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二十二哩(皇帝のピアノ係は笑わない)
獣のにおい。ぼくはスタインウェイに向かってモーツァルト《トルコ行進曲》を鳴らした。シベリアンハスキーのサー公は目に見えて瘦せ衰え、腹ばかりが大きくて地獄の餓鬼みたい。腹水が溜まっているのだ。暖かな地下室で、サー公は身動きせず座ってた。伏せをすると苦しいようだ。大好きな曲にも、あまり反応しない。やつにはもうピアノの音は却ってうるさいんじゃないかって気がした。
犬のかたわらに矢嶋健は蹲った、疲れた横顔。冬休みにはいってから三日、矢嶋はサー公につききりだった。愛犬に対するとき、矢嶋は根気強かった。来る日もサー公に炎症止めの薬を飲ませ、その食事を介助し、その粗相を片づけた。矢嶋の顔つきは冷静だったが、その目はずっと涙が雫を結ぶ寸前に見えた。
ドアがノックされた。ヘレンさんは珍しく着物じゃない。ボートネックセーターにパンツ姿。ホットココアとクッキーをローテーブルに置く。
「Takeshi, you need a break. キタウラくんも休憩して」
「はい、いただきます」
ぼくは適当に演奏を切りあげ、テーブルへ近寄った。矢嶋はそこを動かなかった。ヘレンさんは矢嶋にいう。
「Don't work too hard! It's Chrismas day.」
「I'm not in the mood.」
「I'll take your place, go to bed.」
矢嶋は悲しい顔をして、静かにいう。
「He's my dog」
ヘレンさんはため息をついた。何をいっても無駄だと思ったんだろう。
「Call me in time of need, I'm there.」
そういい残しヘレンさんはドアをあけて、そっとしめた。
「きっと、今夜が峠だよ。そんな気がするんだ」
サー公を撫でながら矢嶋はいった。ぼくはココアのカップを飲まずに置いた。矢嶋は疲れた笑みを浮かべた。
「できたら、弾いてくれないかな」
鈍いぼくは、やっと気づいた。矢嶋は孤りきりでサー公の病と死に耐えたくなくて、ぼくを巻きこんだんだって。天球の音楽を必要としてるのは矢嶋のほうだ。
ぼくはピアノの座に戻って、鍵盤に手を添えた。なるべく穏やかでやさしい音をだそう。ぼくができることなんて、そのくらいしかないのだから。
鍵盤蓋の裏にこの両手が左右反転して映る。虚像のそれはどうしてか実物より美しく見える。右手で高音域の鍵盤をキラキラと打って、左手で中音域をあやすように叩く――パルムグレン《粉雪》。セリム・パルムグレンはフィンランドの作曲家、北欧のショパンなんて異名を持ってる。フレデリック・ショパンのような華やかさはないけれど、ピアノの詩人と呼ばれたショパンにひけをとらない美しい曲をいくつか残した。《粉雪》もその一つ。乾いた雪片がてんでに螺旋をえがく寂しい原野のイメージ。
地下室の片すみで死にゆく犬のことを考えてやる。きれいな雪があいつの想念に降るように。サー公はもう踏んばる体力もなくて腹這いだ。膨らんだ腹が圧迫するせいで、ぜぇーぜぇー苦しい息をする。
矢嶋は覚悟の表情でサー公の顔を見つめてる。まもなく愛犬を亡くすだろう飼い主のことも考えてやる。ぼくは雪を溶かさないように降りをやさしくする。ほんとうは四分に満たない曲をヴァリエーションズにアレンジして延々と鳴らした。
「疲れないか?」
矢嶋がきいた。ぼくは演奏を自然に切りあげて、左手首をたしかめた。腕時計の針は午前零時を差そうとしていた。矢嶋はケータイの時刻を読む。
「日付が変りそうだ。もう休んだほうがいい。ソファベッドの使いかた、わかるな?」
「おまえは?」
「おれはここにいる」
ビーグル犬のかたちのビーズクッションを矢嶋は抱いた。サー公が息をやめるまで、ここを動かないつもりなんだろう。ぼくだけノンキに眠る気はしなかった。ぼくは鍵盤蓋をそのままに椅子から立ちあがる。
