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第14話
田上真生と新宿末廣亭でデートをする。寄席がはねたら新宿二丁目に移動して酒と食事。そして、あわよくばホテルまで……。
あぐりは一人ベッドで妄想にふける。頬はにたにた緩んでいる。
江口主任はあれ以来、あぐりにあまり近づかない。あぐりもなるべく見ないようにしている。本城駅裏のラブホで見たのが主任だったのか似た男だったのか、もはやどうでもいい。
もともとあぐりは主任に恋愛感情は抱いていない。同じ職場に同性愛者がいて、それが嫌悪感を抱かない程度の男で、口説かれたら関係するにやぶさかではない。身も蓋もないがセックスフレンドに過ぎない。
とはいえ今、早計に江口主任と別れるのは如何なものだろう。田上真生があぐりにそれ程好感を抱いてない可能性もある。とりあえずセフレはセフレとして確保しておく方が得策だろう。
などと一人ベッドで思い巡らせるうちに、神まで持ち出す同性愛者に比してレベルの低さがハンパないと少しへこむ。
ともあれ。初心者を落語に連れて行くなら、より良いものを聞かせてやりたい。
「友達が寄席に行きたいって言うんだけど。いつの芝居がいいかな?」
などと、つい婆ちゃんに相談してしまうのが、末っ子の甘々なところである。
夕食の席である。欅の立派な一枚テーブルの片隅に、ちんまり三人が集って食べるのだ。婆ちゃんは焼きたての秋刀魚にのせた大根おろしに醤油をかけながら、
「私なら今月は末廣亭の中席の昼を聞いてみたいね。あの二十人抜きの抜擢真打がトリなんだよ。今じゃテレビやラジオにも出ている人気者だよ」
あぐりも、秋刀魚の身と大根おろしをご飯にのせて盛大にかっ込む。今の時季なら誰かしら「目黒のさんま」をかけるだろう。
落語ではそんな風に季節の噺を楽しむことも出来る。
そして、あの有名な二十人抜きの抜擢一人真打 (それが何かは真生に説明する準備も出来ている)なら初心者でも楽しめるだろう。幸いなことにあぐりも真生も平日の休みがある。空いている昼席でまったりと落語を聞くのも悪くない。
にやにやとほくそ笑んでいたのは、婆ちゃんが卓上カレンダーを手にして、
「デイケアや病院がなくてヘルパーさんが来ない日だと、この日が空いてるね」
と自分のスケジュールを言い出すまでだった。
「寄席に行くなんて久しぶりだねえ」
しみじみ言われて慌てて「いや、今回は俺と友達だけで」「新宿は混雑して危ないから」などと言い訳をした揚句の、
「落語なら本城コンサートホールで新春寄席があるから」
という言葉が火に油を注いだ。
「来年の新春寄席なんか私はもう行けないよ。今年中に老人ホームに入るんだから」
「いや、老人ホームでも外出は出来るし」
「来年まで生きられるかどうかわからないのに! あぐりの友達は婆ちゃんが一緒じゃ嫌なんて……そんな意地悪を言うのかい!?」
言い張る婆ちゃんである。
ほうじ茶を淹れていた叔母ちゃんに救いを求めて目を向けると、
「そうよねえ。みんなで一緒に寄席に行くなんて最後かも知れないわね。私も行きたいわ」
……って、待てよ!
みんなって何なんだ?
叔母ちゃんまでついて来るのか?
デートなのに‼
女二人を阻止することが出来ず、二階の自室で殆ど泣きそうな声で真生に電話をすると、
「だから言ったろう。女を人生から省いちゃいけないって」
と、げらげら大笑いをされる。
「あの、真生さんと出かけるのはまた今度ということで……」
「何で? いいよ。あぐりのお婆さんと叔母さんに会ってみたい」
あれ? 名前で呼ばれてる。
そのことに喜んで、つい「うん」と頷いていた。
かくして新宿末廣亭十月中席昼の部に、あぐりと婆ちゃんと叔母ちゃんと田上真生の四人で繰り出すことになった。
デートというより大人の遠足だった。けれどそれも平穏無事に終わるものではなかった。
昔は電車で新宿駅まで出て、そこから末廣亭まで歩いたものだが、今の婆ちゃんには酷だろう。あぐりが中古のホンダを運転して行くことになった。後部座席に婆ちゃんと叔母ちゃんを乗せて、本城駅前で待つ真生をピックアップする。
助手席に乗って来た真生はスーツでネクタイまで締めている。これまでに見た服装といえば、くたびれたTシャツに膝の出たチノパンというあのボロアパートにふさわしいものだった。
「寄席は普段着でいいんだよ」
と言いながらも見惚れてしまう。
「一応、伝統芸能観賞だから……」
と言う真生である。
後部座席の女性陣は、ほやほやと音のしそうな笑顔で見ている。
あぐりはユニクロの普段着で来たことを大いに後悔するのだった。
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