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四哩(死は一度きり、だが死ぬチャンスはいつでも)
父を思うとき、暗がりでブラウン管に照らされた横顔が像を結ぶ。父はレスリー・チャンに少し似ている。ぼくは父に似ていない。ぼくは母親似だ。
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水滴のレンズに走査線の粗 春のレスリー・チャンの横顔
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曇天は白銅色に輝いて、ヤマザクラの葉末に薄紅の蕾が膨らんだ。それがひらくと白い花なのが不思議だった。三月下旬、春とは名ばかりの肌寒さだ。ぼくは両手をスクールズボンのポケットにつっこんで、住宅地の狭く急な階段をくだった。それが家への近道だ。
家いえの分け目たる私道の奥処に、築十五年になるわが家はあった。当時の最先端だったサイディング壁も、今じゃ薄っすら苔むしてる。山の湿気のせいだ。裏山の杉林の鳥の声、国道十六号線の防音壁ごしの疾走音。北浦って表札を掲げたポストを覗くと請求書とダイレクトメールが詰まってた。
玄関に行儀よくそろった、父の革靴。ぼくは腕時計を読んだ。きょうは終業式で、今は正午をすぎたばかり。家は静かだ。ぼくはあがり框を踏んだ。
「父さん、いるの?」
リビングダイニングから和室を覗く。そこが父の部屋だ。体調不良で早退したのかと思ったんだ。頭が痛い・肩が凝った・胃が重い、と父はしょっちゅうこぼしていたから。だが、父の布団はたたんであった。
朝、父はいつもどおり出勤していった。そのとき、玄関に靴なんかなかったはずなのに。通電ランプが赤い二四インチテレビ・黄ばんだレエスを羽織ったアップライトピアノ・木製の楕円のダイニングテーブル―クルミ材の天板には、さっきの郵便物の束。その横に、父の長財布とメモ用紙。ぼくはメモを拾った。ボールペンの整った字、横浜銀行 1986……水に落とした墨のように暗い靄 が、ぼくのなかでふくれあがった。父がどういうつもりなのか、わからなかった。でも、ぼくは駆けだしていた。
「父さん?」
ぼくはトイレをあけた。いない。洗面所をあけた。いない。風呂場をあけた。
のたくったシャワーホース。背広の父が蹲っていた。喉に食いこんだネクタイ。もげたシャワーフック。それは父の体重を支えられなかったのだろう。
意味のない叫びが、ぼくの喉から飛びだした。その肩にむしゃぶりつくと、温かかった。ぼくは喚きながら父をむちゃくちゃに揺すった。その顔面は鬱血していた。だが、目には光があった。ほら、ちゃんとまばたきした。力が抜けて、ぼくは尻もちをついた。ズボンと下着が湿ったけど、どうでもよかった。ぼくは父の腕を握りしめて、その案外やわらかい袖で涙をぬぐった。
「父さん、大丈夫? おれのこと、わかる?」
「……竜也」
掠れてはいるものの、はっきりした声。ぼくは泣くのをこらえた。きくのがこわかった。けど、きかないわけにはいかなかった。
「どうして?」
父は顔だけじゃなく、目ん玉まで真っ赤だった。その目がぼくの喉のあたりを見た。
「……次の契約がなくなった」
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鍋のミルクに膜が張った。ぼくは焜炉の火を止めて、ホットミルクを二個のマグカップに均等にそそいだ。それぞれディズニー映画の《ピーター・パン》と《ピノッキオ》の絵柄。第一生命の景品で、セールスレディだった母の置き土産だ。べつに深い意味はなく、四年まえから惰性で使ってるだけ。ほのかな湯気が頬をくすぐる。蜂蜜少量を加えて、匙で掻き混ぜた。カルシウムとトリプトファンには精神安定効果があるんだ。