「おれがコーヒー淹れてやろうか」
矢嶋は片頬を見せる。「わかるか」
「まずくても文句いうなよ」
矢嶋は微笑した。「砂糖でごまかしたら承知しないからな」
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アルペジオ透明無比に乾くまで雪野の夢を駈けめぐれ犬
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リビングルームのドアから女の話し声。誰か起きているんだろうか。ぼくはそっとドアをあけた。四六インチのテレビ、赤毛の女性キャスターが英語をまくしたてていた。のっぽのクリスマスツリーに五色の豆電球の点滅。ほの明りのなか、ソファーにヘレンさんがいた。メガネをして英文の書類を読んでいる。実年齢よりも若わかしい人だけれど、そのときは年相応に老けて見えた。息子のために眠らずにいるんだろうと思った。その母親をぼくは見つめた。
ヘレンさんが振りむく。やさしい笑みが浮かんで、そうすると若わかしさが戻ってくる。
「Oh、キタウラくん。おなかすいた?」
「はい。あっ、いえ、コーヒー淹れようと思って」
ぼくはなんでかしどろもどろになった。ヘレンさんは口に手を当てて笑った。
「いいのよ、ごまかさなくて。わたしもおなかすいたもの」
ヘレンさんはキッチンカウンター(ドイツの老舗ガゲナウのクォーツストーン天板)にコーヒー器具を準備してくれた。人型の生姜クッキーを用意して、冷凍フランクフルトまで温めてくれる。ぼくは恐縮しきりだった。
「カウフィーは冷凍庫よ。凍らせると鮮度が長持ちするんですって。でも、気をつけて。解凍してしまうと豆の酸化が一気に進んで、まずくなってしまうから」
「はい、ありがとうございます」
「わたし、仕事してるから、わからなかったら声かけて」
「ヘレンさん、お仕事お持ちなんですか?」
ヘレンさんは笑った。「そうじゃないのよ。タケシのマンハトゥンの下宿先の資料なの。オゥディションの結果がわかるのは三月だけど、あの子、もう受かったつもりで準備を進めてるものだから」
「あいつ、行っちゃうんですね」ぼくはうつむいた。「ぼくも、あいつ受かる気がします。実技だけで決まるもんじゃないかもしれないけど。ぼく、ヴァイオリンの音って、ほんとは苦手なんです、人の悲鳴みたいで。でも、あいつのヴァイオリンは、なんていうか……海の風みたいな感じがして。人間が弾いてるものじゃないみたいな。ずっと聴いていたくなる。だから」
ヘレンさんはうなずく。メガネごしの瞳がかすかに潤んだ。「ええ、わたしもすきよ、タケシのヴァイオリン。あの子は何かを持ってる。音楽の世界で身を立てることが、あの子にとっていちばん幸せなことだと思うの。わたしも、ビッグタケシも、それを願ってる。そのためだったら、なんだってするわ」
あいつは幸福な息子だな、と思った。
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銀の匙くわえさせられ囀れぬ家にあなたを選んだゆえに
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白熱灯の光のなか、笛吹きケトルが湯気をやわらかく噴く。ぼくは摘まみをひねって焜炉の火を落とした。ケトルのお湯を銅のドリップポットに移し替え、しばし冷ます。
3ドア冷蔵庫のてっぺんの冷凍室に、ジッパーつきの銀の袋が三つ。三種類のコーヒー豆。ちがいがよくわからなかったが、マンデリンスマトラタイガーってやつにした。北海道のコーヒー職人が自家焙煎して一ヶ月以内の新鮮な豆を、さらに一粒ずつ選別したもの。ぼくは一粒かじってみる。軽い歯ごたえと、嫌みのない深い苦味。二人ぶん二十グラムを専用の計量スプーンで掬う。
