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第51話

 怪訝な目があぐりに集中した。 「いいから。そんなの知ってるから」  あぐりの膝をばたばたと叩いたのは、まゆか姉ちゃんだった。 「何で知ってんの?」 「何となく」  他の家族は特に何も言わずに自分たちの話に戻っている。 「だから婆ちゃんはあんな死に方したのかな? 俺がホモなんかじゃなく、ちゃんとしてれば、もっと長生きしたのかな?」  あぐりは一人呟いた。そして密かに頷いた。  婆ちゃんが夜中に一人で死んだ時、自分は何をしていた?  黑河でコーヒーが飲みたいと言ったのだ。  もしあの時、まっすぐ家に帰りたいと言っていたら。  真生のランドローバーで家まで送ってもらえば、駐車場の砂利はあんな色に染まっていなかったし、中古のホンダだって凹んではいなかったはず。  なのに真生と一緒にいた。  みんなが喪のために奔走している時、あろうことか自分は男と(ねや)にいた。  日にちも時間も失う程にひたすら愛欲にまみれていた。  到底許されることではないだろう。  葬儀が終わり一族はそれぞれ萬徳寺から帰途に着いた。  婆ちゃんが残した焼け焦げた匂いのする家に戻ったのは三人だった。富樫のおっちゃんが運転する便利屋のバンに、叔母ちゃん、まゆか姉ちゃん、そしてあぐりが乗って帰った。  おっちゃんは家の前でバンを停めて三人を下ろすと、夜の道をテールライトを揺らしながら走り去った。  食堂の安っぽいテーブルでほうじ茶を啜りながら、頬杖をついた叔母ちゃんが言った。 「あっちゃん。崇さんや他の人に何を言われても、マンションに部屋をもらうのよ」 「マンションて、ここを取り壊して造る?」  叔母ちゃんは頷きながら、黒真珠のイヤリングを外してコロンコロンとテーブルに置いた。 「欅のテーブルや伊万里の大皿がなくなったみたいに、誰かがうまいこと言ってあっちゃんの権利を奪うかも知れない」 「権利って、大袈裟な……」  あぐりはあまりこういう話が好きではない。  立ち去ろうとしたところに、納戸から出て来たまゆか姉ちゃんに行く手を遮られた。赤ワインとビーフジャーキーを持って来たのだ。テーブルにワイングラスを三つ並べると、叔母ちゃんの隣に座ってワインの封を開けながら、 「一応聞いとくけど、あっちゃんマジでゲイなの?」 「……マジ」 「だよね。思ってた。あんなにバレンタインチョコもらって、女の子の誰にも手を付けないんだもん」 「その言い方」  あぐりが眉をひそめて言ったのは、婆ちゃんがいたら言うだろう台詞だった。 「あっちゃん、同性愛者なら結婚しないんでしょう?」  と叔母ちゃんはまゆか姉ちゃんに赤ワインをグラスに注いでもらっている。  結婚……どこかで誰かにプロポーズされた気もするが、遠い夢の世界のことである。 「なら余計に、自分の遺産や権利は手放しちゃ駄目よ。あんた人がいいから」 「そうだよ。バレンタインチョコだってほとんど食べなかったし。みんな家族にあげちゃって」 「まゆか姉ちゃんがいちばん食ったくせに」  言われて次姉は知らん顔でビーフジャーキーを齧っている。  叔母ちゃんは片手にワイングラスを持ったまま立ち上がるりと、中途半端に立ち去りかけていたあぐりの肩を叩いた。 「言っとくけどね。大勢いる孫の中で婆ちゃんの世話をしてくれたの、あっちゃんだけだよ。迷子になれば探して、いろいろ面倒みてくれて……」 「でも、最後があれじゃ駄目だろ」 「だから何なの? 今日集まった親族の中で、スマホの待ち受けを婆ちゃんにしてんのはあっちゃんだけだよ。それだけでも慰労費をもらっていいぐらいよ」 「慰労費なんて。叔母ちゃんこそもらわなきゃ……」  と笑うあぐりの腕を引いて叔母ちゃんは椅子に座らせた。そして赤ワインが注がれたグラスを強引に差し出した。二日酔いが未だ消えないあぐりはアルコールは入れたくない。仕方なく形ばかり口をつける。 「あっちゃんはもっと自分のことを大切にしなさい。周りのことばかり考えなくていいの。  もしかして自分は同性愛者だから、何かしてもらう権利はないとか思ってた?  違うからね。あっちゃんはすごく大事な子なんだよ。わかる?」  唐突に、プロポーズしたのは真生だったと思い出す。  頭を振って赤ワインを一気吞みすると、 「でも俺、名前あぐりだしさ」  と言って顔色を変えた叔母ちゃんが何か言い出す前に、 「もう寝るわ」  と、その場を立ち去った。

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