パジャマに着がえた父は、リビングダイニングの食卓で午後のニュースを見ていた。電通社員の過労自殺をめぐる訴訟で、弁護団側の代理人が最高裁にはいる場面を繰りかえし放送していた。入社からの一年五ヶ月間、社員に丸一日の休みは一度もなかった。原告側の弁護士の計算によれば、社員の月の平均残業時間は一四七時間に達していた。社員はうつ病を発症、自宅で首を吊った。そんなトピックを、今の父に見せたくなかった。でもチャンネルを変えたら、かえって意識させてしまう気がした。
「冷めないうちに飲みなね」
ぼくはピーター・パンのカップを置いた。父は目を画面から離さなかった。浮腫んだ横顔がつらくて、ぼくはピアノばかり眺めて座った。甘いミルクをすすりながら、ここ数日の父の様子を思いかえした。疲れているように見えた。けれど、それは今に始まったことじゃなかった。いつだってヤレ残業だ、ヤレ休日出勤だって忙しそうで、ぼくらはじっくりと話す機会もなかった。父が契約社員だったのも、さっき初めて知った。大抵のサラリーマンがそうであるように、父もまた仕事が生きがいだったんだろう。それを失くして首を括りたくなった。頭ではわからなくないが、腹では割りきれなかった。ぼくのピノッキオのカップの底が鈍い音を立てた。ふりかえる父。カーディガンのかけちがえたボタン。
「考えなかったの?」
ぼくの声は冷淡に響いた。父の表情は硬かった。
「もしフックが壊れなかった場合、おれのダメージがどんだけデカいか、考えなかったの?」
父はただ黙ってうつむいた。
「そうだよね。考えてたら、できないよね」
ぼくはミルクの残りをあおった。底に澱んだ蜂蜜が死ぬほど甘い。父は腹話術人形のように口だけを動かす。
「おまえ、母さんと暮らすか?」
「何いってんの。あんた、あの人のしたこと忘れたのかよ。あんな……」
ぼくはいったん口をつぐんだ。いまは母の悪口をいってる場合じゃない。父の充血した両目。ぼくはその目の黒い中心を見つめた。
「こんな不況だし、父さんも四十すぎだし、悲観したのかもしんないけどさ、仕事なんか他に探しゃあんじゃん。おれ、まだ十三だけど、もぐりで新聞配達したっていい。そんな焦って結論いそがなくてもさ、死ぬのなんかいつだってできんだからさ、もっと足掻いてみてからにしてよ。ねえ、おれの親は父さんだけなんだよ」父の書いた字が浮かぶ。1986。四桁の暗証番号は、ぼくの生まれ年だ。「カネの問題じゃないんだよ。あんな遺書、サイテーだよ」
言葉の途中から、ぼくはべそをかいてた。完全失業率は四%に達し、年間自殺者は三万人を超えています、自殺を減らすには職探し・住宅や生活保護の申請・融資の申込・心の相談などを一つの窓口で行えるような、もっと包括的な支援が必要であって……とコメンテーターの大学教授が力説していた。
父はようやくマグカップに口をつけた。甘いなぁ、と一言いった。
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ぼくら親子には頼る相手がない。静岡の母方の親戚とは、母が家をでてから連絡が絶えた。地元の父方の親戚は、じいちゃんとばあちゃんだけだったが、二人とも亡くなった。ぼくは自分のベッドに転がって、いつかつけた床板の傷を見つめた。
サンヨーの古いシステムコンポが、アルド・チッコリーニのピアノをかそけく鳴らしていた。三曲目《孤独の中の神の祝福》。《詩的で宗教的な調べ》は、フランツ・リストの静謐かつエモーショナルな曲集だ。若いころヨーロッパを股にかけたスタープレイヤーだったリストは、晩年はローマで聖職に就いて静かな余生を送った。ぼくは特定の神は信じてない。けれど、こんなときは天にしろしめす誰かさんに文句のひとつもいいたくなる。
文句をいうためじゃなく、ぼくは学習机のコードレスホンをとった。清水俊太んちの番号なら暗唱できる。子機の数字ボタンを押さないうちに、それが鳴りだしてびびった。
「はい、北浦です」
『ぼくだよ。いま平気? あしたのことなんだけど……』
清水の声。いいタイミングだ。やつんちに遊びに行く約束だった。ぼくは断る理由を考えていた。父を一人にしちゃいけない。けれど、清水はいう。