矢嶋のドイツ製のミルは、ピカピカの真鍮の覆いと、どっしりした木の台座。風変わりなトロフィーみたい。そのS字のハンドルを一定速度で回すと、内蔵された硬質特殊鋼の挽刃で豆が軽やかに粉になる。まえに淹れかたを教わったとき、矢嶋はめちゃくちゃ楽しそうにこの作業をやっていた。J.S.バッハ《コーヒー・カンタータ》なんか口ずさんで。ぼくも真似して歌ってみる。
「〽Coffee, Coffe muss ich haben, Und wenn jemand mich wil llaben, Ach, so schenkt mir Coffee ein!」
五分ほどでハンドルは空回りするようになった。ミルの抽斗をあける。中細挽きの粉から、ふわっといいにおい。無漂白のペーパーフィルターを、円錐型のドリッパーにセットする。粉をいれるまえに、お湯でフィルターの真んなかを湿す。こうしておかないと最初の濃い一滴がフィルターに染みこんでしまってもったいないんだという。
サーヴァーの白湯を捨て、フィルターに粉をいれて揺すって平らにならす。そこへお湯を細く少なく注いでまんべんなく濡らし、三十秒ほど待って蒸らす。この待ち時間が肝心なんだそうだ。濡れた粉は炭酸ガスを放出してなめらかに膨らんでくる。粉全体がスポンジのような状態になって、次にお湯を注ぐときにコーヒーの成分がムラなく余さず抽出できるってわけだ。
粉のまんなかへんに円を描くように、ぼくはお湯を細ぼそと差した。キッチンいっぱいに深煎りコーヒーの香り。サーヴァーの濃い茶色い液体が一人前たまったら、そこでドリッパーをはずし、サーヴァーにじかにお湯をたして二人前にする。こうするとでがらしの粉の酸味や雑味がはいらない。
できあがったコーヒーをマグカップふたつに均等に分けた。ぼくは片方を味見してみる。麦に似た香ばしい風味。うん、これはこれでおいしい。でも、ぼくは自分のぶんに牛乳をたっぷりつぎこんだ。カフェオレ。風味がまろやかになった。ぼくは満足して作業台の広いキッチンの後片づけを始めた。
地下スタジオのドアをあけた。むせかえりそうなアンモニア臭。サー公がトイレに失敗したかな、と思った。ぶ厚い防火扉みたいな矢嶋の背中が愛犬を抱きしめていた。サー公の尻の下の水溜り。それで何があったのか悟った。ぼくはコーヒーをピアノに置いた。それは物置台じゃない! って矢嶋にいつも怒られるんだが、今はそれどころじゃないだろう。
矢嶋のうつむいた横顔は真っ赤っか。その腕のなかでサー公は口を不自然にわくわくと動かしてる。他の部分は静止し目は生気がない。ぼくは手をその口にかざした。苦しそうだった息は止まってた。ふれた首筋は、まだ温かい。数十兆個の細胞のほとんどは、魂がいなくなったことに気づいてないんだろう。
ショパン《ピアノソナタ第二番》のほうの《葬送行進曲》が頭んなかで鳴ってた。天使のなぐさめのように美しいトリオ。ぼくはパサパサになってしまった犬の毛並みを撫でた。けなげなサー公。どんなに苦しくても鳴き声ひとつあげなかった。もういいんだよ、もういいんだ。
やがてサー公の口が静かになった。矢嶋が犬のように唸った。充血して潤った三白眼。
「こういうときは泣いちゃったほうがいいぞ。おれはあとで笑ったりしねえから」
ぼくは矢嶋の硬い背中を叩いた。おだやかな三拍子で。あいつの顔がゆがんだ。My dear Sirっていった。その両目から血と同じ温度であふれる水。それがサー公の鼻づらにボタボタ散った。ぼくも一緒に泣いた。
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泣くことをためらう若い心臓を背中側からはげましてやる
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清めてやったサー公の亡骸を、生前使っていた犬用ベッドに安置した。死後硬直が始まるまえに、足の格好をそろえてやる。そして、薄手のブランケットで覆った。ぼくはしゃがんで、両の掌を合わせて黙祷した。
