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せまる時間

2人の妹の思惑などまるで知らないジャンティーは、城の鏡で見た2人の姿をすっかり忘れていた。 「お兄さまがまた野獣のところへ行ってしまったら、どうなると思う?今回は大丈夫でも、今度こそお父さまは死んでしまうかもしれないわ」 アヴァールのその言葉に、ジャンティーは言葉を失った。 そんなことを言われたら、ジャンティーはどうすればいいのかわからなくなる。 胸の中が哀しみでいっぱいになってあふれて、苦しくてたまらなくなる。 ジャンティーだって、できることならずっとこの家にいたい。 どんなに暮らしに困っても、この家で家族いっしょに過ごしたい。 しかし、野獣との約束がある。 それを迂闊に破るわけにはいかない。 「かわいいジャンティー。わたしと結婚してくれないか」 ジャンティーは、部屋にやって来るたびにそう尋ねてくる野獣の低い声を思い出した。 ジャンティーがそれに対して拒絶の意思を見せると、辛そうな顔をして去っていく野獣の広い背中が目に浮かんでくる。 彼は孤独なのだ。 彼を理解する者など、誰ひとりとしてこの世にはいない。 自分が野獣であることの苦しみに、野獣自身が押し潰されそうになっている。 救いを求めているのだということが、ジャンティーには嫌というほどわかった。 きっと野獣は、保証が欲しいのだ。 自分のように醜く恐ろしい生き物でも、誰かに愛されるのだという保証が。 「ぼく、野獣と約束したんだ。お城に戻らないと……」 「約束だなんて!どうせ相手は恐ろしい野獣じゃないの!!」 「お姉さまの言う通りよ、お兄さま。お父さまを犠牲にしてまで、そんな約束を守る必要はないはずよ」 アヴァールとリュゼは引き下がらない。 実際、2人の言い分が正しい気もする。 けれど、ジャンティーにだって思うところはある。 「そんなことはできないよ。もし約束を破ってしまったら、ぼくは野獣にも劣る存在になってしまう」 「野獣に劣るからなんだと言うの?お父さまがかわいそうと思わないの⁈」 リュゼがまくし立てた。 その目には、涙まで浮かべている。 これを演技と気づかないジャンティーは胸が痛んだが、それでも引き下がれなかった。 「野獣はぼくをずっと待ってるんだ。あの人の傷ついた心を和らげてやれるのは、ぼくしかいないんだ」 「お兄さま、あなた、まさか……」 野獣を気遣うような言葉に、アヴァールが疑いの目を向けてくる。 あまりにまじまじと顔を見つめてくるものだから、ジャンティーは思わずどぎまぎした。 ──でも、ひょっとしたら、ぼくは… あの恐ろしくも醜い野獣を愛しているのだろうか。 いや、そんなはずはない。 気の毒な身の上で、いつも独りで過ごしている彼に同情しているだけだ。 ジャンティーは自分にそう言い聞かせてみた。 それでも彼がそばにいないことで、ジャンティーは不安で寂しくてたまらない。 いま現在、家族と会えた嬉しさがある反面、野獣のことが気にかかってしかたがない。 ──彼から少し離れただけなのに、とても寂しい……こんなに満たされない気持ちは初めて…… ジャンティーは、その初めて抱く感情の名前がわからなかった。 あの人はとても醜いけれど、瞳は光を放つ宝石のようにとても美しい。 あの人の言葉は奥深く、心は神や天使のように清らかで美しい。 そして、そのことを知っているのは自分だけだ。 そのとき、どうしたわけかジャンティーの耳に野獣の声が聞こえてきた。 苦しみもがく野獣の声だ。 さらには、地面に突っ伏して倒れる野獣の姿が目に浮かんできた。 それはまるで、すぐ目の前にいるような気がするほどに鮮明だった。 ──ぼくにはわかる。あの人の声が聞こえるし、あの人の姿が見える。なんとしてでも帰らなきゃ…!!  ───────────────────── 野獣に家に帰ることを許されてから、ちょうど1週間が経過した。 その日の夕食の席は重苦しい空気が漂っていた。 それまでの華やいだ幸福な雰囲気がガラリと変わってしまって、誰もが何か言いたいのを堪えていた。 「……ジャンティー、もう行ってしまうのか…」 夕食を終えると、シャルルがぽつりと漏らした。   「……もちろん行くよ」 「そんな…」 「お兄さま!」 ジャンティーの返答に、アヴァールとリュゼも口を開く。 「お父さま、アヴァール、リュゼ。ぼくは帰るよ。野獣はいまは優しいけど、今後どうなるかまではわからない。ぼくたちの運命は野獣の気持ちひとつで変わってしまうんだ。もしここで帰らずに野獣の機嫌を損ねてしまったら、みんなが危ない」 「それは…」 シャルルは口をもごもごさせて何か言いたそうにしていたが、言葉は出てこなかった。 ジャンティーの言うことは正しいとわかっていても、それを認めたくはないのだろう。 アヴァールとリュゼはとうとう黙ってしまった。 「大丈夫だよ。お城でいい子で過ごしていれば野獣は優しいからね。また帰してくれる日が来ると思う。だから、ぼくはお城に戻るよ。みんなの安全のために。ぼく自身のために」 家族にはそう説明して、ジャンティーは夕食を切り上げた。  ───────────────────── 夜になり、ジャンティーはベッドに入った。 そして、野獣が説明したとおりに、枕元にもらった指輪を置いた。 一瞬にして、ジャンティーは古城の中に戻っていた。 この時間帯なら、もうじき野獣が部屋を訪れるはずだ。 遅くはなったけれど、約束はたしかに守った。 だから、許してくれるだろう。 断腸の思いで家族を残してこちらに帰ってきた自分を、迎え入れてくれるはず。 そう考えて待ってはみたが、いつもの時間になっても野獣は一向にやって来なかった。 ──どうしたんだろう?どうして来ないのかな? ジャンティーの胸が、不安で埋め尽くされていく。 ──ひょっとして、ぼくに怒っているのかな? それとも自分がいない間に、彼の身に何か起きたのだろうか。 そのとき、遠くから野獣の苦しそうなうめき声が聞こえてきた。 先ほど家にいるときに聞いた、あの声だ。 最初に聞いたときは幻聴かもしれないと思っていたのだけど、やはり野獣はどこかでもがき苦しんでいるのだ。 彼は間違いなくどこかにいる。 どこかで独りで苦しんでいる。 ──でも、いったいどこにいるの?

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