『秋田のおばあちゃんがギックリ腰んなっちゃったんだって。家事も農作業もできないから、おじいちゃん困っちゃってて。今から、みんなでレスキュー行くことんなった。急でごめん。春休み中には帰ってこられると思う。そしたら、また誘うからさ』
「清水。あのさ、おれ……」
『うん? ごめんね、ちょっと待って』声が遠くなる。『……だから置くとこ決めろっていってんじゃん。最後に使ったの誰? ……。じゃ、冷蔵庫んなか探しな。まえ、はいってたもん。……。ウソだぁ~……』声が戻ってくる。『今、お父さんとお母さんが車のキー大捜索してるとこ。いつもテキトーにほっぽっとくから、カンジンなとき場所がわかんなくなるんだよ』
「あの、おれ……」
『もうっ、すぐすむってば!』清水は喚いた。『ごめん、ごめん。お姉ちゃんが電話ゆずれってうるさいもんで。これ、家族共用のケータイなんだ。何?』
口ごもった。清水にはお父さんもお母さんもお姉さんもいて、おじいさんもおばあさんも健在なのだ。普通の恵まれた家庭の末っ子。
「いや……大変だな。安全運転で行ってこいよ」
『うん。おみやげ買ってくるからさ。まあ、あっちの店ってボンタンアメくらいしか売ってないんだけど』
「そりゃ、こっちでも買えるって」
清水はひとしきり笑ってから通話を切った。ぼくは笑みを消して、ため息をついた。
四曲目《死者の追憶》が流れだした。ぼくは電話をほうって、ベッドに倒れこんだ。髪に手をつっこんでくしゃくしゃにする。階下に耳を澄ます。父は眠っているはずだった。シャワーフックのほかは、家に首を吊れそうな箇所はない。父は背が高いから、きっとドアノブじゃ無理だ。そう考えて、少し安心する。でも、包丁を使ったら? ぼくは跳ね起きた。パイプベッドがぶっ壊れそうに軋んだ。
猫のように足音を忍ばせて、一階へ。父の部屋のまえに立つと、戸の向こうから鼾がきこえた。ほっとした。
父の疲れた顔が浮かんだ。無口で、無愛想で、無趣味で、タバコも酒もパチンコもやらない、テレビを見るばかりが楽しみな人だ。会社での父は、どんなふうだったんだろう。アフターファイヴに仲間と居酒屋でハメをはずす父なんて、ぼくは想像できなかった。上司や同僚の話題がでたこともない。たぶん、それほど親しい人間もいなかったんだろう。それどころか冷遇されていたんじゃないのか。リストラに遭うくらいなんだから。それでも、ぼくを養うために耐えてたんだ。それがもうできなくなって、父のなかで何かが切れてしまったのかもしれなかった。
父のために何ができるだろう。
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車窓の四角い陽だまりが、灰色の床に伸びた。早朝は鮨詰めの東海道線の上りも、昼まえは定員に余裕がある。ぼくと父は三人掛の座席にいた。ぼくは若草色のフリースに、浅いインディゴのジーンズ。父は薄鼠の背広、ネクタイはしてなかった。この三日で、父は顔の浮腫みもひいて、ずいぶんまともになった。日差しのなか穏やかな表情をしていると、自殺未遂を起こした人だなんて信じられない。ぼくの注視に、父がぼそりという。
「一人でも平気だったのに」
「十二年も勤めた会社だろ。きっと、思ってるよか大荷物だよ。いいじゃん、おれだってたまには遠出したいしさ。東京なんて五年ぶりくらいかも」
東京なんかどうでもいい。父が心配なんだった。この行き帰りにバカなことを考えないとも限らない。わかってるんだろう、父は困ったふうに笑うだけだった。
――まもなく品川、品川、お出口は右側です、新幹線・山手線・京浜東北線・横須賀線・京急線は……。
ぼくは窓の外に意識を向けた。輝くタワーマンション群。初めて拝んだ品川の第一印象は、すました都会だった。
運河の街だった。高浜運河沿いの二十階建てのビルが、父の勤めていた会社。化粧煉瓦の敷地内、金属ベンチでぼくはジーンズの足を組んだ。眼前に光る運河に、タグボートがさざ波をつくった。よく手いれされた植栽のなか、ほとんど蕾の桜木が一本。梢の三、四輪が、冷たい川風に揺れる。横浜はきのう開花宣言があったが、東京はまだ。遠く靖国神社の標本木を、ぼくは思った。三月の日差しは弱く、それでもぼくをじんわりと温めた。
