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第6話

 玄関を飛び出しても家の角を回ってこの駐車場に来るには少しばかり距離がある。勢いよく走って来た叔母ちゃんは、地面に敷いた砂利に足を取られてたたらを踏んだ。 「よかった、お婆ちゃん! どこまで行ってたの?」 「本城駅南の坂上神社にいた」 「坂上神社って……あんな所まで歩いて行ったの?」 「多分、真柴駅から電車で本城駅に出て、バスで坂上神社まで行ったんじゃないかな?」  呆然とする叔母ちゃんに推測を話しながら、あぐりは婆ちゃんのシートベルトを外してやった。  意外と人は老人に目を留めない。迷子になって何度も探すうちに気がついた。  真柴駅のような小さな駅ならば無賃乗車は簡単に出来る。この辺の悪ガキどもは学生時代に一度はやったことがあるはずだ。都心から通勤客が帰る時間帯でもある。バスも何とか紛れ込んで乗ってしまったのだろう。  婆ちゃんは車を降りると、ためらうことなくまた家の外に出て行こうとする。叔母ちゃんが砂利を蹴立てて全身で婆ちゃんに飛びついた。 「どこに行くの!」 「あっちゃんがいないよ。探しに行かなきゃ。あっちゃんはどこに行ったの?」 「いや、婆ちゃん。俺ここにいるって。あぐりだってば」  言われて婆ちゃんはあぐりの姿をじろじろ眺めて、 「何言ってんの、この人は。あっちゃんはまだ赤ん坊じゃないか」  崇兄ちゃんは十才年上だから、それがはにわ公園に遊びに行く小学生なら、あぐりはまだ赤ん坊である。その辺の辻褄は合っているが、婆ちゃんの記憶は何年前に飛んでいるんだ? 「あっちゃんはもう大人なの。お婆ちゃんが探さなくてもいいの!」  怒鳴るように言って叔母ちゃんは、その腕をぐいぐい引っ張って玄関の中に入って行った。  今、自家用車の駐車場になっているのは、家の横手のプレハブ物置小屋の前である。じめじめした北向きの明かりもない薄暗がりである。  以前は大吉運送のトラック駐車場に自家用車も停めていたが、今そこは月極駐車場になっている。  あぐりのホンダや叔母ちゃんの軽自動車は暫定的にこの位置に停めてある。それに昔誰かが使っていた自転車やバイクなども並んでいる。  土地はそこそこあるから何でも置けるが、仮置きというイメージは否めない。  足元を良くするつもりでぬかるみに砂利を敷いたが、逆に足をとられがちで年寄りがいる家には危険でしかない。何か対処しなければと思ったきり手つかずである。 〈婆ちゃん見つかったよ。すみませんでした〉  主任にLINEを送る。 〈明日のシフトは午前中だろう。午後にまた続きはどうかな?〉 〈ごめん。明日午後は用がある。また今度お願いします〉  明日の午後は真柴町の地域包括センターからケアマネージャーがやって来る。これまで要支援だった介護認定の再調査である。おそらく要介護になるだろうが、叔母ちゃんとあぐりで婆ちゃんの現状を話さなければならない。  横浜の兄や浦安の次姉も帰って来て今後の介護計画について家族会議も開かれる。そのためにわざわざ午後休にしたのだ。主任にはシフトを組む時に言ってあるはずだが。  ちなみに五年前に亡くなった爺ちゃんは倒れるなり寝た切りになった。要介護5と認定され、すぐに特別養護老人ホームに入居出来たのは不幸中の幸いだった。  叔母ちゃんはパートを休んで腰を痛めながら、寝たきりの爺ちゃんのおむつ替えから褥瘡防止の寝返りまで面倒を見たが短期間で済んだ。あぐりはたまにそれを手伝っただけである。  ため息をつきながら玄関を入ると、婆ちゃんが飛び出して来た。胸には黄色いケロリン桶を抱いている。 「市川湯で一風呂浴びて来るよ。みんなもう行ってるんだろう。松枝ちゃんに挨拶しなきゃ」 「松枝さんはもう施設に入ってるの! 市川湯が最後の日に挨拶に行ったでしょう!」  部屋の奥から叔母ちゃんが怒鳴っている。語尾全てにビックリマークが付くのは如何ともし難い。 「婆ちゃん。市川湯はもう何年も前に取り壊しになって、今はマンションが建ってるよ。ドライバーのみんなも、もういないんだよ」  と、あぐりは婆ちゃんの背中を抱くようにしてまた家の中に入らせた。  かつて真柴本城市内には何軒も銭湯があった。あぐりが幼い頃は、ドライバー達が仕事を終えると徒歩五分の市川湯にこぞって入りに行ったものである。婆ちゃんの記憶はその頃に戻っているようである。  今や真柴本城市に銭湯が何軒残っているのか、あぐりには知る由もない。  時々あぐりは自分もパラグアイでも横浜でもいいから逃げたいと思ったりする。けど叔母ちゃん一人を残して行くわけにはいくまい。  またため息をつきながら二階の自室に上がるのだった。

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