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第10話 2023年 青森
仕事がある光輝とはここで別れ、葵、空、アキラの三人は浜田山にある葵の家へと向かった。部屋に着くと、例のボストンバッグの中身を確認した瞬間、一同は混乱に陥った。
(ざっと見ただけでも、一千万円以上はありそうだ)
罪を犯しているわけではないが、彼らは得体の知れない後ろめたさに襲われ、冷や汗をかきながらバッグを運び込んだ。
「やっぱり、ドラゴンタトゥーの男って、普通の人じゃないよな…」
アキラが不安げに呟いた。
「警察に持っていった方がいいのかな…」
その問いに、葵は慎重に答えた。
「いや、彼は警察に見つからないように、わざわざ空に手紙と鍵を託したんだ。このお金をアキラに残したかったんだと思う。だから、俺たちは彼を探すべきだ、このお金を使って」
その時、空の弟である海が息を切らして部屋に飛び込んできた。
「何が起きたんだ?」
「そのボストンバッグを見てみろ」
空が部屋の真ん中に置かれたバッグを指差して言った。
「ボストンバッグ…?」
海は半信半疑でバッグのファスナーを引き、驚きの声を上げた。
「ななな…なんだこれーっ!」
空はその様子を見て、少し笑いながら言った。
「ドラゴンタトゥーの男からのプレゼントだよ」
葵と空は、今日までに起こった出来事を海に説明し始めた。海は驚きながらも、説明を黙って聞いていた。
「それで、この子がアキラくん」
葵が紹介すると、海は優しい声で言った。
「アキラくん…大変だったね。俺は空の弟の海。中学3年生だ。よろしくな」
「…よろしく」
アキラは小さな声で、うつむきながら返事をした。その姿を見て、葵はアキラが以前の快活さを失っていることに気づいた。今日の出来事が、彼に重くのしかかっているのだと感じた。
「明日から俺たちは、アキラを連れて青森県M市に行くつもりだ。ちょうど夏休みに入ったし。海、お前は東京に残って、アキラの家や『ドラゴン』の動きを見張ってくれ。もし警察が動いたら、すぐに知らせてくれ」
「お、おお、わかったよ。俺にできる範囲でやってみる」
動揺しながらも、海は頷いた。
「それと…手紙に、ドラゴンタトゥーの男が俺の父親を知ってるって書いてあった。彼は俺のことを『アレン』と呼んでいた。顔が似ているせいかもしれないが、それにしても偶然が過ぎる気がしてさ…」
「ドラゴンタトゥーの男が、葵の父親を知ってるって?本当か?」
空と海は驚きの声を上げた。
「母さんが帰ってきたら、彼について話してみようと思う。それと、青森に行く話もな」
「ただいまー」
玄関のドアが開き、葵の母親、葉子が帰ってきた。葵は一階に降り、今日の出来事を話し始めた。話がドラゴンタトゥーの男—岩田龍二の殺害に及ぶと、葉子は顔色を変えたが、口を挟むことなく話を聞き続けた。
葵はアキラを葉子の前に連れて行き、彼の肩に手を置いた。
「この子が岩田龍二さんとさゆりさんの息子、アキラ君だ。彼は…もう一人ぼっちなんだ。母さん、しばらくアキラを一緒に暮らさせてもいい?」
葉子の目は潤み、かすれた声で言った。
「もちろんよ!いつまででもいていいわ…!」
子はアキラをしっかりと抱きしめ、涙を流しながら言った。
「なんてかわいそうに…!10歳で両親を亡くしてしまうなんて…。でも大丈夫、私たちがあなたの新しい家族になるからね」
母親を幼い頃に亡くしたアキラは、葉子の温かい抱擁に少し戸惑いながらも、照れたようにしていた。
「あとね…母さん、ドラゴンタトゥーの男が父さんのことを知っているって言ってたんだ」
「な…何ですって?」
「もしかしたら、昔の知り合いかもしれない…」
「そんな…そんなこと、あるわけないわ!」
葉子は強い口調で葵の言葉を遮ったが、すぐに取り乱したことを謝った。
「…ごめんなさいね、色々聞かされて頭が混乱してしまったの」
「大丈夫だよ、当然だよ。それで、明日から空とアキラ君と三人で青森県M市に行くつもりなんだ」
「そんな…探偵ごっこみたいなこと、本当に大丈夫なの?心配だわ…どうか気をつけてね」
その夜、葉子が作ってくれたカレーを皆で食べた。暗い出来事が続いた一日だったが、その夕食は賑やかで温かな時間が流れた。
次の日の早朝、葵、空、アキラの三人は東京駅で新青森行きの新幹線「はやぶさ」に乗り込んだ。
「これ、はやぶさだよね!僕、初めて乗るんだ!」
アキラは初めての新幹線に少し興奮しながら笑った。そんな彼の笑顔を見て、葵はほっと一息ついた。
「まさか自分がこんな探偵小説みたいなことをすることになるなんて思わなかったよな…」
空は腕を組み、首の後ろに手をやりながら呟いた。
「空、お前の親戚に推理が得意な独身のおばあさんとか、変わった大学教授のおじさんとかいないのかよ?」
「そんな都合よく探偵がいるか!」
そんなやり取りをしながら、葵はいつの間にか眠りに落ちた。
青森駅からローカル線に乗り換え、下山駅へ向かった。青森駅を出発するとすぐに、緑豊かな田園風景が目の前に広がった。稲が青々と揺れる様は、まるで波打つ海のようだった。
列車が北へ進むと、遠くに青森の山々が姿を現し始めた。山肌には白く残る雪が夏の光を受けて輝いていた。その下には濃い緑の森が広がり、清流が木々の間を流れていた。
やがて列車は太平洋沿いの区間へ差し掛かる。穏やかな海は、空の青をそのまま映し出していた。水平線が果てしなく続く中、遠くには漁船がゆっくりと進んでいくのが見える。
下山駅が近づく頃、田園風景は再び姿を見せ、夕焼けの黄金色が水田の表面を染めていた。列車は静かに速度を落とし、目的地へと近づいていった。
空は、寄り添って眠る葵とアキラの顔を見つめながら、ふと思いを巡らせた。
(どちらも父親を失った子か…。でも待てよ。ドラゴンタトゥーの男はなんて言ったっけ?『葵の父親を知っている』…知っていた、じゃなくて知っている? もしかして、葵の父親は生きているのか?)
