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第54話

 忌引きの間に中古のホンダは廃車にした。  助手席のドアがべこりと凹んだところに、見たくもないのについ婆ちゃんの側頭部の形を探しそうになる。少しでも早く引き取ってくれる会社を選んだ。  そして新車を(あがな)うつもりだったが、そちらの行動は滞ったままである。  ホンダが引き取られる頃には駐車場はアスファルト敷きになっていた。  タケ兄ちゃんの伝手でアスファルト塗装業者がやって来たのだ。血の付いた砂利は捨てるに忍びないと叔母ちゃんや富樫のおっちゃんが拾ってコンテナボックスに詰めると、とりあえず納戸に押し込んでいた。  タケ兄ちゃんたちとプロレスごっこに興じたあの日以来、あぐりはひきこもりを止めた。  毎朝きちんと起きて出かけるようにした。まずはスマホの機種変更をした。この辺でスマホの会社は本城駅前にしかない。  自動車にはとても乗れないので駐車場の片隅に打ち捨ててあった高校時代の自転車を整備した。それに乗って真柴駅に出ると駅前駐輪場に停めて電車で本城駅に出る。  古いスマホは主任宅で、あぐりの身代わりとして散々な扱いを受けたのだろう。おそらく三田村さんが汚れを落としてくれたのだろうが、それでもレモンメレンゲパイでべたべたの手触りだった。スマホケースには刺身や醤油の匂いが染みついていたので未練なく捨てた。  新しいスマホを買ったその足で、あぐりは本城駅裏のサウナに向かった。ハッテン場として名を馳せている店である。以来、毎日まるでラジオ体操に行く小学生のように真面目に通うようになる。  本城駅はそこそこ都会だから、時間つぶしの場所はいくらでもある。駅ビルにはシネコンもあるし街中にはゲームセンターもカラオケボックスも漫画喫茶もある。  なのにあぐりは引き寄せられるように駅裏に足を向ける。  一人で辿る道が太古の昔に思えるあの夜、二人でそぞろ歩いた道だと思い出したりする。  何も偶然彼に出会いたいからここを歩いているわけではない。  サウナで汗をかいていると、ちょんと足の指先に触れる物がある。隣に座ったおっさんの足指が試すようにあぐりの脚をするりと撫でて来る。腰に巻いたタオルの股間が既に立派に自己主張している。  目と目を合わせて連れ立って、休憩室という名の乱交場に行く。今はまだほんの数人の男達がいるだけである。  あぐりとおっさんが抱き合えば、休んでいたはずの男たちがすり寄って来て仲間に加わることもある。  おっさんとは別の手があぐりの乳首を愛撫し、あぐりもまたおっさんに背後を責められながら別の男の物を咥えていたりする。  愛だの何だの関係ない。ひたすら肉欲である。  どれが誰の手で誰の脚なのか。汗か涙か精液か訳がわからない。いや、わかりたくないからそれでいいのだ。ゴールドバンブーのペニス型ローションはここでも大人気である。  何度も絶頂に達するのだからこれは快楽に決まっている。  そのわりに心がスース―する。  いやそんなことは考えなくていいのだ。  とにかく何も考えないために、いや暇つぶしのためにやっているだけだ。  ぐだぐだに疲れて夜になってから家に帰る。自転車のサドルに跨るのがつらい事態にも陥る。フィジカルなことこの上ない。  いいのだ身体が傷つくのは何の問題もない。自分は祖母を見捨てた大罪人なのだから罰せられて当然である。  決してそう意識していたわけではないけれど、忌引きに続く有給休暇中あぐりはそんなことを繰り返していた。  真生とは婆ちゃんの葬儀以降、会っていない。  会葬礼状のような文面のLINEを送信したきり何も送らなくなった。もう二度と会う気はなかった。  LINEも全て既読無視にした。空で思い出せるのは婆ちゃんの逝去に伴うお悔やみと、あぐりに対する気遣いの言葉そして、 〈今はまだ気持ちが落ち着かないだろうから、その気になったらまた連絡ください。疲れた時にあの部屋を使うのはいつでもどうぞ〉  いや、もう婆ちゃんはいないからそんなに疲れないよと密かにツッコミを入れただけなのに、 〈葬儀の後は何かと疲れると思うから。部屋で一人になりたければ言ってください。当直室に泊まります〉  と返って来た。それだって既読無視した。 〈あの時言ったのは本気です。僕はあっちゃんと一緒になりたい。  子供のことはそちらの気持ちもあるだろうから無理にとは言いません。  もし猫も無理ならロブは里生に預けます。  でも、あっちゃんと一緒に暮らしたいのです。その気持ちだけは変わりません〉  この言葉を読んだ次の日に連絡先を削除した。  そして機種変したのだ。  新しいスマホには田上真生の連絡先のない住所録が移行された。篠崎スヱのガラケーの番号さえ入っているのに。

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