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第61話 BLTS
新居での二日目にしたのは手紙を書くための道具を贖うことだった。段ボール箱を開けて部屋を整えてみると最低限の衣類や道具は入っていたが、便箋や封筒などあるはずもなかった(そもそも手紙なんぞ書いたことがない)。仕事帰りに小さな文具店で便箋封筒ついでに筆記用具も新たに買い揃えた。
そして何日もかけて別れの手紙を書いた。テーブルもまだないから段ボール箱を机代わりにした。自分の文字も文章も気に入らず、何度も書いては破きしているうちに、買ったばかりの便箋が残り少なくなっていた。
〈転勤になりました。今は東京の月島に住んでいます。もう会うことはないと思います。
僕は真生さんのように割り切れません。
あの夜泊まらないで家に帰ってれば、ばあちゃんは僕を探しに行かなくて、今も生きてたはずです。
やっぱり僕のせいだと思います。真生さんのせいじゃありません。
だから僕はもう真生さんに会えません。
これまでありがとうございました。お元気で。さようなら。〉
投函するには何円切手を貼ればいいのだろう。ふと我に返って読み返した手紙を、結局あぐりは投函どころか封筒に入れることさえしなかった。
便箋の冊子に入れたまま放り出して雑誌や書類の間に挟んで、そのうちどこに行ったかわからなくなった。
12 BLTS
引っ越しの翌日からはもう本社に出勤だった。
丸の内などというさらに都心に本社関東営業部はある。一週間は本社研修を受け、その後に正式な勤務先である豊洲駅の教育研修センターでの講習。年が明けてから本格始動という流れだった。今回各支店から選抜された者は十数名おり、同時に研修を受けるのだった。
一張羅のスーツにネクタイを締め、朝九時出勤に合わせて家を出て、夕方五時に定時退社。何も考えないで辞令を受けたから、改めて全てが初体験であることに驚く。地下鉄通勤も、ずっとデスクに着いているのも初めてである。昼になれば社員食堂で昼食をとる。
本社での講習は新入社員を対象にした基礎的なマナー講習にブラスアルファを加えたものだった。
最終日にはLGBTQに関する講義も行われた。外部から招いた講師が退出すると、研修担当の社員が演台に立って、来週からは豊洲の教育研修センターでの講義になると述べるのだった。
「今の講義にもあったようにLGBTQに関しても理解は進んでいます。何かあれば、本社には匿名で相談できるメンタルケア相談室もあります。気軽に相談してみてください」
何だその殊更な発言は?
と思ったのはあぐりが当事者だからではなく、講義室を後にする同期の者達もそう感じたようである。
「何で今更BLTSとか、そんな話すんの?」
と言い出したのは小太りの男子社員で、
「それじゃベーコン・レタス・トマト・サンドだよ。
正しくはLGBTQ。レズビアン・ゲイ・バイセクシャル・トランスジェンダー・クエスチョニング。ダイバーシティな時代なんだから」
突っ込むのはコンビを組むにふさわしい背の高い女性社員である。
「俺、それだから」
あぐりははっきりした声で言っていた。
そして回りに見つめられてから、ぎょっとした。
一体自分は何を発言したのだ?
たちまち全身から血の気が引いた。
「君ってBLTS?」
と小太りが言い
「だからLGBTQ!」
とのっぽが訂正する。
「G! ゲイ、ホモ、同性愛者。俺、それだから」
真っ青になりながらも失言(?)を重ねる。指先は冷たく震えている。何を言い出すんだと責める自分と、文句あるかと辺りを睥睨する自分とがいた。
もうじき死ぬ。だからいいのだ隠さなくても。
婆ちゃんだってもういない。噂になって恥をかく人もいない。
いじめられてもいい。自分には関節技がある。
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