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十一哩(Boy meets Girl in September)
Dear北浦竜也サマ
新学期になって初のお便りですね。北浦の夏休みはどんなでしたか? 私は長野のおじいちゃんちに遊びに行きました。ウソです。遊びじゃなく働きに行ったのです。おじいちゃんちは上伊那 郡 の丘の上のりんご農家です。南アルプスを見晴らせます。朝日を浴びたアルプスの峰々は涙が出るほどキレイです(それで弟の名前は光峰 というのです)。
私が手伝ったのは、葉摘みと玉回しです。葉摘みは、りんごのまわりの葉っぱをとりのぞく作業です。8月、早生 のつがるはソフトボール大に育っています。葉摘みをしないと、葉の陰の部分に色がつかず、りんごの見栄えが悪くなります。玉回しは、りんごの青い部分が日に当たるように実を回す作業です。葉摘みと玉回しは同時進行でおこないます。8人(おじいちゃん・おばあちゃん・おじさん・おばさん・パパ・ママ・私と弟)でテニスコート50面ぶんの畑の、十何万とあるりんごにやるのです。最後のほうは腕がぱんぱんになってしまいました。もちろん、お小づかいははずんでもらいました。お盆が終われば、つがるの収穫がはじまります。
この夏、私はJポップではない音楽を聴くようになりました。初めは何を聴いていいかわからなかったので、パパのCDコレクション(北浦は大バッハとドビュッシーが好きだったよね。ちなみにドビュッシーはありませんでした涙)を片っぱしから試しました。私にはハイドンはつまんなかったし、チャイコフスキーは甘ったるすぎます。一番すんなり聴けて、しっくり来たのはシューマンでした。素朴でキレイな曲が多くてよかったです。こんど北浦にオススメの曲を教えてもらえたらなぁ、と思います。お小づかいでCDを買ってみます。
ねえ、北浦もケータイ買ってもらいなよ。私は手紙も好きだけど、北浦ともっとちゃんと色々話してみたいから。無理かなぁ? ではでは。
From菊池雪央
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サンふじの光飽和点60000lx とっくに超えてわれら働く
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夜の蛍光灯、学習机に二年F組緊急連絡網。ぼくは電話の子機の半透明のボタンを七回押した。みたびの呼出音ののち、女の人の声。
『はい、菊池でございます』
「夜分、おそれいります。雪央さん、いらしゃいますか? ぼく、クラスメイトの北浦と申します」
精いっぱい優等生のふり。返事に一拍まがあいた。
『はい、少々お待ちを』
受話口から《グリーン・スリーヴス》。恋の死を嘆く暗いメロディは、一巡しないうちに途切れた。
『北浦?』久しぶりの声。
「うん。菊池、あのさ……」
『家からかけてるんだよね?』
「そうだけど」
『あとでかけなおすから待って。じゃあ』ガチャッ! ツーツーツーツー……。
一分後、子機が鳴った。《主よ、人の望みのよろこびよ》。
『あたし、菊池。雪ちゃんに男の子から電話がかかってきた! ってママがいうから、光峰が大騒ぎして大変だったんだよ。姉ちゃんに男! って。あー、はずかしかった』
三ヶ月ぶりに口を利くときも菊池は菊池だった。ぼくは安心した。
「話したいって手紙に書いてあったもんだから……。ごめん」
『そっか。あたしがケータイ番号、書いとけばよかったんだよね。ごめんね』
「携帯からかけてんだ?」
『うん。だって、リビングじゃパパたちが聞き耳たててるのに、話なんかできないよ』
「そっか」ぼくは用意したセリフをいう。「いい知らせと悪い知らせ、どっちを先にきく」
『えー。じゃ、悪い知らせから』
「父さんにかけあったら、携帯は高校に合格したら買ってやるって。とうぶん無理」
『そっかあ、残念。いい知らせは?』
「クララ・シューマンって知ってる? ロベルト・シューマンの妻なんだけど」
『ううん』
「いまは夫の陰に隠れちゃってるけど、クララも当時は有名なピアニストだったんだ。いくつかの優れた作品を残しててね、おれは夫よりもすきかも。オススメは、《ロベルト・シューマンの主題による変奏曲》ってやつ。題名どおり、ロベルトの作品のモチーフを変奏曲にアレンジしたもので、すごくきれいな曲だからさ、菊池もきっと気にいると思うんだ。あしたの朝、机の横にCD掛けといてやるよ」
『うれしい。ありがとう』
