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第11話

 南米産のビーフジャーキーや赤ワインを贈答用に包むのも、婆ちゃんや叔母ちゃんにはお手の物である。  病院に運んでくれた客へのお礼とあぐりが口にしたのは、本城駅ビルの名店街で(この辺ではそこが唯一の高級品売り場である)どんな商品を(あがな)えばいいのか相談するつもりだったが、 「じゃあ、パラグアイから来たあれでいいじゃない」  と二人口を揃えて言うのだった。  あぐりとしては田上真生に贈る品は自分の金で買いたかったが、プロ並みの技術で包装されて手提げ袋に入れられると断ることはできなかった。  宅配ドライバーの仕事は必ずしも土日休ではないし、産婦人科医もそうだろう。土日配送に訪れては不在票を投函しているのだ。  礼に行きたいとLINEで予定を問えば、礼は不要とにべもない。となれば、適当に行くしかない。シフト外の土曜日に本城駅裏のごみごみした街を訪れた。  未だに包帯が巻いてある左手にはパラグアイ名産品の手提げ袋を下げて、右手には空のキャリーケースを下げている。あの時、国分寺町まで野良の三毛猫を入れて帰った物である。  外の路地とブロック塀で仕切られたアパートの通路を奥に向かう。するとドアが開いて田上が顔を出すのだった。  何故いつもあぐりが来るタイミングでドアを開けるのだ?  その場で足を止めて「あ、どうも」と言えば「どうも」と返される。  いや、お礼に来たのだからと足を進めて玄関の前に立つと、改めて頭を下げた。 「先日は大変お世話になりました。ありがとうございました。今日はお礼に伺いました」  手提げ袋を差し出すと、田上は大してためらわずに受け取った。贈答品をもらい慣れている。そんな気がする仕草だった。 「あと、これ……」  猫用キャリーケースを差し出すと、田上は黙ってそれを見つめた。 「よかったらお焼香でもしてやってください」  なるほど室内から線香の香りが漂って来る。首をかしげながらも促されるままに玄関に入る。  そして室内に上がったところで、 「おい!」  にわかに怒鳴られた。 「はあ?」  と示された先を見て呆然とする。靴を履いたまま台所に上がっている。 「あっ、やっ、すすすいません。ごめんなさい」  あわてて玄関に戻ってスニーカーを脱ぐ。田上は吹き出して笑った。凶悪顔がまた一気に丸みのある表情になる。 「いくらボロアパートでも、靴のまま上がるか?」 「こ、こないだ靴のまま台所で、だから……」 「あれは緊急だったからだ。しっかり洗ったつもりだが菌が入ってたんだな。悪かった」 「いえ、違います。田上さんのせいじゃないです」  主任に傷口をべろべろ舐められたことを思い出し同時に〝HIV〟発言まで蘇り、くらくらする程の怒りに駆られる。 「まだ熱がある?」  心配そうに顔を覗き込まれて、強く首を横に振った。  2Kのアパートだった。細長い台所はLDKではなく単なるKと呼ぶべきだろう。あぐりが招じ入れられたのは居間らしき六畳間だった。押し入れの襖は勉強机や医学書が並ぶ書棚が塞いでいる。  向かい側の棚にはテレビやパソコンが並んでいる。その横に純白の小さな骨袋と三毛猫の写真が並んでいた。手前には香炉や鈴も並んでいる。 「これ……リリカちゃん?」  振り向くと田上が頷いて手を差し伸べている。  仕方なく置いてある箱から線香を取りライターで火を点ける。  細い煙をたなびかせる線香を香炉に差すと、両手を合わせた。 「観自在菩薩行深般若波羅蜜多時照見五蘊皆空度一切空厄舎利子色不異空空不異子色色即是空空即是色受想行識亦復如是舎利子……」  般若心経(はんにゃしんきょう)である。  あぐりは筋金入りのお婆ちゃん子であるからして、毎朝の亡き祖父や母へのお勤めで諳んじているのだ。お経の最後にもう一度鈴を鳴らして振り向くと、いつの間にか正座していた田上真生は、 「ご丁寧にありがとうございました」  深々と頭を下げた。  立ったままお経を上げていたあぐりは向かい合って正座した。  なかなか顔を上げないと思っていたら、涙ぐんでいるようだった。  田上が顔を向けている方に目をやると、クッションを敷いた籠があった。おそらくリリカの寝床だろう。先ほど返したキャリーケースがその横に置いてある。 「リリカちゃんは、いつ?」  尋ねるのに対して、 「すみませんでした」  と田上はまた頭を下げた。 「あの時……おたくに電話した時は、もう亡くなっていました」 「えっ、亡くなっていたのに電話を?」 「いえ、そうではなく」  と、ようやく田上は顔を上げるとまっすぐあぐりを見つめた。何故か今度はあぐりが目をそらしてリリカのベッドを眺めた。

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