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第55話 悪夢の牡丹灯籠

 真っ暗な中を薄ぼんやりとした明かりが近づいて来る。 「あっちゃんがいないんだよ」  婆ちゃんが言っている。  まるであの落語の主人公お露のように牡丹灯籠をぶら下げて歩きながら。いや、婆ちゃんが演じるなら役回りはお供の女中だろう。と一人でくすくす笑ってしまう。そして、 「婆ちゃん。俺ここにいるよ」  と声をかけてから気づく。  自分は裸で誰とも知れぬ男と汗まみれで抱き合っている。いや一人ではなく複数の男達だ。何本もの手足がぬるぬると身体に絡み付いている。こんな姿は婆ちゃんに見せられない。  あぐりが黙り込むといつまでも婆ちゃんは暗闇をさまよい続ける。足元を牡丹灯籠でぼんやり照らしながら。  いつの間にか自分一人になった。ちゃんと一人だ。誰とも絡み合っていない。 「婆ちゃん! ここだってば」  大声で呼ぶと、そこは本城坂上の神社に向かう道である。婆ちゃんは裸足で坂道を上がっている。 「あっちゃんはどこに行ったんだろうねえ」  と誰にともなく呟きながら。 「ここにいるよ! ここだってば!」  あぐりの声は届かず、ひたひたとアスファルト道路に裸足の足裏が当たる音だけが聞こえている。よく見ればそこは家の駐車場で、婆ちゃんは麦踏みでもするかのように同じ場所をくるくる回っている。  誰だあの砂利をアスファルト塗装してしまったのは。お陰で婆ちゃんは抜け出せなくなっている。裸足でひたひた歩き回っていている。 「婆ちゃんてば!」  自分の大声で目が覚めた。夢だった。  通夜で酔いつぶれて以来、繰り返し同じような夢を見る。アルコールが見せる悪夢かと思いきや、シラフで寝ても夢は見る。 「婆ちゃんてば! 俺はここだってば!」  毎度、自分の大声で目が覚める。  あぐりはまだ一度も夢で自分を見つけてもらっていない。    11 悪夢の牡丹灯籠  長い忌引きの後に自転車で出勤した会社に江口主任はいなくなっていた。  会社の駐車場で同じく自転車通勤をする三田村さんに会った。こっそりとあぐりに身を寄せて、主任に関して教えてくれた。 「会社を辞めたらしいわよ。辞めさせられたというか……」 「え、急ですね?」 「未成年者に猥褻行為をして捕まったとか何とか。噂よ噂」  本城駅裏のラブホテルに未成年のような男の子と共に入って行く主任の姿が蘇った。それと違う少年と手を繋いで出て来たこともあった。 「主任の奥さんは実家に帰ったそうですよ。離婚するんじゃないかな?」  と真偽の知れない情報を教えてくれたのは襟首タオル先輩だった。  社員達は誰も彼もがあのパイ投げがなかったかのようにふるまった。そのくせ何かといえば、 「俺の車、軽トラにカマ掘られて修理に出しましたよ」 「ケツ振って走るからだよ」  と殊更に同性愛者を揶揄する口調で話す者もいた。  見事なリトマス試験紙である。あの時あの場にいたにも関わらず、態度が変わらないのは三田村さんやごく一部の女子社員だけだった。男子社員は全滅である。そんなにゲイが怖いのか。そうまでしてゲイをからかいたいのか。あぐりには到底理解できない。  タケ兄ちゃんのあぐりを励ますつもりの言葉でさえ、ゲイを人間扱いしていなかった。  タケ兄ちゃんが漢気のある誠実な人間であることは充分に知っている。それなのに……である。  ああ、もう考えるのはやめよう。  早々に生きるのはやめよう。  もう婆ちゃんはいないんだし。  どうせ自分はあぐりなのだから。

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