141 / 146
32
「あ、洗面所借りるね〜」
クリスが餌を食べ始めたのを眺めてからウイは言った。「うっす」と短い返事を貰ってからその場を離れる。
ウイは洗面所の鏡に向かうと丁寧に化粧を落とし始める。
ここにはもうすでにウイ用の物が取り揃えてあった。クレンジング、洗顔、化粧水などのスキンケア用品。歯ブラシ、歯磨き粉。
自宅から来る時はすっぴんだが、今日は出先から来ているのでメイクをしていた。
トワとプライベートで会う時はすっぴんでいることにした。それは、どうやらトワがすっぴんのウイのほうが好みらしいと感じるからだ。
(あん時もやたら可愛いとか言ってたもんなー)
ウイはあの怒涛の『一夜』を思い浮かべた。
それにいつもメイクしている二人は、ノーメイクに、BLACK ALICEの時にはぜったい着ないような服装でいれば、ぜったいバレないと分かったのだ。
(あ、でも映画公開のあとはまた気をつけなきゃだなー)
洗顔の後はもちろん手入れを怠らない、が自宅のようにゆっくりやっているわけにはいかない。ちゃっちゃっと終わらせて部屋に戻る。
「お待たせ〜」
トワが冷蔵庫から缶ビール二本とつまみをローテーブルの上に並べていたところだった。
「トワたんありがとー」
そう言いながらトワの向かいに座る。誰か来ることを想定していないテーブルは、一、二人で使うような狭さだ。向かい合ってもけっこう距離は近い。
「トワたん言うな」
いつも通りの彼の態度にふふっと笑いがこみ上げてきた。
プシュプシュッと二人同時にプルタブを引く。トワがそのまま口に持っていこうとするのを阻止するように、ウイはすかさず缶を突き出した。
「かんぱ〜い」
「……乾杯」
渋々という感じでトワは目の前の缶に軽く当ててくる。
「『黒薔薇の微笑』オールアップおめでとー。お疲れ様ー」
今日一日何回も言った言葉だ。
ノリのよい鎌田監督がキャスト、スタッフ全員に声をかけ、『お疲れ様会』が催された。有名ホテルの小ホールを貸し切っての開催だった。
オールアップ前から打診があり、今後のことも考えてSAKUプロ社長から、BLACK ALICEはマネージャーのハクトを含む全員参加のお達しがあった。
ユエはぶちぶち言っていたが、そこはソウが説き伏せていた。
ウイはいつもの調子で挨拶しまくっていた。
会も佳境に入り、それぞれ話に花を咲かせている頃、ウイはそっとその場を離れた。壁に寄りかかって烏龍茶を飲んでいるトワに近づいた。
「トワたんはソフトドリンクか。今日はバイク?」
「今日も、な」
事務所まではバイク。会場はハクトの運転する車で全員で来た。
「ハクトさんに送ってもらえばいいのに」
ハクトも運転手なのでソフトドリンクだった。
「や、いいよ」
「ふぅん」
酒に強いウイだが、顔はほんのり赤らんでいるのがメイク越しにも分かる。酔った振りをしてトワに急接近。耳元で囁く。
「ね、今日行ってもいい? トワも飲みたいでしょ? 二人で乾杯しよ」
振りでもしなきゃ言えない言葉だが、当然トワにはバレているだろう。
「好きにしなよ」
相変わらずの無愛想な塩対応。しかし、迷惑がっているわけではないとウイには分かっている。本気で駄目なら返事はしないし、そうであればウイもすぐ引くことにしている。
それが今の二人の距離感だった。
事務所でメンバーと別れた二人は、トワのバイクに二人乗りをし、トワの自宅に帰った。
バイクに乗せて貰うのも何度目か。
トワの腹に手を回し、ぎゅっと背中にしがみつく。
それだけで、自分は特別なのでは? と思わせられ幸せな気持ちになれる。
ともだちにシェアしよう!

