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第63話

 今夜は月島温泉とやらに行ってみよう。タオルや石鹸を持ち、サンダル履きでビルの中の銭湯に行ってみる。一階に月島観音があり、二階が銭湯である。  さすがに都会は違うと驚く。真柴本城市の銭湯は、外に保護猫の餌場があるのに。 〈田上さんからあっちゃんに連絡が取れないと電話があったので住所を教えました。  他の人にもちゃんと新住所をお知らせしなさいよ〉  湯上りに牛乳を飲みながらスマホチェックすると叔母ちゃんからメッセージが届いていた。家庭内に個人情報保護法など期待してはいけない。真生は叔母ちゃんに新住所を聞くなり手紙を書いたのだろう。 〈お正月だけど今年はお婆ちゃんの喪中だからお祝いはしません。  でもあの家の最後だからお別れ会はするつもりです。  富樫のおっちゃんやドライバーのみんなも集まってくれるそうです。  あっちゃんも帰って来てください〉  真柴本城営業所でドライバーとして働いていた時は、盆暮れ正月とも完全に休んだことはない。元旦やお盆の中日に配送をしたこともある。交代で出勤する決まりではあるが、あぐりは独身で暇だったから頼まれれば気軽に引き受けていた。  今となれば奴らにうまいこと押し付けられていたと気がつくのだが。  あの期間の出勤者はほとんど顔ぶれが決まっていた。家族持ちの先輩及川さんは、特別手当のために毎年休日出勤していた。その後、足軽運送を辞めてまほろば運輸に移ったようだが、さぞ今年も正月出勤をしていることだろう。  本社勤務の今年は暮れの仕事納めから年明けの仕事始めまで一週間以上の休みがある。叔母ちゃんが心配しているだろうから帰省はするが(生まれて初めて使う帰省という言葉!)一週間も何をするんだ?  また無駄にハッテン場のサウナに行きそうな自分が怖い。  寄席に行く手もあるが、初席は混んでるわりにはじっくり落語は聞けない。顔見世興行だから大勢の落語家が出て来ては数分話すだけである。 〈二人きり。重要OK〉って何の合言葉だっけ?  その夜も婆ちゃんは夢の中であぐりを探してさまよっていた。 「婆ちゃん! 俺はここだってば!」  と叫んで身を起こして、四面の壁が迫りくるような狭隘なワンルームにぎょっとする。引っ越したのだと思い出すまで身じろぎも出来なかった。  そして呼びかけに応えるべきは田上真生ではなく婆ちゃんなのだと心に刻むのだった。  仕事納めの後、月島のもんじゃ焼き屋で有志による忘年会があった。抜擢組は転任直後に懇親会があったので、会社的には今年の忘年会は見送ることになっていた。それでも呑み会を開きたいと言い出したのは小太りの吉田である。  カミングアウトの後、仲間の対応に特に変化はなかった。けれど真実は知れない。  結局あぐりはお人好しなのだろう。真柴本城営業所でホモとばれて皆にからかわれていたのに、レモンメレンゲパイに到るまで全く気づかなかったのだ。  おそらくこちらでも陰では散々に言われているに違いない。  忘年会で酒が入れば、また嫌な目に遭うのは目に見えている。速攻で断ったのに同じマンションに住んでいれば帰りの電車も同じで、 「行くんでしょう、篠崎さん?」  と当然のように右脇を固める吉田である。実家暮らしだというのっぽの杉野は、いつも会社の前で別れるのに今夜に限ってついて来てあぐりの左脇を固める。これまたあの送別会の森林コンビを思い出させる。  小太りとのっぽに両脇を固められて、月島のもんじゃストリートに連行されるのだった。  いや、それはあまりにもコンプライアンス違反な呼び方である。LGBTQ当事者としては、吉田くんと杉野さんと呼ぶべきだろう。

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