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第25話

「スプリンクラーが作動しなくてよかったよ。家中に水を撒かれたら偉い騒ぎだったよ」  そう言ったのは富樫のおっちゃんだった。  叔母ちゃんが呼んだのだろう。消防車と殆ど同時に到着していた。  乗って来たバンの横腹には〝便利屋とがし〟とペイントされている。  くしゃくしゃの天然パーマが四方八方に伸びているおっちゃんは、叔母ちゃんと並んで消防隊員の調査を見守っている。  パジャマのままだったあぐりは自室で服に着替えようとして全身から異臭が漂っていることに気が付いた。髪にも衣類にも焦げた炊飯器のケミカルな臭気が染みついている。  仕方なく風呂場で頭からシャワーを浴びた。  と、浴室の扉を開けて祖母ちゃんが覗き込んだ。 「あっちゃん。出かける前にお爺ちゃんとお母さんに挨拶して行くんだよ」  両手にはまた火の点いた蝋燭立てを一本ずつ握っている。  これはホラー映画の一場面か?  炊飯器を焼いた老婆が炎ゆらめく蝋燭を手に仏間から風呂場までさまよい歩いている。  あぐりは物も言わずに持っていたシャワーヘッドを祖母ちゃんに向けた。迸る湯が蝋燭の火を消して、婆ちゃんの身体も濡らした。 「な、何をするの! あっちゃん。婆ちゃんにこんなことして、何て子なの!」  あぐりは大声で叔母ちゃんを呼びながらバスタオルで婆ちゃんをごしごし拭いた。自分の身体を拭くのはその後だった。 「え、仕事に行くの?」  出勤の支度を整えたあぐりに、富樫のおっちゃんはひどく意外そうな声を出した。 「叔母ちゃんは今日休みだし。よろしくお願いします」  頭を下げながら、今やこんなことは日常茶飯事で仕事を休むまでもないのだとうんざりする。  消防士の質問にはあらかた答えたのだ。今は濡れた服を着替えた祖母ちゃんと手をつないだ婆ちゃんとが聞き込みをされている。 「最近、忙しくなってるもんで。すみません」  と、またおっちゃんに頭を下げる。それは事実だった。最近やたらに物量が増えている。ベテランドライバー及川さんの退職だけが原因とも思えない。  それでなくとも、あぐりは婆ちゃんの介護で遅刻や早退が多いのに、猫傷の熱でも休んでいる。みんなに迷惑をかけてばかりである。  駐車場の砂利を踏んで車に乗り込む。ここで真生と抱き合ってキスをしたなど何億年も前のことに思える。  煙で赤くなった両目は中古のホンダを運転している間もぽろぽろ涙をこぼしている。眼科に行った方がいいのだろうか。視界が曇るたびに腕で目を拭っては会社に向かった。  事務所に到着したのは昼休みに近い時間帯だった。 「あらら。あぐりくん変な匂いがするね」  真っ先に気づいたのは事務所で伝票処理をしていた三田村さんだった。アルコールチェックをしているあぐりに近づいて来て、鼻を動かすと「髪だわ」と断言する。あの異臭はシャワーを浴びただけでは取れなかったのか。  午前中の配送を終えて戻って来たドライバー達も、 「この部屋、おかしな匂いがしない?」  きょろきょろと部屋中を見回して、あぐりに注目するのだった。

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