矢嶋はロングソファーにへたりこみ、どこともない空間を見ていた。ヘレンさんは息子を抱擁し、額にキスをした。小声で何か話しかける。息子が幼いころから、こうして慰めてきたんだろうと思った。胸がしわっとして、ぼくは目を背けた。
「I'll call a crematory in the morning.」
ヘレンさんがいった。矢嶋はさっと顔をあげた。
「No, I'll bury him in the garden. He loved to play there. That is the best.」
「No can do. We give him the funeral, and raise the tomb. They can smell it, if you bury him.」
「I can't stand burn him.」
「Put yourself in my place.」
「I won't ! He's mine. My dear Sir.」
矢嶋はソファーから立った。鋼色の目が、また泣きそうに見えた。ぼくは思わずいった。
「手伝います。うんと深く掘れば、きっと大丈夫です。ぼくからもお願いします」
ヘレンさんは黙っていたが、やがてため息をついた。「わかった、わたしも手伝うわ。そうね、庭ならいつでも彼に会えるものね」
矢嶋はまた座りこんだ。「Sorry, won't you leave us ? I'm okay.」
「You look tired, get some sleep.」
「I can't sleep tonigt.」
ヘレンさんは息子の顔をじっと見て、ぎゅっと抱擁しなおした。それから、ぼくに向きなおった。
「ありがとう、キタウラくん。あなたも、あまり夜更かししてはだめよ。ふたりとも少しでいいから寝てちょうだいね」
地下室のドアがとじると、矢嶋は四週間ぶりのタバコに火をつけた。肺まで吸いこんだ煙をゆっくりとすべて吐きだして、やっと安堵した顔になった。ぼくは隣でほうけていた。
病んだ犬を看取るための四週間は、ぼくにとっては長かった。ほとんど毎日ピアノを弾いて、ときどきは矢嶋に代って流動食もたべさせて、おしっこで汚したタオルも洗ってやった。サー公が快方に向かうのだったら、こんなにきつくはなかったろう。最期の瞬間はそばにいてやれなかった。けれど、それはきっと矢嶋の役目だったのだ。
「さっき、おまえがいないあいだに、あいつが鳴いたんだ。子猫みたいに情けない声で、助けを呼ぶみたいに。あいつ、急に起きあがって、咳きこんだ。また倒れて、前足と後足を突っぱって痙攣しだした。それが死ぬときの動きだって、おれは知ってた。おれは名前を呼んで、あいつをハグした。あいつの目が見たかった。顔を覗こうとしてたら、脚を叩かれた。あいつ、シッポふってた。おれをエントランスに迎えに来るときみたいな、力強い振りかただったよ。Bye, thanks, I love youって、あいつはいってたんだ。なあ、その感じ、わかるか?」
矢嶋の言葉尻が震えた。ぼくも目が潤みそうになった。
「わかると思う」
「シッポが止まって、あいつの体から力が抜けた。息の音もしなくなった。呆然としてたら、あいつの口が震えた。一瞬、生き返ったのかと思った。うれしくはなかった。こいつがまた苦しむのがわかってるから。でも、目が生きてなかった。死後痙攣だ。おまえが戻るまで、それが一分間くらい続いた。おまえが来てくれなかったら、どうしていいかわからなかったと思う。ありがとう」
ぼくは目を袖で擦った。矢嶋は声の調子を変えた。
「ちょうど四年まえのきょうだよ、サーがうちに来たのは。おれがこの家に住みはじめた年のクリスマスだ。朝、サンタクロースの変装したBTがベッドルームに来た。おれはもうサンタなんか信じてなかったのにさ。BTは大きなプレゼントボックスを持ってた。そのなかにフワフワの子犬がはいってた。空気穴はあいてたけど、軽く動物虐待だよな。そのときは、そんなこと気にしないでよろこんだけどな。目が青くて星みたいに明るかったから、名前はSiriusにした。略してSirだ。サーは散歩とピアノの音がすきで、医者とヴァイオリンの音がきらいだった。おれはヴァイオリン辞めて、ピアノに鞍替えしようかと思った。まあ、思っただけで、そうはしなかったけどさ。こいつは生後六ヶ月で去勢手術を受けたから、恋は知らなかった。ただ、おれのことを一番の友達だと思ってた。おれもそうだった。サーが一番の友達だった」