近寄ってくる、くたびれたおじさん……と思ったら、父だった。父は手ぶらで、首に赤いストラップで社員証を提げていた。ぼくは立ちあがった。
「荷物は?」
「まとめてある。腹へったろう。ここで最後の晩餐をしないか」
「縁起でもない。晩餐じゃなくてランチだし」
父は声を立てて笑った。この人がちゃんと笑うのを、数年ぶりに見た。ぼくはほっとして、苦笑いをかえした。
ビル十四階の窓に、中高層ビル群と、真っ青な山脈。あれは富士山だろうか。ぼくは落ちつかない気持ちで、センサー式の蛇口に両手をさらした。明るい小ぎれいな社員食堂に、子供はぼくだけ。まわりは灰・紺・黒・茶のスーツばかり。手から液体ソープの変なニオイ。ぼくは薄緑色のトレイを抱きしめ、父に隠れるように列に並んだ。列の一番てまえが麵コーナー・まんなかが丼コーナー・一番奥が惣菜コーナー。ビュッフェ式のサラダバーもある。選択肢が多すぎて、何を食べたらいいかわからなかった。
「何にするの」
「なんにしようかなぁ」
「どれがおいしいの」
「どれもそれなりにうまいんだ」
「父さんがすきなものは」
「うーん、そうだなぁ」
ぼくはため息をついた。優柔不断の子は優柔不断ってことか。父はのんびりという。
「父さんは、冷やし中華がすきだったな」
「無いよ。今、春なんだから」
何も決まらないまま、麵コーナーをなんとなく素通りして、ぼくら親子は丼コーナーへ。カウンター内に、茶色いエプロンの女性が三人。営業スマイルと小気味いい連係プレイでお客を捌いていた。
「二階堂 さん」
父がいった。てまえの女性が、営業スマイルよりも親しげに笑った。栗色の髪と明るい瞳。三人のなかじゃ一番見た目が若かった。
「北浦さん。もういらしてくださらないかと思ってました」
「荷物を取りに来たついでです。こいつに、ここの物を食わせてやりたくて」
ニカイドーさんは表情を華やがせた。「まあ、こちらが息子さんのタクヤくん」
「タツヤです」
ぼくは訂正して会釈した。ニカイドーさんはしみじみという。
「お父さんに似て、ハンサムですね。学校でモテモテでしょう」
ぼくは母親似だ。父に似ているなんて、初めていわれた。異性にハンサムといわれたのも。まあ、どうせ世辞だ。どうも、とぼくは会釈した。父がいう。
「きょうのオススメは」
「タコライスの具ができたてですが、いかがですか」
「では、それを」
「タツヤくんは、ご注文はお決まりですか」
大盛りを……といいかけて、ぼくは口ごもった。父の懐具合が心配で。「同じものを」
ニカイドーさんは二人前のタコライスをプレートに盛りつけてくれてから、にっこりと微妙に不ぞろいな歯を見せた。
「タツヤくんのためにも転職活動、がんばってくださいね。わたし、祈ってますから」
「ありがとう。二階堂さんも負けないで」
父は愛想のいい、快活な男の顔をしていた。ぼくは不思議な気分になって、しょぼいタコライスに備品の粉チーズをたっぷり振った。
「転職のために辞めるっていったの?」
すみっこのテーブルで、ぼくはレタスの欠けらを丸飲みにした。父はただ苦笑い。リストラで首を括るような事態になっているのに、それでも見栄を張るのが大人なのだろうか。
「ニカイドーさん、かわいい人だったね」
「ああ見えて、苦労人なんだ。脳梗塞で半身不随のお母さんを介護しながら、仕事を二つもかけ持ちしてて。それでも、あんなに前向きで一生懸命で。なんか、見ていて勇気をもらってな……」
「プロポーズしちゃえばよかったのに」
父は力なく笑った。「バツイチで子持ちの契約社員だぞ。バカをいうな」
父は再婚を考えたことがあるのだ。きっと、ぼくの存在は、再婚候補にはデメリットとして映るに違いない。父はいくつ恋を諦めたんだろう。急にタコライスのシュレッドチーズが苦く感じた。
エントランスで待っていると、エレベーターホールから父がやってきた。首の社員証はなくなっていた。父の手荷物は、ぼろぼろの手提げの紙袋が二つだけ。大荷物を想像していたぼくは拍子抜け。
