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奏は窓を開けぼんやりと外を眺めていた。
(ここを上がって行けば……あの崖に辿りつく……)
最後に行ったのは二日前のこと。
(たぶん、もうひーくんは来ない。休日は終わったんだ)
それでも行く気には慣れなかった。
(撮影、いつまでなんだろう。撮影が終わったらまた……)
一人であの崖に座り、緋色と過ごした時間を想おう。
奏は窓を閉めてソファに寄りかかった。
身体を冷やしすぎないくらいに適温に保たれた部屋。壁には『なないろ』のポスター。勿論『緋色』オンリーのもある。ローチェストの上には推しカラーのグッズが並んでいる。
ソファの前のローテーブルの上にはパソコンが置いてあって、父親の会社の仕事の手伝いをしている。
この部屋の中が、奏の世界のすべてだ。
(こんな僕が少しの間だけど『緋色』と過ごしたなんて……健康な別人を演じて……夢のような時間だった……)
でも、夢は覚めるものだ。
奏は一つ小さく溜息を吐 くと、パソコンに向かった。
「あれ……」
テーブルの上に置いたスマホが点滅で通知を知らせていた。
(誰だろう……)
奏にとってはスマートフォンはほとんど持っている意味がない。連絡先は父親、従弟の彼方とその妹の希空 くらいだ。母親は常に家にいるので必要もなかった。
(希空かな)
希空はなないろのことで時々ラインをくれる。グッズも希空がライヴに行って送ってくれたものだ。
スマホ見ると、ラインのアイコンのところに通知のサインが見えた。
「え…………」
ラインを開いて固まる。
『奏具合いどう?』
『もう一度話がしたい』
『スケジュール空いたら連絡する』
「ひーく……ええ〜っっっ」
『奏』には珍しい大声が飛び出してきた。
「い、いつの間にっ交換をっっ」
自分には全く身に覚えがない。となると。
「僕が気を失ってる間に?」
自分のスマホを誰かが見る可能性はほとんどなく、ロックすらかけていなかった。
(嬉しい……でも……)
奏はそれに返信せずにスマホを置いた。
(今だけ、今だけだ。再会して懐かしかったから。たまたま近くにいるから……)
それからも何度かメッセージが届いた。心苦しく思いながらも奏は返信しなかった。
『明後日東京に帰る』
『明日の午後時間空くから会えないかな?』
『あの崖で待ってる』
「ひーくん、ごめん。僕は行けないよ」
壁に飾られた『緋色』のポスターが涙で滲んだ。
その後、緋色からの連絡はぱたりと来なくなった。
それからひと月程が経ち、九月も終わりを告げる頃。
『今度の日曜そっちに行く』
『そこって結構花火大会多いのな』
『六時半にこの間の場所で』
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