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第48話

 部屋に戻ると改めて赤ワインとビーフジャーキーで乾杯をした。  真生が台所の棚からいそいそと取り出したのは、大分前にあぐりがお礼に持って来た品である。  黒猫ロブがビーフジャーキーの袋をふんふんと嗅いでいる。 「これは猫にはどうかな?」  と真生は袋の裏表をためつすがめつしたが結局ロブに与えたのは、ビーフ味の〝チャオちゅーる〟だった。  黒猫がちゅーるを貪っている間に、あぐりは赤ワインの栓を抜いた。 「栓を抜くのがうまいな。あっちゃん」  言われるまでもなく篠崎一族はワインの栓を抜くのに長けているのだ。ワイングラスはないのでコップに赤い液体を注ぐ。  居間の小さな座卓に向かい合ってワインを吞みながら、「そういうわけで」と真生はにわかに居住まいを正した。胡坐の中にいたロブは、迷惑そうにあぐりの膝に移って来た。 「田上家には二人も子供がいるのに孫はもう生まれない」 「まご」と口だけ動かして、あぐりは赤ワインを流し込む。慣れ切った味である。 「妹さんが産むでしょう」  言ってから、外孫ではなく内孫のことかと思う。  そんなことを気にするのは爺ちゃん婆ちゃんの年代だろうが、あの真生の父親ならこだわりそうな気がする。  真生はその辺には触れずに続けるのだった。 「たとえば……私が女性に精子提供して子供を産んでもらうことは出来る」 「真生さんが女とセックスするの?」 「いや。違う。人工授精をするんだ」 「ええと……それって、女の人が人工授精をして妊娠して子供を産むの? そんなの引き受けてくれる女の人がいるの?」 「私が所属していた団体では、そういう例もあった。しかるべき所で探せば見つかるさ。そうして、パートナーがいれば二人で子供を育てられる。両親にも孫を見せられる」 「まご」ともう一度呟いてしまう。  あぐりの頭にはない発想だった。既に兄や姉に子供がいる末っ子の気楽さかも知れないが。 「だから……あっちゃんとパートナーになりたい。一緒に暮らして子供を育てて。猫も飼うけど……どうだろう?」  と言う真生の顔が硬直しているのは真剣に答えを待っているのだろう。  けれどあぐりには言葉がない。  さすがに神を持ち出す産婦人科医は(その神は妹だった可能性もあるが)そんな計画の下に男性パートナーを探していたわけか。  単なる助平心が基準のあぐりとは大違いである。想定外の発想過ぎてとてもついて行けない。 「ふうん……そうなんだ?」  と言葉を濁すばかりである。  真生がきらきらした瞳で顔を覗き込んで来る。決死のプロポーズなのだろうが、どうにも答えようがない。  むしろ座卓を回って真生の胡坐の中に入ってしまう方が気楽である。もちろん向き合って座るのだ。肩に両手をかけて「んふふ」と笑って唇で言葉を封じる。  そうして言葉のない世界にまたたゆたう。無限に広がるベッドに二人きり。互いの身体を貪り合う。  カリカリと襖を引っ掻くのは黒猫ロブだった。仲間に入れてくれとでも言っているのか。  そんな時だけ正気にもどる。 「ねえ。ゴールデンバンブーで何を買ったの?」  今更あの時の配送品について尋ねてみる。  何とも言い難い笑みを浮かべて、真生はベッドサイドの棚から例の化粧箱を取り出して見せた。 「こういう所で売っているゴムはどんなかと思って……」  シーツの上に広げたのは、キラキラした箱に入ったコンドームや奇妙な形のボトルに入ったローションなどである。  それに比べて、真生が用意したコンドームは色気皆無の実用品だった。 「製薬会社がサンプルに持って来るんだよ」 「産婦人科って避妊具もあるんだ?」 「そりゃあるよ。産ませたり産ませなかったりするわけだ。感染防止の意味もある」 「俺には他の意味はないけどさ」 「まあね。僕も病院ではもうカムアウトしていない。年寄りの先生方は私が独身だからって、余ったサンプルをくれるんだ。でも……」  ゴールドバンブーの商品はサンプル品に比べて華やかである。ラメでキラキラ光ったり芳しい香りがついていたりする。 「コンドームに匂いがついてて何か意味あるの?」  と、ためつすがめつするあぐりの言葉と、 「配送会社の可愛い男の子と……もし仮に、そうなった時にと……」  という真生の言葉が重なった。 「…………」  あぐりが握りしめているのは、ペニスを模した容器のローションである。 「今、何て言った? もう一回言って……」  とボトルを撫で擦るが、相手が違うような気もする。第一この巨大さは、もはや人間ではない。  今度は真生が唇であぐりの言葉を遮る番だった。口中に入って来る舌先が、何やら答えているような気がしないでもない。  あぐりはボトルを捨てて、目の前の人間のペニスを撫で擦る。  烏カアで夜が明けて……烏は鳴いてばかりである。

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