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第9話:棄てる

 ピーオは母菊(カモミーラ)茶をだした。ぼくは手をつけなかった。 「ねえ、ピーオ。近親相姦についてどう思う?」  おじいさんは目を見ひらいて、胸を押さえる。ああ、ピーオは知っているのだ。 「それは、罪だ。姦淫の罪のなかでも、とくに重い」 「なら、それをそそのかすのも罪だよね?」  ピーオは青ざめて、手をカップにぶつけた。カップが転んで、卓にお茶が広がった。おじいさんはぽろぽろ泣きだした。 「すまなかった、クーリオ。だが、そうしなければ、純血のティターニが滅んでしまうんだ」 「ヘルサとラーラの父親は、ジョーヴェなんですね?」 「ああ、そうさ。そもそも、おまえの母さん、デメートラもジョーヴェの姉だった」 「なんですって?」 「もう何代もくりかえしてきたんだ。ほかの寡婦たちも、遠かれ近かれ血縁だ。わしはギガントマキアーの戦闘で不能になってしまった。ジョーヴェしかいなかったんだ。しかし、血が濃くなりすぎたんだろう。まともに生まれて育ったのは、ラーラとおまえだけだった。わしは、生まれたての奇形児を何人か始末したよ。ヘルサもきっと、ある種の奇形だ」  老人の告白に、ぼくの気持ちは石のように冷えていった。ぼくという存在は、罪そのものじゃないか。 「みんなぼくのきょうだいだった。殺したんですね」 「許してくれ。さもなければ、われわれティターニは……」 「滅べばよかったんです。簡単なことだ。純血なんかにこだわらず、異人(パガーニ)と交ざりあえば、こんなことにはならなかった。あなたも罪を犯さずにすんだ」 「神よ、神よ、お許しを」  老人は天を仰いで嗚咽した。それ以上、ぼくは哀れなピーオを責める気にはなれなかった。  ぼくは白樺(ベトゥーラ)の皮に火をつけて、竈に置いた。火の手があがり、薪の爆ぜる音がする。炎の色って、いくら見ても飽きないのはなぜだろう。ぼくはきみを思いだす。  ぼくは玉葱(チポーラ)を刻んで、肉荳蒄(ナッメグ)の実をすりおろし、挽肉をこねた。時間をかけて、甘藍(キャーヴォロ)と一緒に煮こんだ。加熱すれば肉荳蒄臭は抑えられるときみはいっていた。  昼餉の支度を調えて、ぼくは席につく。父は――いや、この人を父と呼ぶのはやめよう――ジョーヴェは水銀色のひげを掻いた。 「おまえはそれだけか。腹でも悪いのか?」 「ええ、少し」  ぼくは麵麭(パーネ)をちぎって、匙でミネストラをすする。貧しい食事。けれど、きょうのミネストラは格別だ。予想どおり、ジョーヴェは肉をたらふく食べた。時計を気にしつつぼくはいう。 「ラーラとの結婚を、やめようと思うんです」 「何をいってる。やめてどうするんだ」 「村を出て、街で働きます」 「邪教徒と一緒にか。おまえは聖なるティターニなんだぞ」  ティターニは主が手ずから創られた神の似姿であること、ぼくにはティターニの血を繋ぐ義務があることをジョーヴェは熱弁した。背けば地獄での永劫の火あぶりが待っていることも。幼いころから何百回もきかされた屁理屈だ。 「ぼくの気持ちは変わりません。ぼくはここでは暮らせない」 「愚か者。街へ行くなら行くがいい。それでもオリントポスは続いていく」 「あなたがラーラと結婚する気ですか?」  ジョーヴェが胸を押さえた。症状は動悸、息切れ、めまい、かすみ目、吐き気、不随運動、手足の痺れ、全身の疼痛……。やつは魚のように口をぱくぱくした。荒い息。 「クーリオ。何か変だ。ピーオを呼んでくれ」 「ピーオじゃ治せません。毒を盛りました。毒消しが欲しければ、正直に話してください。ヘルサを犯して殺そうとしたのは、あなたですね?」  ジョーヴェは口をぱくぱくする。「そ、それは……」 「いわないなら、死んでください。ぼくはべつに困らない」  ぼくはいいきった。いっそ死んでくれたほうがいい。ジョーヴェは胸を掻きむしる。 「そうだ、わたしがやった。毒消しをくれ」 「動機は?」 「あんなできそこない、いたってしょうがないだろう。食い扶持ばかり一人前で」 「あなたの娘ですよ」 「知っていたのか?」 「動機は口減らし。でも、どうして犯す必要があったんです。姦淫は罪でしょう?」 「それは、その、ただ……」 「ただの性欲ですか?」  ジョーヴェはやけのようにうなずいた。 「そうだ、そうだよ。どうせ始末するなら、ついでに犯ってもいいだろう。あの役立たずめ。最後くらいわたしの役に立てば……」  ぼくは腕を振った。拳がジョーヴェのひげ面にめりこんで、やつは椅子から転げ落ちた。 「地獄に落ちろ」  ぼくは首の正十字架を引きちぎって棄てた。木のビーズが床に散らばった。やつはみっともなく這いつくばった。 「毒消しを、毒消しをくれ」 「ありませんよ、そんなもの」  ジョーヴェの喉がひゅうっと鳴った。ぼくは笑った。 「肉荳蒄の過剰摂取です。しばらくは苦しいでしょうけど、死にませんよ。ぼくはあなたとはちがう」  エレミシンとミリスチシンによる向精神作用と抗コリン症状。麻薬中毒者や囚人が幻覚剤として肉荳蒄を使うこともあるそうだ。きみは自分自身で実験して、救急車の世話になったと笑っていた。ジョーヴェはぶるぶると震えながら、床の上で丸くなった。胎児のように。  台所のドアがひらく。ピーオだ。その後ろにラーラとセレーレと、コルンボ警部。ぼくはうなずく。警部はうなずきかえして、ジョーヴェに手錠をかけた。

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