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第58話
今度は忘れずにバッグもスマホも持って靴を履いて店を後にした。
送別会に誘ったはずの連中は誰ひとり別れの言葉をかけなかった(当然だ)。
異常に高揚した気分のまま駅前を走った。
気がつくとまた髪の毛に妙な臭いがする。みんなが止めようとしてビールやサワーを頭からぶっかけていたらしい。道理でぽたぽたとやたらに汗をかくと思っていた。
駅前ロータリーから階段を上がって二階コンコースに出ると、頭のてっぺんからライムの輪切りが落ちて転がった。
「ははははは」
笑いながら小さな車輪のようにコンコースを転がっていくライムを見送った。そして猫のように濡れた頭を一振りすると床に座り込んだ。
手摺りの柵に寄りかかって荒い息が静まるのを待つ。柵には極彩色のイルミネーションがサンタクロースやトナカイを描いて光っている。
目の前にはシティホテルも備えた本城駅ビル二十一階建てがある。壁面には巨大クリスマスツリーのライトが点滅している。いつでも死ねるこの高さ。きらびやかさは飛び降りる心の救いになるだろう。
生れて初めてノンケと戦ってやった。
大吉運送の元ドライバー、タケ兄ちゃんやゲンさん富樫のおっちゃん達と駐車場でプロレスごっこをやったのはこの予行演習だったのか?
そして田上家での真生の台詞を一字一句違わずに覚えているのも想定外だった。あんな諍いは聞きたくないと思っていたはずなのに。
真生の言葉は難しいけれど素直で正直である。あんな風にすらすらと自分の思いを表せたら痛快に違いない。
「ははははは」
また笑いながら柵に手を掛けて立ち上がり、ふらりと歩き出した。
「おーい。あぐりっち! 起きろー。おーい」
身体を揺すられて目を覚ます。
眠っていたらしい。一瞬か一生か?
「起きろー。眠ったら死ぬぞー。あぐりっちー。凍えるぞー」
しきりに身体を揺するのは御園生慶尚 である。また神主装束の上にスカジャンを着込んでいる。今夜も初詣のチラシを配っていたらしい。
目の前では相変わらず駅ビルのクリスマスイルミネーションが燦然と輝いている。座り込んだあぐりの隣に先輩も座り込んでいた。
「ごめん。ライブのチケット失くしちゃった。もう一回くれる?」
目をこすりながら言うと、
「ちょうどチラシも出来たところなんだ」
と傍らの手提げ袋からチラシとチケットをまたくれる。
「……これ夢? 何が? ……どこまで?」
「はい?」
「いや。何かもうよくわかんないや」
両手で顔をこするとベタベタする。また銭湯に行かなければ。
「まだ月の湯はやってるかな?」
「どうかな? もう十一時過ぎだぜ。てか、あそこ今年で閉めるってよ」
「うそ!」
「マジ。やっぱ後継ぎ問題でアウトっぽい。跡地はマンションだってさ」
「どこもかしこもマンションだな」
のろのろと立ち上がる。
今から家に帰るにはまず足軽運送の駐輪場に戻って自転車を取って来なければ。けれど到底そんな気にはなれなかった。
ハッテン場にでも泊まるか?
あぐりはもらったチケットやチラシをためつすがめつしながら呟いた。
「先輩知ってる? 俺、ホモなんだよ」
「あん?」
「同性愛者。男とセックスするの」
「マジ? いつから」
「ずっと。子供の頃から」
「えっ! 子供の頃からセックスしてたの?」
「じゃなく。子供の頃から女より男のが好きだった」
「へーーーーー」
語尾をやたらに伸ばして感心しながら立ち上がると、あぐりの顔をまじまじと見つめるミソッチ先輩だった。そしてにわかに頷いた。
「それな。女子にめっちゃもてたのに誰ともつきあわなかったの。あぐりっちの姉ちゃん達めっちゃ美人だから理想高過ぎるんだってみんな言ってたけど。そうだったのかー」
「美人かよ。姉ちゃん達が?」
「いや、マジレベル高けーよ。大吉運送シスターズ。俺は男よりマジ女好きだから」
「ああ、そうだっけ。先輩、まゆか姉ちゃんに告ってふられたんだ」
「ウソ! 何で知ってんだ?」
「女なんか信じちゃ駄目だよ。俺、先輩が姉ちゃんに贈った曲だって聞かされた」
「何だーそれーっ! 何であぐりっちに聞かせんだよ、あの女!」
地団駄を踏んで口惜しがる先輩に、にわかに尋ねた。
「神道では同性愛は禁止されてるの?」
ミソッチは「うーん」と腕を組んで首を傾げた。
そのタイミングで駅ビルのイルミネーションが消えた。
街灯の明かりだけが残り、辺りが一気に夜らしい薄闇になった。
「わがんね。マジ今度、調べとくわ」
一人頷く新人宮司である。
ではその調べを待つまでは死ぬわけにはいかないな。
あぐりはパンクライブのチラシを丁寧に畳むとチケットと共にバッグのポケットに入れた。
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