空がその考えにたどり着いた時、列車は下山駅に到着した。
駅舎は素朴な木造で、屋根の上には「下山駅」と書かれた色褪せた看板が掲げられている。周りには青々とした木々が立ち並び、背後には低い丘が広がっていた。夏の陽射しを受けた葉が、風に揺れてさわさわと音を立てている。
駅前の広場には数台の自転車が無造作に停められていた。数軒の民家や商店が点在し、地元の人々が穏やかな日常を過ごしている様子が垣間見える。遠くには、M市街地へと続く道が伸び、その先には青い海がちらちらと見え隠れしていた。
「さて…この後はバスに乗って市街地まで行こう。今日はホテルに泊まる予定だ」
「ずいぶん遠くまで来たな…アキラ君、疲れてない?」
「うん…ちょっと疲れたよ」
駅前には他に誰もいなかった。バス停の時刻表を見て、葵は眉をしかめた。
「次のバス、1時間後だってさ…」
「えーっ!1時間も来ないの?こんな田舎って…」
アキラが驚きの声を上げる。東京での生活に慣れている葵と空も、バスや電車が5分ごとに来るのが当たり前になっていた。
暑い中で1時間待つのはしんどい。葵はアキラにスマホでゲームをさせて時間を潰させた。午後4時半を過ぎた頃、ようやくM市街へ向かうバスがやってきた。乗客は、葵たち3人だけだった。
(ドラゴンタトゥーの男も、このバスに乗ったのだろうか…)
葵は窓の外を流れる風景を眺めながら、ふとそう考えた。彼がこの田舎町の出身ではなく、外から来たのではないかという感覚が頭をよぎる。
バスがM市の中心部に入ると、さびれた商店街やスーパー、コンビニが見えてきた。その光景を見て、葵と空は少し安堵した。
バス停から徒歩5分ほどの場所に、今日泊まる予定のホテルがあった。近くのコンビニでカップ麺とおにぎりを買い、部屋で食べることにした。
「疲れたーっ!」
葵とアキラはほぼ同時にベッドに倒れ込んだ。そんな二人の様子を見て、空は微笑んだ。
「お前ら、ほんとによく似てるな…ベッドは二人で使っていいよ。俺はソファで寝るから」
シャワーを浴び、簡単な夕食を済ませると、アキラはすぐにベッドで眠りについた。
葵と空は、窓の外に広がる静かな市街地の夜景を眺めながら、カップラーメンをすすっていた。
「葵は…ドラゴンタトゥーの男を見つけたら、どうするつもりなんだ?」
「うーん…特に考えてない。ただ、彼から直接話を聞きたいんだ。俺は彼が本当に殺人犯だとは思ってないし」
「…まだ彼のことが好きなのか?」
空の問いに、葵は少し顔を赤らめながらも、はっきりと言った。
「うん、好きだ。たとえ世界中の人が彼を敵だと思っても、俺の気持ちは変わらない」
空は切なげに微笑んだ。
「そうか…葵は本当に真っ直ぐだな」
「それより…お前はどうなんだ?」
「えっ?」
「好きな人、いるのか?」
「…うん、いるよ」
「えっ、そうなの?!俺の知ってる人?知らない人?どんな人?空のお前のそういう話、初めて聞くな」
葵は驚いて、身を乗り出した。
「すっごい綺麗な人なんだけど、すっごく鈍感で、全然空気が読めない奴だよ」
「ハハッ、なんだそれ!そんな女の子いるのか?」
葵は笑い、少し真剣な表情になって空の目を見つめて言った。
「俺は絶対にお前を応援するよ!今度、紹介してくれよ」
「あ…ああ…」
「よし!明日も早いし、今日はもう寝よう。おやすみ、空」
「おやすみ、葵」
葵はアキラの隣に入ると、すぐに寝息を立てた。空は、葵の寝顔を見つめながら、胸の中で切ない思いを抱えていた。
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