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第7話
「せんど仲買の弥一が取り次ぎました道具七品のうち、祐乗光乗宗乗三作の三所物、ならびに備前長船の則光、四分一拵え横谷宗珉小柄付きの脇差な……」
大音声で叩き起こされ、慌てて起き上がろうとした途端にベッドから転げ落ちた。
「ばーーーちゃーーーーん!!」
音に負けない大声で絶叫した。もう一度叫ぼうと思う頃に音は小さくなって消えた。落語「金明竹 」である。
あぐりはまだ頭がぐらぐらしたまま床に寝そべっている。窓からはカーテン越しに朝の光が差し込んでいる。スマホは見えないが、おそらく朝四時頃だろう。
落語は祖父母の代から家族の趣味である。土曜や日曜になると、夜も明けぬ早朝に落語番組がある。それを見るのが婆ちゃんの習慣で、次第に音量が大きくなっては叔母ちゃんがボリュームを下げるのがここ最近の新しい習慣である。
早朝番組など録画して見ればいいものを、年寄りはリアルタイムでテレビ前に陣取って見ないと気が済まないらしい。
テレビも大吉運送の名残ででかい。食堂からも居間からも見える60インチである。その音量を最大にして見るのだから二階のあぐりの部屋の床さえ震える。
「あっちゃん。仕事に行くんじゃないかい? あっちゃん」
気がつくと婆ちゃんに身体を揺すられていた。
「金明竹」で叩き起こされて床に転げたまま、丸まって二度寝をしていた。毛布も掛けていないから身体が冷えたのか、ぼんやり熱っぽく頭痛もする。のろのろと起き身支度をしたが食欲もなく、ほうじ茶だけ啜って車に乗った。
「今日は午後からケアマネさんや横浜の崇さんが来るから。なるべく早く帰って来てね」
と勝手口から出て来た叔母ちゃんが言う。車窓を覗き込んで今更、
「どうしたの、その手?」
と示すのは左手の甲である。夕べ帰ってから猫のひっかき傷に貼った大判バンドエイドが半分剝がれかけている。
「別に」
と右手で押さえるが、なかなか素直に貼り付かない。粘着力が落ちているのだろう。
家の救急箱が充実しているのも大吉運送の名残である。大きな箱に絆創膏に包帯、湿布薬、消毒薬など家庭用常備薬が詰まっている。
そこから適当に抜いたバンドエイドは消費期限が過ぎていたのかも知れない。
剥がれかけのバンドエイドがひらひらする左手でハンドルを握るのが鬱陶しい。
頭はずきずきと鼓動に合わせて痛んでいる。起き抜けよりも更に頭痛が激しくなっている気がする。
土曜日指定の荷物がいくつかあった。田上真生宛にも書籍や贈答品らしい箱が三つも届いている。本城駅南の狭い路地にトラックを停めて、荷台から出した箱をまじまじと眺める。
出荷元の〝Amazon〟は誰でも知っているだろうが、もう一社の名称〝ゴールドバンブー〟は知る人も少ないだろう。
贈答品を装ったデザイン段ボール箱で中身は「雑貨」などと記してあるが、実際はバイブかTENGAかローションか。大人の玩具に違いない。所謂アダルトグッズの販売会社なのだ。
木造モルタルアパートに向かいながらニヤニヤしてしまう。あの偉そうな男がネット通販でこそこそと大人の玩具を買い漁っているなど大笑いである。
いや、普段はお客様の荷物を詮索などしない。プロの宅配ドライバーであるからして。足軽運送では、仕分、荷組、運転、配送、接客、全ての項目で「特A」評価を誇る篠崎あぐりなのだ。
ドアをノックしようとした途端に向こうから開いた。
「足軽運送です。たがみまお様にお届け物。三つです」
いつもは田上様で切り上げるところをちゃんとフルネームで呼んでやった。
どうだどうだと自慢顔で箱を差し出してから気がついた。〝ゴールドバンブー〟はゲイ専門のアダルトグッズ店である。だからこそ、あぐりが知っているのだ。
思わず箱越しに田上真生の顔を見つめてしまう。起き抜けなのか後頭部の髪が寝ぐせでツンツン立っている。
三枚の受領書に判子を押してもらう間も、失礼なまでに顔を凝視していた。どうも足元がふわふわして立っているのがきつい。努めて姿勢を正す。
「ちょっと待って」
と田上真生は三つの箱を床に置くと、台所の隅にある例の黒い往診バッグを開けて、
「測って」
また命令口調で体温計を差し出した。
思考力が失せたまま、あぐりはそれを脇の下に挟んだ。左手がひやりとすると思ったら、田上が掴んだのだった。
改めて見る自分の左手は甲のひっかき傷を中心にぱんぱんに膨らんでいる。バンドエイドはいつどこで剥がれたのか、姿形もない。何となくあたりを見回しながら、
「それ、ゴールドバンブーの商品でしょう」
と目についた件の箱を指差している。
チチチチと小鳥が脇の下で鳴いている。いや体温計だった。
「39度2分」
勝手に脇の下から取り出して田上真生が言う。
「へへっ」
と篠崎あぐり。何故笑った?
今度は額が冷たくなった。額に手を当てられたのだ。
「それ、ゴールドバンブーの商品? ねえ。ゴールドバンブーでしょう?」
と、しつこくにやにやするあぐり。
「だから?」
と田上真生が思い切り不愉快そうな顔をしたのが記憶の最後だった。
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