「一つ持つよ」
「大丈夫だ」
「持つって」
ぼくは大きい袋をひったくって、エントランスの自動ドアへ。覗いたファイルの束と、くまのプーさんの目覚まし時計。ディズニーグッズは母の趣味だ。ぜんぜん重くなかったけど、ぼくは無意識に歯を食いしばった。
春の風。駅までを二人ゆっくり歩いた。父の手にした袋は小さかったが、書類で重たそうだ。交換しようとぼくはなんべんもいったけど、父はきかなかった。
「大学を中退したときを思いだすな。小中高の卒業式では泣いたことがないのに、学務課からの帰りに、少し泣きそうでな。あんなことがあったなとか、もっとこうしておけばとか。今は、そのときの気分に似てる」
ぼくは父の横顔を覗きこんだ。父の目は、いつもと変わらなく見えた。
JR品川駅は、横浜駅よりは密集率が低かった。新幹線のりばの改札まえで、背広の男が脱兎のごとく父に激突した。すいません、と父はつぶやいた。相手は舌打ち。その男は改札内へと走り去った。父の大事な書類の紙袋に、大きな破れ目。ぼくは男に腹を立てた。
「なんだよ、あいつ」
「時間がないんだろう」
斜めの破れ目を、父はそっと押さえた。
十五番線のプラットフォームに、発車メロディー。目当ての久里浜行きの電車。息を切らしたぼくらの目のまえで、ドアが無情に閉じた。車体の加速音。ぼくはぜえぜえ喘ぎながら、片手を右膝に置いた。
走った振動のせいだろうか。父の袋の破れ目が、びりりと音を立てた。散らばる紙・紙・紙・紙。ぼくはあわてて拾い集めた。
――まもなく、十四番線を列車が通過します、危ないですので黄色い線の内側まで……。
呆然と突っ立っていた父が、どこかへ歩きだした。ぼくは顔をあげた。
「父さん?」
父は十四番線へとふらふら向かう。ぼくは書類を捨てて追いかけた。
「父さんっ! 何やってんだよっ」
父の両肩をつかんだ。十四番線に、春の突風みたいな回送列車。なかば融合したような車窓の残像を、父はぼんやりと見つめていた。
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担うべきものを降ろして小父 さんも銀河鉄道沿線に立つ
♂
春休み。ぼくが朝に起きだしてくるたび、父はパジャマ姿でテレビの前にいた。早起きだなと思っていたが、まったく眠りにつけなかったのだろうとあとで気づいた。
父は一日中パジャマのまま、テレビに齧りついた。そうでないときは、ただ横になっていた。何もしなかった。
ぼくはいいたい文句はぐっと飲みこんで、家の用事を淡々とこなした。きっと、父は酷く疲れているのだ。衝動的に通過電車に飛びこみたくなるくらいに。もし父に死なれてしまったら、ぼくはみなしごだ。今は休ませてあげなくちゃ。
やがて、父はテレビさえ見なくなった。日がな一日、自室で布団をかぶっていた。朝昼晩の食事のたび、ぼくが起こしにいかないかぎり顔を見ることもなかった。
その昼は麻婆丼だった。永谷園のやつ。献立を考えるだけでも億劫だった。なんでもいい、としか父はいわなかったから。
「学校始まったら、父さん、どうすんの」
父は麻婆丼を半分食べ残し、ぼんやりしていた。無精髭にこびりついた辣油。
「お昼。おれが弁当つくっとこうか」
「いい」
「自分でつくれる?」
「いらない」
ぼくはいらいらした。「あのさ、いくら疲れてるからって、投げやりすぎない? ちゃんと食べないから、ますます体調悪くなるんじゃないの。悪いけどさ、父さん、口臭きついよ。暇なんだから歯ぐらいは磨きなよ」
父はただ黙ってうつむいた。
その夕方。喉が渇いて、ぼくは家の一階へ降りてきた。リビングダイニングも、父の和室も薄暗かった。洟 をすする音。ぼくはかがんで、木のテーブルの下を覗いた。
テーブルの下で、父が膝をかかえていた。薄闇でわかるほど父の目は充血し、涙を溜めていた。大の男が、ほんの小さな子供みたいに泣いている。その手に、くたびれたネクタイ。また、首を吊ろうとしたのだ。
「ねえ、父さん。つらいの? 死んじゃいたいくらい、つらいの?」
