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第35話
トラックは本城駅裏の隘路に入っていた。
「こんな狭い道にでかいトラックで入ってんじゃねーよ!」
向かいから来たベンツに怒鳴られる。スモークガラスの窓から顔を出しているのは、どう見ても堅気ではない強面である。
「すいませーん! 今下がりまーす」
せっかく入った道をバックして大通りに戻り、ベンツを通してから改めて元の所まで進む。隣の調査員は相変わらず黙っている。
今度の配送先は田上真生である。調査員は助手席に座ってタブレットを見つめたまま「どうぞ」とあぐりが行くに任せている。
ほっと息をついて一人でAmazonの箱を持つと真生のアパートに走って行く。今日は終日勤務のはずだから不在票対応になる。知っていながらドアをノックすると真生が顔を出した。
「え、何で?」
と荷物を差し出すと、
「判子を持って来るから中に入って」
ドアの中に招き入れられる。時間をとると査定に響く。思わず背後を振り返るあぐりを真生はにわかに抱き寄せた。
玄関の上にいる真生は普段より背が高く見える。真生の胸に頬を押し付けられて、判子はいつも下駄箱の上に置いてあることを思い出す。
「ちっとも会えないから……」
いきなり口づけをされる。
いや、そういうことをしている場合では……と頭の隅で誰かが言うが、当のあぐりは力いっぱい真生に抱きついて唇を吸っている。つんつんと立った後頭部の髪についに触れる。もう鷲掴みにする。
「だから遅刻にした」
唇を離してくすりと笑う真生。あぐりはずっと身体にしがみついている。
「今はどの患者さんも安定している。少しぐらい遅刻しても……」
と、また唇を寄せられる。
ああ、もう何が何だかわからない。どれが誰の舌で唇なのか。肩から背中から尻までも互いの指がまさぐっている。
いっそこの場で………猛った自分に促された途端に背後から銀縁眼鏡の視線を感じる。
「ダメダメダメ。仕事中……」
慌てて身体を引き離した。ちらりと伺う背後のドアはきちんと閉まっている。覗く者などいるはずもない。真生はすんなり手を離して、
「ごめん。判子押さなきゃな」
「え?」
自分で拒否したくせに拍子抜けする。
受領書に判子を押している真生は、目元が赤く染まり瞳は潤んでいる。もうその顔だけで再度ぎゅっと抱き締められた気分になる。
「今度の週末は必ず休みにする。急患も入れない。泊まりに来てくれるだろう?」
あぐりは黙ってこくんと頷いた。受領書をひったくるように奪って玄関を出たのは、指先が触れでもしたらもう離れられなくなるからである。
トラックに急ぎたいがズボンが突っ張って少しばかり歩きにくい。真生とて似たような状況だったのは気づいていた。思い出すだに顔はいよいよ真っ赤に上気する。調査員に怪しまれないだろうか。
いやそれよりも、真生があぐりの拒否を受け入れたのが意外に過ぎた。
江口主任もそうだが、これまであぐりがつきあって来た男たちは拒否を受け入れなかった。あのように言っても「俺より仕事が大事なのか」「本当は好きなくせに」と自分の都合をごり押しした。
してみると実は真生は、それほどあぐりを愛していないのか?
またしょうもない疑念で遊び始める。
トラックに戻ると調査員は助手席で上司と思われる人物と電話で話していた。あぐりが運転席に乗り込み、シートベルトを締め、また前後左右を指差し確認して発車するのを黙って見守っていた。
午前中の配送を終えて車庫に戻ると調査員は降りて行った。午後はまた別の車に乗るのだろう。
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