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第16話
「ねえ、お婆ちゃんは?」
と叔母ちゃんが戻って来たのは、開演五分前のブザーが鳴ってからだった。真生も既にトイレから戻って席に就いている。
「トイレにいないのよ。客席を見て回ったけど見当たらないし……」
あぐりは血の気が引く思いで立ち上がった。
「婆ちゃん! 婆ちゃん!」
大声で客席を呼ばわる。三百余席のキャパシティの会場は、人気真打のトリのため満席に近い状況である。それらの客が怪訝そうにこちらを見ている。
叔母ちゃんは係員に婆ちゃんを見なかったか尋ねている。あぐりもスマホの待ち受け画面を出して、
「この人を見ませんでしたか?」
と観客に聞いて回った。
出し抜けに肩を叩かれてぎょっとする。振り向くと真生がスマホを差し出していた。
「その写真、こっちに送って」
慌てて写真を送信する。少しばかり指先が震えている。真生は画面に婆ちゃんの写真を確かめると、
「外を一回りして来る」
躊躇なく寄席を飛び出して行った。
一瞬にしてあぐりの待ち受け写真の意義を理解した。
〝ババコン〟などと言う男とは違う。
と惚れ惚れしている場合ではない。
あぐりは再度、客席や桟敷席にスマホの写真を見せて回った。
開演ブザーが鳴るまでの五分間で、婆ちゃんは場内にいないと判断できた。寄席を出て行ったと考えるしかない。
すごすごと外に出ると、真生が走って戻って来るところだった。
「この建物を一周したけど、お婆ちゃんはいなかった。あそこに交番があったから届けて来た」
と言いながら、あぐり達がまだ祖母ちゃんを見つけていないことを知って、
「どこから探す?」
と辺りを見回す。
何なんだ。この適確で素早い行動は?
あぐりが呆然としているうちに真生は指示を出している。
叔母ちゃんは婆ちゃんが戻るかも知れないので末廣亭前で待機。あぐりはJR新宿駅に向かって探して行く。真生は地下鉄新宿三丁目駅方面を探して行く。
そして、ぬかりなく真生は叔母ちゃんと電話番号の交換をしているのだった。
あぐりが走り出したのは、かつて爺ちゃんや婆ちゃんに手を引かれて歩いた道だった。すれ違う人々に待ち受け画面を見せながら小走りに行く。
JR新宿駅の改札口まで辿り着くと足を止めて辺りを見回した。平日の昼間なのに人でごった返している。続々と湧いて出る人並みに酔いそうな気がする。この中に婆ちゃん一人を探すのは不可能だろう。
呆然としながら今度は別の通りを末廣亭に戻って行く。
そこにスマホの着信音が鳴った。婆ちゃんの携帯電話からだった。
「こちらは伊勢丹新宿店と申しますが、篠崎スヱ様の携帯電話からかけております」
婆ちゃんに持たせているガラケーから電話をしているのは、伊勢丹新宿店の店員だった。
実は婆ちゃんは自分では殆ど携帯電話を使えない。けれど携帯させているのは、こんな時のために緊急連絡先を入れてあるからだった。
老舗デパートの店員は見事にそれを見つけて連絡してくれたのだ。
あぐりは叔母ちゃんと真生に電話でそれを伝えながらデパートに向かって走った。
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