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第65話
「ただいま、叔母ちゃん」
と顔を出した食堂は、引っ越し作業の途中のように雑然としていた。床の上に雑多な物を入れた段ボール箱が並び、食器棚の中は見事なまでに空になっている。お別れ会でみんなに欲しい物を分配したそうで残っているのは必要最低限の物だった。
「遅かったね」
と迎えたのは、浦安に住むまゆか姉ちゃんだった。やはり帰省して来たのだ。
叔母ちゃんと富樫のおっちゃんはスーパーに食材の買い出しに行っているという。喪中とはいえ皆をもてなすためにご馳走を作ったところが勢いがついて、やはりお節料理も食べたくなったらしい。
「あっちゃん、気がついてる?」
まゆか姉ちゃんが尋ねるのに「んん?」と生返事をしてあぐりは二階の自室に上がった。
自室が抜け殻のようになっているのは、月島に運んだ物も多いからである。それでもベッドの寝具に洗い立てのカバーやシーツが付いているのは、叔母ちゃんの心尽くしのようだった。ベッドに寝転んでいると眠りに落ちた。
階下から漂う料理の匂いに目が覚めた。嬉々として起き上がってから気がつく。料理をしているのは婆ちゃんじゃない。
そんなことはわかっている。
大晦日の夜、あぐりに叔母ちゃん、まゆか姉ちゃん、そして富樫のおっちゃんとデコラテーブルを囲んだ。北海道の明日香姉ちゃん(叔母ちゃんの娘だから正しくは従妹だが)はテレビ局に就職してから年末年始も仕事で帰省しなくなっている。
食卓には重箱こそないが皿に蒲鉾、黒豆、田作りといったお節料理が並んでいる。だが周囲の風情にあぐりは、正月ではなく〝夜逃げ〟とか〝一家心中〟といった言葉を思い浮かべるのだった。
「月の湯、今日で終わりなんだって。行かない?」
まゆか姉ちゃんが言い出したのは、年越しそばを啜りながら紅白歌合戦を見ている時だった。あぐりは叔母ちゃんの軽自動車を借りて本城三叉路の先にある月の湯に向かった。助手席に座ったまゆか姉ちゃんは、
「あっちゃん、マジ鈍感なんだから」
と意味不明にぼやいている。
〝鈍感〟なんてドライバー全員にいじめられているのに気づかなかった身には禁句である。
「るせーよ!」
いつになく乱暴に言って、銭湯の駐車場に軽自動車を入れるのだった。
大晦日の夜だというのに駐車場は満車だった。
「毎日これぐらい客が来れば、閉鎖しなくてもよかったのにね」
などと言い合いながら、まゆか姉ちゃんと入り口で別れた。
男湯の暖簾をくぐる。
下駄箱に入りきらない靴が外まで並んでいる。呆れたあぐりが立ち尽くしている間にも、湯上りの男達がどやどや出て来るし、新たな男が戸口で女と別れて入って行く。
大勢の男達が裸で裸で裸で風呂に群れている……ついハッテン場を想起してしまう。
いや、この銭湯はそんないかがわしい場所ではない。妙な噂のある銭湯がないこともないが月の湯は違う。
すっかり毒気を抜かれてあぐりは外に出てしまう。
少々胸が悪くなっている。
あの時自分は何をしていたのだろう?
劣情に駆られて何も考えずに複数の男達とセックスをした。
もしや何か悪い病気でも拾って来なかったか?
ぞっとして鳥肌がたつ。
別にどこかから飛び降りなくても、何らかの病気で充分に死ねるかも知れない。
ふらふらと歩いて行った駐車場の果てでは、何枚も並んだ皿に猫が一匹ずつ取り付いてがつがつ餌を食べていた。猫達の口元からは夜目にも白い息が漏れているのだった。
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