「返すのは、いつでもいいから。話したかったのは、そんだけ」
『それだけぇ?』
菊池はすっとんきょうな声をだした。何かしくじった気がして、ぼくは黙りこんだ。
『あたしはあと二時間くらい話したいことあるよ』
「おれ、電話かけなおそうか?」
『どうして』
「電話代」
『そんなに気ぃ使わないでよ。友達じゃん』
「……」
友達といわれて、うれしいのに悲しかった。ぼくの沈黙をどうとったのか、菊池はとりなすようにいう。
『じゃあ、こんどのときは北浦持ちね』
「OK」
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きみほどの背の向日葵を目のまえに考えているきょうの日程
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待ちあわせは午後六時だった。藍色に暮れる空、東でオムレツみたいな月が光りだす。ぼくは履き慣れたリーボックを見おろした。アスファルトから炎昼の余熱。今井町の子 神社は毎年九月に例祭をやる。今井街道を一本外れた路地の両脇に夜店がならんで、夏服の人があふれかえる。ガキンチョの声・テープレコーダーのお囃子・発電機の唸り・白熱灯の卵色。
ぼくの待ち人は五分遅刻してきた。髪をお姐さんっぽくアップにした浴衣姿。紺地にピンクの撫子 柄。赤い鼻緒の下駄を鳴らして寄ってくる。しばらく菊池だとわからなかった。退紅 の巾着を持った手を合わせた。
「遅れてごめんね。これ、歩きにくくて」
おだんごに蜻蜓 玉 を光らせた菊池が知らない子みたいで、ぼくはどぎまぎした。
「いや、おれも今きたとこ」
「ほんとに?」
きれいな焦色の目に、ぼくは白状する。
「じつは十五分まえに着いてました」
「もう」
巾着ではたかれた。むくれる様子はいつもの菊池だ。ぼくは短く笑って、先導するように歩きだした。
半径一五〇メートル限定の混雑を縫って、ぼくらは神社の石段を登った。ぼくの肩の高さに、菊池の頭。存在しない花の匂い。ぼくは浴衣の衿もとばかりが気になった。ぼくの好きな、日焼けのぼんのくぼ。
交差する架線にカラフルな提灯広告。境内にも夜店の明かり、焼きそば・串焼き・焼きとうもろこし・ジャガバター・クレープ・チョコバナナ・ベビーカステラ・かき氷・水あめ・ダーツ・ヨーヨー釣り・スーパーボール掬い……選りどり見どり。
「あたし、あれやる」
菊池が指差したのは、広い浅い水槽の赤白黒の金魚。やつは的屋 に小銭を払って、ちび団扇 みたいなポイをもらう。菊池はおっかなびっくりポイをひたし、黒出目金を狙う。でも、中途半端に濡れた紙は水圧で破れて、出目金が通り抜けた。残念賞で一匹、的屋は小赤の小さいのをよこした。菊池は不満げ。
「あの大きい黒いのが欲しかったな」
「とってやろうか」
ぼくはいった。子犬みたいに見あげてくる菊池。できるの? って顔つき。ぼくは百円玉を二枚払って、ポイをもらって得意顔。
「金魚すくいは、ちょーっとコツがあるんだな」
ぼくはいっぺんにポイの紙をまんべんなく濡らしてしまう。水中を移動するときはポイを進行方向に水平に。比較的強度のある端っこに黒出目金をひっかけ、一息にお椀に拾った。ちゃっぽん、と重い手ごたえ。すごーい、と菊池は拍手。ぼくは調子に乗って、金魚をお椀に放りこんだ……三匹、四匹、五匹、六匹、七匹……。大笑いする菊池。
「そんなにいらないよぉ」
コワモテの的屋が睨んでくる。これくらいにしといてやろう。
さんざめく人の群れ。金魚入りのビニールの巾着を、菊池はうれしそうに眺めてる。おなかの丸い菊池の手は、思いのほか花奢。桜貝のような十の爪。脳裏をよぎるWhiteberry。この小さな手は、どんな感触かな。
「こんどはあれ」
夜店を元気よく指差す菊池。提灯明かりに焦色の目が照り映える。ぼくはない袖をまくる真似をして千本びきの屋台に近づいた。
ぼくと菊池は紫の夜光ブレスレットをおそろでして、瓶ラムネで乾杯した。たこ焼きで口を火傷し、かき氷のシロップに舌を染めた。輪投げでハッスルし、射的の的を外しまくった。ひよこの群れを眺めて、ひとつの綿飴を齧りあった。菊池は、よく笑った。ぼくも、つられて笑った。なんだかくすぐったくて、妙にハイな気分だった。これってデートなのかな、と思った。でも、深くは考えないようにした。楽しいのに、うれしいのに、何かこわいような気がしてた。
菊池が無口になった。足運びが鈍くなって、うつむきかげんに眉根を寄せる。
「どっか痛いの?」
「鼻緒ずれ、しちゃったみたい」
