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第78話
「あれはないですよね。結構みんなジロジロ見たり、噂してましたよ。別に篠崎さんが迷惑かけたわけでもないのに。BLTSだからってあんな目で見られるのは、きついですよね」
あぐりは思わず吹き出した。
「俺ってベーコンレタストマトサンド?」
「あ、いや……えっと何だっけKGB?」
「それ、スパイ。いいよ別にベーコンレタストマトサンドで」
げらげら笑いながら目をこすった。涙がこぼれそうになっていた。真生の家で号泣して以来、些細な事で涙腺を刺激されて困っている。
境内に並ぶ屋台には「初天神」ではお馴染みの飴屋も団子屋もなかった。吉田くんがふらふら吸い寄せられているのはシシカバブの屋台だった。
豊洲駅に近い教育研修センターで後期研修が始まった。
朝九時に出勤して社員証を入り口のセンサーにタッチしてストラップで首に掛ける。胸で揺れるそれを夕方五時までぶら下げている。
昼休みは社員食堂で定食を食べるが、味噌汁椀にそれをどっぷり浸けてしまったこともある。以来、味噌汁やスープが出て来ると、
「ほら、気を付けて。社員証は胸ポケットに入れるの」
注意するのが杉野さんの役割になった。するとあぐりだけでなく、吉田くんもいそいそと社員証を胸ポケットに入れるのだった。
一月半ばで研修は終わり、それから配送接客マナーのマニュアル改訂作業に入る。現行のマニュアルに新たに現場の意見を反映させるというのだ。それと同時に今春入社する新人ドライバー研修が、あぐり達抜擢組の最初の現場仕事になる。
会議をしてパソコンを打ちマニュアルを作り接客指導のシミュレーションをする。ただ肩が凝り腰が痛くなる作業が続く。夕方五時では終わらずに七時八時と残業も多くなった。
そんな中であぐりはHIV検査に病院に出かけた。身を清めて彼岸に旅立ちたいではないか。というか向こうで婆ちゃんに変な病気に罹ったと知られたくない。
結果は陰性だった。
真柴本城市の実家では、あぐりの仕事初めと時を同じくして家屋の取り壊し作業が始まっていた。
〈電気ガス水道などの配線配管の撤去を依頼しました。面倒な手続きは則之さんが手伝ってくれるので助かります。ライフラインがなくなって、この家は人が住めない家になりました〉
と、その都度、叔母ちゃんから連絡が届いた。
叔母ちゃんはとっくに富樫のおっちゃんの家で暮らしている。便利屋の手伝いもしているらしい。
〈家の周りには囲いが出来ました。月極駐車場だけが残っています。本格的な工事現場みたいです。〉
〈今日は襖や障子、畳なんかをまとめて外して運んで行きました。明日は鉄製品やガラスを外して持って行くそうです。〉
〈今日から重機が入りました。あっという間ですね。壁が壊されて支柱が残っているだけ。これも明日あさってには壊されて撤去されるそうです。〉
あぐりだけではなく、まゆか姉ちゃん、明日香姉ちゃんなどに同文を送信しているらしい。もしかしたらパラグアイの父親(叔母ちゃんにとっては兄だが)にも報告していたのかも知れない。
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