったが、ジャンティーはそれを忘れてしまおうと考えた。 いまこのときの妹たちの姿が、真実なのだと思いたかった。 ──そうだ、アヴァールとリュゼはワガママだけど、あんな酷いことを言うような子じゃない。ぼくが帰ってきたことを、こんなに喜んでくれてるんだから。ともかく帰ってこれたんだもの。大好きなみんなの顔を見ることができたんだもの! 「ああ…」 無理をして立ったシャルルが、ベッドに倒れ込むようにして横になった。 ──ああ、いけない! ジャンティーは、急いでシャルルの看病に取りかかった。 それからのシャルルの回復は、めざましいものだった。 それまでの弱り具合はどこへやら、頬にふっくらと肉がついてきて、声にも張りが出てきた。 一日経てば、すっかり元気になって家の中をきびきびと歩けるようにまでなった。 どうやら、単なる風邪であったらしい。 死んでしまうかもしれない、というのはジャンティーの杞憂だった。 ──でも、なおさらそれでよかったかもしれない。重い病気だったらどうしようと思ってたし… 「野獣はお前を虐待したりしないのかい?向こうで辛い目に遭ったりしていないかい?」 元気になった途端、シャルルが聞いてきた。 「大丈夫だよ、お父さま。野獣は見た目は恐ろしいけれど態度はいつも紳士的だし、ぼくを大切に扱ってくれているよ。だから、安心して」 それを聞いて、シャルルは安心した。 この優しく親孝行な息子はときどき、父親を安心させようとヘタな嘘をつくときがある。 ──今回ばかりは、真実なんだろうな その証拠に、ジャンティーは何やら嬉しそうな顔をしている。 肌艶もかなり良くなり、以前はクマがあった目も今はイキイキと輝いている。 長らく畑仕事で爪が割れていたり汚れていた手も、今はすべすべしていて、高価そうな指輪までしている。   ───────────────────── その一方で、アヴァールとリュゼは不愉快でしかたなかった。 もともと、マルシャン家が裕福だった頃は自分たちのほうがチヤホヤもてはやされていた。 だのに、家が貧しくなった途端、周囲の人たちは突然、兄のジャンティーばかりチヤホヤ褒めそやすようになった。 そんな兄の様子を、アヴァールとリュゼは嫉妬と憎しみの目で見つめるようになった。 そんなときに兄が獰猛な野獣の餌食になり、アヴァールとリュゼは内心ほくそ笑んだ。 この一軒家に住んでからというもの、少し早く生まれただけで家長ヅラをして、何かと小言を述べてくるジャンティーに、2人は不満を感じていた。 もう邪魔者はいない。 これからは好きなだけドレスや宝石を買える。 いままでは忍び足で向かっていたパーティーや音楽会に、堂々と行くことができる。 何かにつけ、「ジャンティーが」「きみのお兄さまが」「妹たちより彼のほうが好きだ」などと言われることも、もう無くなる。 内心ざまあみろと2人仲良く楽しく笑っていたのに、いきなり帰ってきたのだ。 おまけに、野獣のもとから帰ってきたジャンティーは、これまで見たこともないような贅沢な絹の服に身を包み、これまで見たこともないような豪奢な宝石をたくさん身につけている。 あの地味で野暮ったい容貌はどこに行ったのか、伸ばしっぱなしの髪は整えられて美しく艶めき、吹き出物だらけで浅黒かった肌は、長く日に晒されなかったことで真珠のように白く輝いている。 そこには、かつて町一番の美女と噂された亡き母の面影があった。 地味と思っていた兄も積極的に容姿を磨けばここまで変えられてしまうのかと、絶句してしまうほどだ。 その姿は、野獣に虐待されて痩せ細るどころか、どこか自信に満ちて幸福そうだ。

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