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第69話
「今日あっちゃんが持って行ったのが最後よ。みんなが食べたり持って帰ったりしてくれたから、きれいに片付いたわ」
と、叔母ちゃん。
「へええ」と驚きながらあぐりは二階の自室に戻った。実はもっと驚くべきことが待ち受けていたのだがまだ知る由もなかった。
正月らしい晴れ渡った朝。
会社の社員二人を引き連れてトラックでやって来た兄の崇は、家に畳んだ段ボール箱を持ち込むなり、
「さあ、運ぶぞ!」
と威勢がいい。
居住エリアについてはまだ残しておく物も多いが、応接室や仏間の荷物は軒並み運ぶらしい。応接セット、サイドボード、ランプに中国風の衝立、絵画に焼き物など(母方の祖父の見立てが多い)軒並み運んで兄の会社で使うという。
あぐりは思わず尋ねた。
「養生をしないの?」
「もう解体する家なんだから、別に傷がついても問題ないだろう」
兄はさばさばと言う。欅の一枚板のテーブルを持って行った時もこんな具合だったのだろう。さぞやあのテーブルには細かい傷がついていることだろう。
「いや。家はいいけど家具の方がさ。少しは養生しとかないと、トラックで運んだり下ろしたりする時に傷がつくよ」
「あっちゃんの言う通りだ。ちょっと買いに行って来よう」
富樫のおっちゃんと共にホームセンターに買い物に走る。エアパッキン、プチプチのシートが筒状に巻かれたものを数本、箱入りの養生テープにシートとかなりの金額になった。
「なあ、あっちゃん……」
「うん。この金は兄ちゃんに出してもらおう」
と言うあぐりに構わず、おっちゃんは自分の財布を出すのだった。白髪交じりのくしゃくしゃ天然パーマに、コロッケじみた丸い腹のおっちゃんを思わず見てしまう。
「いや。いいんだ。それより……あっちゃん」
いちいち何か言いたげなおっちゃんだが、あぐりは養生シートの筒を何本も担いで車に向かう。
「あっちゃん。配送屋だけあるね。荷物の運び方がうまい」
褒められる程のことでもないのだが、こういう身体を使う作業は嫌いではないのだ。
そして荷物の梱包も得意である。美術品は決して傷つけるわけにはいかないから丁寧に梱包する。焼き物類も絵画もエアパッキンで包んで丁寧に梱包する。
「へえ。器用なもんですねえ」
兄の社員達は感心してあぐりの手元を眺めて居る。
「こいつは引っ越し会社に長いこといたから」
兄は我が事のように自慢する。
家具の養生についてはあぐりが指導して社員二人が動いた。そして家から持ち出してトラックに運ぶにも持ち方や力の入れ方などコツを見せる。ここで覚えておかないと、下ろす時にもいらぬ苦労をすることになる。
「この部屋の物も、もう家に運んでいいだろう」
と兄は仏間に入った。
仏壇には既に黄色い付箋が付いている。横浜に運ぶ印である。確かにそれは生活に最も不要な物であるし、長男の家にあるのがふさわしいのだろう。
あぐりは殊更丁寧に仏壇の中身をプチプチで包んで段ボール箱に収めた。もちろん婆ちゃんの位牌も入っている。落語の登場人物が火事などの非常時に真っ先に持ち出そうとするのが位牌である。
だが兄の家でこれを開梱する人はいるのだろうか。何となく家の片隅で永遠に箱入りのままである気がした。
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