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第67話 迷子の三毛猫

   13 迷子の三毛猫  足軽運送を辞めた先輩の及川さんから電話がかかって来たのは正月二日の夜だった。 「篠崎くん、梅園町(うめぞのちょう)菅野(すがの)さんて覚えてる?」  新年の挨拶も早々に訊かれた。 「あの、息子さんを早くに失くしたお婆さんのこと?」  あぐりの配送日は殆ど月命日にあたっており(というか、その日を指定日にして商品注文していたのだろう)何度も仏壇の前で読経をしたものである。あぐりが異動して訪れないことを心配していたらしい。  まほろば運輸に移った及川さんも、もともと顔見知りだったから配達の際に相談されたという。 「聞いたら、篠崎くん本社栄転になったんだってね。菅野さんにもそう伝えたら、お祝いしたいって言ってきて」 「いや。お祝いとかいいし……」 「でも息子さんにお経もあげて欲しいとも言ってるよ。正月休みのうちに来て欲しいってさ」  そう言われて二人で菅野さんの屋敷に出かけることになったのは正月三日のことである。  本城駅前で及川さんと待ち合わせて、梅園町に行くバスに乗った。あぐりは毎度赤ワインとビーフジャーキーを手土産に下げている。 「僕も本社に異動する話はあったんだ」  バスの中で及川さんは言った。どんな仕事になるのか子細に確かめてから断ったと言う。「子供もまだ小さかったから、ごみごみした都会より自然の多いこっちで暮らしたかったし。だからって、ここから一時間半もかけて通勤するのも大変だし。そんで断わったら……何かと居心地悪くなってね。まほろば運輸に移ったんだ」 「へえ」  頷きながらあぐりは自分がいかに適当に異動を受け入れたか痛感する。  とりあえず、あの連中と縁が切れてアパート探しをしないで済むと、それしか考えていなかった。  梅園町は真柴本城市に昔からあるお屋敷街である。  バス通りは広々とした欅並木で一軒ずつの屋敷の塀がとてつもなく長い。トラックで走るには快適だが、徒歩となるといつまでも続く長い塀に心が折れそうになる。 「よくいらしてくださったわね。足軽運送の篠崎さん。それと、まほろば運輸の及川さん」   和服姿の老婦人に迎えられ、広々とした玄関で靴を脱ぐ。いつもの仏間に案内されると思いきや座敷に招き入れられるのだった。 「寒かったでしょう。どうぞこたつに足を入れて。楽にしてください」  と既にこたつに入っていた老人が気さくに勧める。  六人ほども入れそうな家具調こたつの上には、蒔絵の重箱など酒肴の用意がされている。 あぐりは敷居の前で立ち尽くしてしまった。  こたつの様子もさることながら、床の間に目を奪われた。普通なら掛け軸がかかり、李朝の壺でも飾ってありそうな床の間には、暖房付きの猫ベッドが据えられていた。ふかふかの温かそうな毛皮も掛けてある。その隙間から用心深く戸口のあぐり達を見ているのは大きなトラ猫だった。額に〆印の傷跡があるのが、どこかで見覚えがある。  床の間の横の地袋の上には猫の皿が置いてある。それこそ高麗の梅鉢のような高価そうな鉢に水が湛えられている。  勧められてこたつに足を入れた及川さんが、 「わっ!」  と飛び出した。捲れたこたつ布団から三毛猫がのそのそと出て来た。 「お千代さん?」  思わず口にしたあぐりを胡散臭そうに見上げながら床の間の猫ベッドに入ると、トラ猫と顔を揃えてこちらを睨んでいる。 「お千代さんだよね?」  とっさにスマホを取り出して写真を撮り始めてしまう。 「あら。篠崎さんは猫がお好きなのね」  お茶を持って来た老婦人に言われて初めて写真撮影の許可を得る。  三毛猫はシャッター音にも動じないで写されていたが、トラ猫は明らかに機嫌を損ねたらしく猫ベッドを出て襖の隙間から廊下に出て行ってしまった。 「この三毛猫はこちらの飼い猫ですか? 知り合いの猫にそっくりなんだけど。ねえ、お千代さんだよね?」  老婦人と三毛猫を交互に見やって声をかけると、先に答えたのは猫だった。  にゃーんという甲高い声である。

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