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第37話

 フォックスヒルズバス停の前でタクシーを降りる。似たような白い壁の小さな家が並ぶ町である。 「ここかしら?」と違う家のチャイムを押そうとする三田村さんを制して、あぐりは屋根に風見鶏のある家を見つけた。  去年来た時、何度か振り返りながら帰った家だった。  忘れるものか。この家で口説かれたのだから。 「篠崎さんと三田村さん。いらっしゃい。駅からタクシーで? 遠かったでしょう」  二人を迎えるのは江口主任の奥さんである。毎年招く社員の顔と名前を間違えることなく覚えている。  あぐりや三田村さんの上着を預かって玄関のコート掛けに掛ける。 「よかったら、赤ワインとビーフジャーキーです。どうぞ」  あぐりは毎度パラグアイの土産を持参している。主任とはあまり口を利きたくないので奥さんに手渡す。何がなし後ろめたさを感じながら。 「おお! ケーキが来たな」  主任はキッチンから飯台を抱えて出て来た。ケーキの箱に目を留めて嬉しそうである。  リビングダイニングには先に到着した襟首タオル先輩や森林コンビなど社員数人が既にビールを吞んでいる。 「あなた。篠崎さんにワインも頂いたのよ。開けてちょうだい」  と奥さんはワインを差し出している。  なるべく主任を見ないようにして、ダイニングテーブルに並んだ料理を眺めた。  今年は手巻き寿司である。既に刺身や肉や野菜が美しく盛られた大皿が広げられている。ふと、この大皿は横浜の兄ちゃんが持ち帰った伊万里焼より小さいな……などと思う。  いや、この建売住宅自体が、大吉運送の社屋だったあの家に比べて全てが小振りに出来ている。掃き出し窓のサイズなど家のより八割方小さい。   息苦しい気もするが、そもそも家を比べるなど、はしたないことなのだろう。  婆ちゃんしか使わない用語〝はしたない〟。  あぐりが何かにつけて自他を比べてしまうのは性自認が他人と違うからだろうか。 「ほら。篠崎さん、ケーキ出すから写真撮って」  森くんはあぐりが渡したレモンメレンゲパイの箱を開いている。すかさずスマホを出して、その手元にアングルを合わせる。 「篠崎さんの買って来たレモンパイ!」  林くんが嬉しそうに覗き込んでいる。  社員達が丸いケーキを見つめている様を動画で撮影する。  すると、とても奇妙なことが起きた。  レモンメレンゲパイが宙を飛ぶようにしてあぐりに向かって来たのだ。  おやおやと見ているうちに視界が真っ暗になった。  顔面に鈍い衝撃。  そして辺りからげらげらと、はじけるような爆笑が沸き起こった。  誰かがパイを投げたのだ。  まるで昔のアメリカ映画のように、あぐりはパイ投げの標的にされたのだ。  いや手で持って顔面に叩き付けられたのだろう。  鼻や口の中は甘酸っぱいジュレクリームで一杯になり、むせかえりそうである。

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