ぼくは静かに尋ねた。父は二、三べん洟をすすって、うなずいた。中年の脂のにおい。白髪まじりの毛は、ほつれてフケまみれ。父は身だしなみをきちんとしたがる人だった。シャツの袖口の黒ずみが落ちてない、と苦情をいって母と争っていたくらい。ある意味、見栄っ張りなのだ。それなのに。ぼくはしゃがみこんで、ため息を細く長くついた。
「死んでも、いいよ。でも、死ぬなら、おれを殺してからにして」
父は顔をあげた。驚きとも嘆きともつかない感情が、父の目にあった。父はゆっくりと這いだして、その両手をぼくの首にかけた。父の湿った掌が貼りついて、軽く力を込めてくる。自分の首の脈拍を感じた。ぼくは表情を変えず、父を見つめた。父の目に、迷いの色が濃くなった。両手の力は抜けて、ただまとわりついた。この人に、ぼくは殺せやしない。ぼくは父の手を振り払い、立ちあがった。
「あんた、死ぬなよ」
父は途惑ったまばたきをした。
「ここで待ってろよ」
ぼくは念を押した。玄関へと走った。スニーカーの踵を踏んで、外へ飛びだした。
満開のヤマザクラ。夕闇に散る白い花びらは雪に似ていた。家のまえの私道は、緩やかな坂だ。ぼくはマウンテンバイクを立ち漕ぎし、勢いをつけた。右のペダルを踏みこみ、左のペダルを踏みこむ。右のペダルを踏みこみ、左のペダルを踏みこむ。全速力で自転車を駆った。でも、なんのあてもなかった。
保土ヶ谷駅前のガードパイプに、ぼくは自転車をつないだ。平日の夕暮れ時。西口の駐輪場・バスターミナル・タクシー乗り場の一帯を、家へ帰ろうとする/街へ繰りだそうとする人びとが行き交った。東西に横切るJR横須賀線/東海道線の北側の小さな繁華街を、ぼくはさまよった。クリニックは、いくつも見つかった。整形外科・皮膚科・整骨院・接骨院・矯正歯科・泌尿器科・耳鼻咽喉科・眼科……でも、精神科は、なかった。
まわりを歩く人はみな、わかりきった行先を持っているふうだ。ぼくには目もくれない。自分ひとりばかりが迷子に思えた。四月の初め。昼間はうんと暖かくても、陽が沈みかけると急に冷えてくる。上着は持ってきてない。そこまで気が回らなかった。生まれ育った街が、夜になると知らない国に見えてしまうのは、ぼくだけなのかな。ぼくは肩を落とし、自転車をとりに駅前へ舞い戻った。
ふと見あげた、雑居ビル二階の明るい窓――くさなぎクリニック 心療内科・神経科。あった! ぼくはその階段を駆けのぼった。
ガラス張りのドアに、診療時間が記されていた。ぼくは腕時計を見た。時間は、とっくに過ぎていた。ぼくはだめもとでドアをノックした。錠はかかっていなかった。
でかい観葉植物と、古ぼけた長椅子。待合室は、空っぽだった。受付カウンターも、無人だった。うつろな白っぽい空間のなか、ぼくのこころぼそさは限界に達した。幼いころのように、わっと泣きだしたかった。
蝶つがいの軋む音。カウンター脇の木のドアだった。現れたのは白衣にポロシャツとチノパンと、靴下に健康サンダル、ふちなしのメガネをかけた初老の人。禿げてしまったのか生まれつきなのかおでこが広くて、丸くせりだした両目はちょっぴり外寄りに離れていて、頬や顎はほっそりしていて、図鑑の写真のトムソンガゼルに似ていた。野生動物のおごそかさを備えた顔。その人を見たとたん、いままでの波立っていた気持ちが不思議に凪いでいった。ぼくはいう。
「助けてほしいんです。父がおかしいんです。話だけでも、きいてもらえませんか」
♂
「自殺が目立って増加するのは春なんです。詳細にいうなら、早春から初夏までが年間最悪のピークに当たります。これは過去のデータが証明している。日本においては三月から六月にかけてが線グラフの峻峰です。意外に思うかもしれませんね。なんとなく、秋から冬って気がするでしょう。実際、九月から十一月にかけても小高い丘になります。でも春のピークが駿河富士なら、秋のそれは下田富士くらいです。たとえが悪いかもしれないですが、いいたいことはわかってくれますね。春の能天気な明るさが、ある種の人には致命的になる。これもデータが裏づけていますが、自殺者の九割以上に、なんらかの精神医学的障害が認められるのです。そして、そのうちの三割……一説によると七割が、うつ病を発症・併発していました。きみのお父さんは、うつ病かもしれません」