長い話に終止符を打つように、矢嶋は目をとじた。ぼくは矢嶋の背を軽く叩いた。
「なあ、おまえ、眠れそうか。おれは無理そうだ。コーヒー飲んじゃったし。朝までどうしよう」
矢嶋はタバコをいっぺん吹かして、ガラスの灰皿に乗せた。ピアノのうえのコーヒーを指差してから手招きする。ぼくはご要望どおりトレーをテーブルに運んでやった。矢嶋はブラックのほうのコーヒーをひとくち飲んだ。朝までつきあってくれるんだろうか。
「最初にしちゃ、まあまあだな。褒めてやるよ」
いつもの生意気な口の利きかただった。ぼくも生姜クッキーを拾って、なるべくいつもの調子でいう。
「これで、おれもピアノ係はお役御免だな。いい経験させてもらった。ありがとうな」
ぼくはクッキーを齧った。矢嶋は口をへの字にした。
「何いってんだ。おまえに暇をやる気はないぞ」
「はいっ?」
クッキーの粉が危うく気管にはいりそうになった。矢嶋は真顔。
「これからは、おれの専属になって弾いてもらおうか。おまえはタダ働きがいいんだろ。カウフィーは飲み放題だからな」
そんな、殺生な。ショックで言葉を失っていると、矢嶋はやおら歯列矯正器を見せた。チェシャ猫の笑顔。
「さっそくなんだけど、プーランクの《ナゼルの夜》の第二楽章って弾ける?」
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おかかえのピアノ係に珈琲をがぶ飲みさせて夜を乗りきる
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クリスマスの翌朝は水晶のようだった。ぬくもりのない朝日の斜めの縞。ヘレンさんは鼻を赤くして、ダウンコートの襟を合わせた。
一〇〇坪の庭の片すみ。矢嶋は剣スコップで冬芝を二平米ほど四角く切って剝がした。黒土に剣先を突きたて、片足をかけて押しこむ。黒土なのは表面だけ。関東ローム層の粘土質の赤土は軟らかくて崩れにくい。墓穴を掘るにはおあつらえむきだ。金属と土の響き。
ブランケットをかぶった犬の体を眺めて、ぼくは冷えた両手を擦りあわせた。サー公の魂はもう彼岸へ渡ったろうか。
スコップは一本ばかり。ぼくらは交代で墓を広く深く掘った。地中は石ころだらけ。剣先に当たるたび、ぼくは拾って遠くへ投げた。ヘレンさんも掘りたがった。効率を考えるなら男ふたりに任せたほうがいいけれど、これは気持ちの問題だった。神聖な儀式に参加しているみたいに、ぼくらは無駄口は利かなかった。ただ三人の息が白くたなびいた。
三〇分かけて、ぼくらの腿までの深さの矩形の穴をこさえた。矢嶋は愛犬を見つめた。犬の顔はまるで深く眠りこんでいるようだった。飼い主はサー公をブランケットでつつんだ。ぼくと矢嶋で穴の底にそっと寝かせてやる。
矢嶋は思い切るように勢いよく土をかけた。雨のような音。掘るときの六分の一ほどの時間で穴は埋まった。サー公の体積ぶん、それは掘るまえよりもこんもりした。その土饅頭のてっぺんに矢嶋は木の苗を植えた。まわりの冬枯れのハナミズキと同じ種のようだった。六本の手が土饅頭を叩いた。ぼくらの軍手は泥まみれになった。矢嶋は剝いだ芝を四つに切った。そいつを木を中心に溝が十字になるように置く。あいつは手の土を払った。完成だ。さりげなくて、整っていて、いい墓だと思った。
朝日の縞はもう消えていて、ぼくらの街はまんべんなく明るかった。
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シベリアの清さの朝が洗うだろう おまえの肺の底の街角