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第47話
「父が失礼なことを言ってすまなかった。謝るよ。嫌な思いをさせて悪かった」
あぐりは首を横に振ると、真生の腕から抜け出た。一人でけんけんぱのふりをしながら先を行く。
いかに真柴本城市の新宿二丁目とはいえ、男同士で肩を組んで歩くのはまずかろう。真生の勤め先も近いのだ。
「結局一人のことじゃ済まないんだ。里生とは高校までずっと一緒だったから……何も言わなかったが、からかわれたりいじめられたりしたらしい」
「本城一高でしょう?」
あの体操着に書いてあった。この辺で最も偏差値の高い高校である。真生は頷いて、
「だけどずっと里生の方が成績が良かった」
「どっちにしても本城一高だもん。俺の真柴高校とはレベルが違うよ」
「あいつは生理痛がひどくて、毎月寝込んでは何日も欠席した。私のせいでストレスが多かったせいかも知れない」
けんけんぱ。で振り向いた。
「うちもまゆか姉ちゃんがいつも寝込んでたよ。明日香姉ちゃんは平気だったけど」
「ああ……言ってたな」
と、顔を直視されてどぎまぎする。
おかしな話である。もっと身近でいちゃつくよりも距離を置いた方が恥ずかしいのは何故なんだ?
「前にあっちゃんの小母さんに相談されたよ。婦人科検診に行くように勧めたけど」
「何それ。いつ?」
「寄席に行った時。帰りの車で。あっちゃんは熟睡してたろう」
にわかに思い出す。そう言えばあの夜、叔母ちゃんはしみじみ産婦人科医の田上真生を褒めていた。
「へえ。婆ちゃんは、まゆか姉ちゃんが寝込むと病気じゃないのにって怒ってたけどさ」
「病気の場合もあるから恐ろしいんだ。里生も毎月のたうちまわって吐くほどに苦しんで。あまりに酷いんで母親が病院に連れて行ったが……」
ふと真生は言葉を切って、
「だから、あっちゃんのお姉さんもちゃんと病院に行った方がいい」
「うん。言っとく」
と頷いてから、唐突に閃く。
「だから真生さんは産婦人科医になったのか」
つい真生と腕を組んでしまった。腕を取られて真生は「はあ?」と真顔であぐりを見つめている。
「妹さんが生理痛で苦しんでるのを見て?」
「ええ? まさか……もともと二人とも医学部に進むつもりだったし。でも結局、里生は法科に進んで弁護士になった。ずっと僕と一緒じゃきつかったのかもな」
腕を組まれたまま真生はしきりに「え?」と首をかしげている。
そしてとうとう言い切った。
「だから、僕は産婦人科医になった?」
もう両手であぐりの両手を握って尋ねている。まるで二人で通りゃんせを始めそうな勢いである。
「知らないよ。真生さんのことだもん。何か、そう思っただけ」
「いや、単に専門を決める時に……何となく……え? そうか。そうだったのか」
まるで砂漠に蜃気楼を見た人のようなぽかんとした表情の真生だった。
そんな真生の背後を見覚えのある顔が通り過ぎて行った。思わずあぐりは真生の身体に身を寄せて姿を隠した。
言霊というのはあるのか。さっき話した江口主任だった。高校生のようにも見える年若い男の子の肩を抱いてラブホテルの玄関に入って行った。
「帰ろ」
あぐりは身体ごと真生を押しやって進路を変えさせた。二人は申し合わせたように焙煎珈琲の黒河に向かっていたのだが、そのままアパートへ帰って行った。
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