菊池は人を避けて石の鳥居の沓石に座った。右の下駄を脱ぐ。ぼくはしゃがんで覗く。足の親指と人差指の股が剝けている。ピンクの真皮。うわ、これは痛い。菊池は巾着袋を探る。
「あれぇ? バンドエイド忘れてきちゃった。北浦、持ってないよね?」
首を振る。絆創膏を持ち歩く習慣はない。途方に暮れた目の菊池。
「ガマンして帰るしか、ないかな」
なんとかしてやりたかった。でも、浴衣だから、おんぶするわけにはいかないし。お姫さま抱っこ? それもなんだかな。考えた末に、ぼくはスニーカーを脱いだ。
「とり替えよう」
菊池はまばたき。ぼくはスニーカーをうやうやしく捧げ持った。
「ちょーっとクサいかもしんないけどさ、痛いよりゃいいだろ?」
菊池は笑った。そのかわいいあんよの先に、スニーカーをそろえてやる。そいつのなかに立ちあがる菊池。ぼくはソックスも脱いで女物の下駄をつっかけた。踵がはみでる。主婦に流行りのダイエットサンダルみたい。
「北浦の足、大きいんだね。何センチ」
「二十七。それで帰れそう? 送ろうか」
菊池はかぶりを振る。「ゆっくり歩くから。北浦こそ、そんなのでだいじょぶ?」
「近所だから。菊池は遠いんだろ」
「そうでもないよ。法泉 だもん」
「転ぶなよ」
ぼくを見つめる目に祭りの光。やつが笑うと光が砕ける。
「ありがとう」
ぼくは落ちつかなくなって、そっぽを向く。祭りの路地の終りまでを、二人ならんで、ゆっくりとゆっくりと歩く。ぼくが右側/菊池が左側。土曜の宵の街道を車はうんと距離をとって走る。ぼくらは向かいあった。きついヘッドライトが差して一瞬、ぼくの影を菊池に落とす。
「このクツ、月曜日でいい?」
「うん。この下駄も、月曜で平気?」
「平気。ちゃんと洗っとくね」
「いいって、そのままで」
「だめだよ、くさいから」
「ひでえな」
ぼくらは笑う。遠いお囃子。よぎるヘッドライト。ぼくはいう。
「じゃあな」
「うん。じゃあ、おやすみなさい」
「おやすみ」
ぼくらは手を振った。菊池は東へ/ぼくは西へ。宵闇を歩きながら、ぼくはなごり惜しくふりかえる。十メートルむこうで、ふりかえる菊池。手を振ってくる。ブレスレットの赤紫の光の残像。振りかえすぼく。ぼくらは、それぞれに前を向く。五メートル歩いて、ふりかえるぼく。やっぱり、ふりかえる菊池。ぼくは手を振ってやる。振りかえす菊池。前を向く。ふりかえる。手を振る。おたがいが見えなくなるまでの一分間に十回くらいふりかえって、かぞえきれないくらい手を振りあった。まるで永遠のお別れみたいに。
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きみといた最初の夏はおもうたび画素をへらしてなおも明るい
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「きいたぞ。キタ、とおとおやったんだって?」
大雨の月曜日。オマンヨ、って落書きされた南校舎の廊下。芝賢治は開口一番いった。夏のあいだにカフェオレ色に日焼けしてた。アロハシャツだと日系ハワイアンみたい。ぼくは教科書とアルトリコーダーを抱きしめた。
「やったって何を」
「女だよ、女」
シバケンは得意の股間をいじる真似をして、ぼくを肘で小突いた。
「おととい、祭りで女とイチャこいてたって証言あがってんだよ。で、どこまで行ったんだ。ほら、白状しな」
「誰にきいた」
ぼくはこわい顔をしたかもしれない。気おされたようにまばたきするシバケン。
「ヨイチだけど」
「くそっ」あの口軽め。ぼくは髪を掻きむしった。「髙梨にいっとけ。いい加減なウワサ流しやがると、おまえの机が消えても知らないぞ、ってな」
「おー、地味にこええな。なんだ、ガセなの?」
「あゝ、友達だよ」
「ふーん。女といたのはマヂなんだな」
ぼくは黙った。シバケンは挑むようにいう。
「かぐや姫から乗りかえたんだ? べつにどっちでもいいけどさ。モノにしたいんなら、おれがイロイロ教えてやろっか」
「そんなんじゃねえっつってんだろ」
ぼくは低い声をだした。胸くそ悪かった。シバケンは困った笑いかたをした。悪意があったわけじゃないのだ。沈黙。ぼくは居心地悪く視線をさまよわせて、挨拶もせずにその場を離れた。
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白蛇 の飼いかたくらい知っている 十三歳はこどもの終り
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