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第82話

 「ともかく、ゲイの真生は子供が出来ないし、私も産めなくなったわけ。でも両親を安心させなきゃって義務感だけはあって。  医学部をやめて法学部にしたのは、父親と同じ業界なら安心するだろうと思って」 「お父さんも弁護士なんだ?」  里生は頷いた。 「だから私も弁護士になって。でも結婚だけでもしなきゃと思って婚活までした。とにかく必死だったよ。女の子に魅かれはしたけど、それは友情だと思い込んで……認めるわけにいかないじゃない」  その辺の自身では認めがたい性認識については、あぐりにも理解できる。 「でも、真生が刈谷玲奈を連れて来て……一瞬でわかったよ。ああ、この人だって」 「あの、教授が勲章とかもらったパーティーで?」 「そう。酔っ払って足にマメが出来た玲奈ちゃんを実家に連れて来た。男一人のアパートに泊めるわけにもいかないって。何だかんだ言って実家を頼るんだよ、あいつは」 「つまり、里生さんは、ええと……」 「真生がカムアウトした後で散々からかわれたよ。じゃあおまえはレズビアンだなって。  尚更認められないよ。だから男の子に申し込まれてつきあったりしたよ。  家に連れて行って親公認のカップルになって。本当は男となんて嫌でたまらなかったけど」 「真生さんが熱を出したのって本当は……」  上目遣いで里生を見てしまう。 「私のカミングアウトのせい?」 「いや……別に……」 「熱が何よ。こっちは青春台無しにされたんだから。兄がゲイってだけでいじられて」 「でも、里生さんのがずっと勉強が出来たって聞いたよ」 「そりゃ、勉強するよ。くだらないいじりをする連中を黙らせるには成績を上げるしかない」 「それは少しわかる」  頷くあぐりに、里生はにやりと笑って見せた。その笑みはやめて欲しい。真生に似過ぎている。 「真生が家に連れて来た中では、あぐりさんがベストだったよ」 「ベストって……」  思わず知らず眉をひそめる。何人中のベストなんだ? 「ああ、ごめん。一応過去はあるよ。三十男なんだから」 「………」  カップに残った紅茶を一滴残さず飲み干した。 「ただ真生の相手はね、私は常にいけ好かなかった。あいつはどうも輩っぽいのが好きみたいで……」  輩とはつまり不良とかヤンキーとかいう意味で、タケ兄ちゃんのような金髪とかに対して使う言葉ではないのか? 「俺って輩?」 「ごめん。最初はそう思った。でも躾が出来てるって言うか」 「躾の出来た輩?」 「ごめんてば。あの時、何かあったのはわかったけど……なのに、ちゃんと挨拶して玄関で靴まで揃えるんだもん。素直そうな礼儀正しい男の子だなあと思って。そうしたら、もうビアンでもいいやとなった」 「はい? ……そのつながり、わかんない」 「うん。つまり……真生はちゃんとした男の子をつかまえた。あぐりさんとつきあっていれば安定するだろうと思った。だから、私ももう女の子とつきあってもいいかと思った」 「真生さんが安定するのを待ってた?」 「意識はしてなかったけど。とにかく私はちゃんとした長女で、両親を安心させなきゃいけなかった。ゲイをカミングアウトして輩とつきあっては別れてばかりいる長男とは違うって。  ……一人で勝手にそう思い込んでいた」 「一人で勝手にそう思い込んでいた……」  また涙が出そうになっている。意味がわからない。あぐりは唇を噛みしめて、拳で強く目を擦った。  一人で勝手にそう思い込んでいた……同じ言葉が頭の中でリフレインする。  里生は残ったケーキを案の定わんぐりと一口で食べ終えるとフォークを置いた。 「私は間もなく刈谷玲奈と一緒になる。国分寺町の家を出るから、真生にあぐりさんが付いていてくれれば安心なんだけど」 「俺はもう関係ないし。別れたから」  とテーブルの会計票をひったくるように取る。 「うん、ごめん。あぐりさんにはあぐりさんの気持ちがあるよね。あくまでも私の希望です」    と里生はバッグから財布を取り出して「ワリカン」と言う。あぐりは暗算で金額を言って受け取るとレジでまとめて支払った。  帰りのエレベーターホールで横を見る。非常口の緑色のピクトグラムが光っている。    一人で勝手にそう思い込んでいた……その言葉が頭から離れない。  月島の部屋に帰って靴を脱いでいると、靴箱の上の封筒が目に入った。  遺書。のようなもの。  それを取り、重さを確かめるように掌にのせてから半分に折った。部屋に上がりながら更に四半分に追ってゴミ箱に捨てた。

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