待合室の長椅子のL字の角っこで、院長の草薙 為比古 先生はいった。きこえるかきこえないかの音量のディズニー音楽のジャズアレンジ。予想はしていたけど、ショックだった。
「うつ病……心の病気ですよね」
先生はぼくの顔色を読んで、とりなすような声をだす。
「心の病といういいまわしによって誤解されていますが精神病は、心の強さ弱さなどとは無関係で、誰でも、いつでもかかりうる、脳の機能上の病です。そうであるからには、有効な治療法が存在します。薬を飲みつづければ高い確率で症状が改善し、治るのです」
「治るんですね?」
「そう、⺾ に楽と書いて薬ですからね。手を打つなら早いほうがいい」
「でも、あの人、おとなしく来てくれますかね」
「大丈夫。わたしに任せてください」
夜の車両用信号機が赤になった。カローラセダンのブレーキを緩く踏みこみながら、先生はいう。
「きみもとてもつらいだろうけど、病気のお父さんはもっとつらいんだと、わかってあげなさい。今のお父さんは、ガスメーターの壊れた車なんです。ガソリンがもう切れているのに、走れるはずだ、走らなければ、と躍起になっている。エンジンはから焚きの状態だ。そんなことをしていたら、車はだめになってしまう。今のお父さんに必要なのは、充分な休養と、適切な治療です。ガスメーターの故障を知らせてあげて、エンジンはクールダウンさせて、正しい診断を受けて、時間をかけて修理と手いれをしてあげて、それから給油すればいい。必ず元どおり走れるようになる。タツヤくん、きみはそれまで、お父さんを手助けしてあげられるかい?」
助手席でぼくは黙ってうなずいた。
はやる思いで、玄関のドアをあけた。家のなかは暗いままだった。ぼくは手あたりしだい電灯のスイッチをいれて歩いた。
「父さん!」
和室の電灯が点った。布団にうずくまった父。生きている。ぼくは泣きそうに安心した。ぼくの背中に草薙先生が寄り添った。父はぎょっと目を剝いて、唾しぶきを飛ばした。
「なんなんだっ、勝手にあがりこんで。警察を呼ぶぞ!」
「タツヤくんがつれてきてくれました。通報したければ、どうぞ。ただ、そのまえに、これだけはきいていただきたい」
先生は落ちつき払って、枕辺に正座した。
「わたしの息子は、自殺しました。わたしが処方した薬を大量に飲んでね。たった十二歳でした」
父はめんくらった顔。ぼくもあっけにとられた。先生は続けた。
「到 が死んでから、何度も死を思いました。しかし、患者さんたちのことを考え、思いとどまりました。
自殺遺児の自殺率は、そうでない人たちよりも三倍も高くなってしまう。あなたが自ら死を選べば、タツヤくんは自分を責め、何年も何十年も後悔しつづけるでしょう。それは出口のない地獄のような苦しみだ。親の一時の感情による身勝手な行為が、子供の一生に暗い影を落としつづけるんです。タツユキさん、あなた、父親でしょう。こんなに賢くて、こんなに親思いの子を、不幸にしたいですか? 想像してみてください。もし逆の立場だとして、タツヤくんが自殺してしまったら、あなたはどう感じるでしょう?
死んではいけません。あなたが苦しいのは重々、承知しています。ですが、あなたは決して、ひとりで生きているのではありません。そのことを、どうか、どうか忘れないで。あなたには、タツヤくんを養う義務と、治療を受ける権利がある。約束してください。決して死なないこと、きちんと治療を受けること。それさえ約束してくだされば、わたしがあなたたちを全力でサポートします」
先生は滝のように泣いていた。父は涙ぐんだ目で、先生を凝視していた。ぼくも目頭が熱かった。
四月の夜のどこかで、救急車のサイレンが響いた。
♂
いえません あの子の自死後のこされた椅子が陽ざしを浴びていました
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