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思いの外ムッとした表情もしていない。
(えっほんとに? なんか裏あったりしない?)
それでも疑う気持ちはなくならない。
煌はコートとセーターを脱いでリビングのソファーに置くと、立ち尽くしている彼方のジャケットを脱がしにかかった。
(ほんとにほんとに何もない?)
トレーナー越しに触れる手にもどきどきしてしまう。
背中を押されて寝室に入るとやはりいろいろ思いだしてしまって胸が激しく音を立て始める。
彼方がベッドの前で動かなくなると脇から上掛けをめくる手が見えた。
「なにしてんだ? 眠いんだろ」
「あ……はい」
言われるままベッドに乗りこんで上掛けをかける。煌がどうするのかはわからなかったがとりあえず端に身体を寄せて煌から背を向けて目を瞑った。
「俺は……どうするかな。シャワー……」
独り言なのか彼方に聞かせているのか、その呟きは彼方の耳にも届いていた。
「や、俺もシャワーは明日にするか」
彼方の背後でキシッと微かな音がして、背中に温もりを感じた。
(こ、煌さんっ)
眠いけど眠れるわけがなかった。腹に手が回りぎゅっと抱きしめられる。それから首筋に温かな吐息を感じた。
(あ……唇が……)
項にちゅっと軽くキスをされそのまま唇は押し当てられたままだ。
(煌さん、やっぱり……っ)
このまま行為に及ばれたら自分はやっぱり流されてしまうのだろうか、と考える。
でも。
「おやすみ、彼方」
項に唇を押し当てたまま紡がれた言葉は酷く優しい声音だった。
(セックスせずに抱きしめられたまま眠る……こんなのきゅんでしょー)
しばらくきゅんきゅんしていたがさすがに疲れていて五分後には完全に眠っていた。
* *
ぱちっと目が覚める。
めちゃめちゃ爽快な気分だった。
「今、何時だろ」
相変わらず煌の手は彼方の腹に回っていたが何か違和感を感じた。
「もう午後二時だけど」
寝ているとばかり思っていた煌が彼方の頭部に向かって答えた。
「えっもう、そんな時間?!」
ベッドに入ったのが七時くらい。七時間くらい寝ていた計算になる。最近はそんなに睡眠時間は取れていなかった。
(どうりですっきり目覚めたはずだよ)
くるりと反転すると寝転んで片手で頭を支えた格好でにやにや笑っている煌と目が合った。
その時違和感の正体に気づいた。煌は昨日寝た時とは違う服を着ていたのだ。
「煌さん……起きてたんですか……」
「そうだなぁ。十二時過ぎくらいに目が覚めたかなぁ」
「えっ起こしてくれればよかったのに」
『推し』であり『大先輩』である煌より遅くまで寝てたとは不甲斐ない。
(や、起こして貰うのもどうかと思うけどっ)
「だってお前、疲れてるみたいだったからさ。俺たち三日まで休みだから今日は寝たいだけ寝てりゃあいいと思ったんだ」
煌の顔が見たこともないような優しげな表情になる。『白王子』の時とも違う。
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