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三十一哩(宝石の家)
痒い。ぼくは右の耳たぶを捏 ねた。ピアスの傷に痛みはもうほとんどない。ぼくらの街から三三二キロ北の春。ぼくはスカジャンのファスナーを上まであげた。スエード手袋の両手をポケットに突っこむ。JR仙台駅前の宵、霧に滲むネオンと信号。霧の街なんてロンドンだけの話かと思ってた。西口のペデストリアンデッキの階段に腰かけて、芝賢治はケータイをいじってる。メールの編集画面。
「今晩、何食う」
あいつは顔もあげずにいう。「カレー」
「また?」
「すきなんだよ、カレー」
仙台に滞在し三日、毎食のようにカレーだった。ぼくもカレーは嫌いじゃない。でも、せっかく仙台にいるのだから、ちがうものも食べてみたい。
「牛タン食べたい。焼肉にしない?」
「牛はだめ」
「なんでよ」
「おれ、ヒンドゥー教徒だから」
なんの冗談だ、と思った。
結局、いつものスーリヤ宮城野店に行った。インド人の切り盛りする本格インド料理の店だ。シバケンはバターチキンカレーでガーリックナンを齧ってご満悦。ぼくはビリヤニという米料理を食べた。鶏肉や魚肉が入ってておいしい。けど、牛肉が食べたかった。
勘定はシバケン持ちだった。あいつはカレー弁当を二つテイクアウトした。日本語がぎこちない赤銅色の顔の店主に、シバケンは尋ねる。
「ありがとうってインド語でどおゆんですか」
「インド人、お礼いわないね。あれはヨーロッパ文化ね。あえていうなら、タンキューね」
「そおなんですか。タンキューです」
シバケンはうれしそうだった。インドに対して何か思うところがあるのかもしれない。ぼくは弁当の袋を持ってやりながら、夜を思ってため息をついた。
♂
愛 い奴、とささやかれつつ粘膜を潤ませているパヴロフの犬
♂
ビジネスホテルのユニットバス、シャワーの雨が肩に跳ねた。胸をリズミカルに叩くドックタグ。背中におそろいのシバケンのドッグタグが当たる。あいつはぼくの顎をつかんで、ねじるように強引にキスした。尻にあいつのアレを受けいれていた。注がれた精液が、チンコに掻きだされて腿を伝う。一晩に最低二回はしないと、シバケンは満足しなかった。正直、体がつらい。でも、食費を持ってもらって強く拒めなかった。それに、何十何百ってそこをこすりあげられて乳首を抓られてチンコを愛撫されると、認めたくないけれど気持ちよかった。すっかり慣らされてしまった。ぼくはホモなんだろうか?
あいつの肩を支えに、ぼくは空の湯船に寝ころんだ。胸のタグが肩へ滑って、船底で音を立てた。背中にポリエステル材がぬるい。シバケンの胸でタグが揺れる。あいつは右手でぼくの頬をなぞって、唇を吸った。左耳のダイヤモンドの七色の光。腿のあたりに、やつの勃起したアレが当たった。あいつはぼくのチンコをきゅっと握った。ぼくは息を詰めた。やつの指先が緩慢に、だが的確に愛撫する。ぼくの小さな吐息を、あいつの唇が呑んだ。あいつの指先が、ぼくのどろどろのケツの穴にもぐる。
「芝ばっかり、チンコ使ってずるい」
「だって、キタのチンポでかすぎっから、受けんの大変なんだぜ。おれのはひかえめだから、いいだろ」
両膝をかかえられ、正面から押しいられた。後背位のときよりも腹がきつい。体位を変えると、内側でこすれる部分も変わる。やつの肩にすがって、爪を立てないように拳を握る。あいつが腰を使う。始まりはやさしく、だんだんと体が軋むほどの激しさで。苦しい。けれど、それ以上の悦楽。ぼくは女のように喘いだ。
あいつが顔を凝視していた。ぼくは両腕で遮った。いやだ、見られたくない。きっと、ぼくは女々しい顔をしている。あいつは強引にぼくの腕をひらいて、両側に押しつけた。
「……おれのパールヴァティちゃん。すげえかわいい。世界一かわいい。こんなかわいいの、他に知らないよ」
ささやかれながら、音を立てて尻を突きあげられる。ぼくは高い声をあげて、腰を揺すった。あいつがのけぞった。なかでチンコが痙攣して、びゅっびゅっと精液が直腸に当たるのがわかる。ふっと気が遠くなって、ぼくはイった。胸を汚した精液が、シャワーの雨に流れていく。
ホテルの部屋に、Blankey Jet Cityが三和音で鳴り響く。シバケンはケータイを一瞥し、そのまま無視した。非通知の電話は昼夜を問わなかった。一分、二分と着メロの続くあいだ、ぼくらは無言だった。
ようやく静寂が戻った。ぼくはほっとして、夜食のカレー弁当の蓋をあけた。
「芝っていつ筋トレしてんのかと思ってたけど、やりまくってるから自然に腹筋が割れるんだな。やっと気づいたわ」
返事がなかった。シバケンはダブルベッドで弁当を手に凍っていた。眼前で手を振っても、反応がない。瞬きもしない。
「……芝?」
まえにもこういうことがあった。そうだ、自然教室の最後の夜に。あのときも、こいつは目をひらいたまま、彫像のように固まっていた。美しい眼球。たったいま磨きだして、いったん水中に沈めて、掬いあげたばかりの煙水晶みたい。そのおもてにも左右反転した歪な部屋とぼく。その左目から涙がひとしずく筋をつくった。
「芝」
ぼくは弁当をテーブルによけて、あいつを抱きしめた。
「だいじょうぶだよ、大丈夫だから」
キ……タ……、とあいつがぎこちなくいった。ぼくはあいつの顔を覗きこんだ。その目の焦点が、ぼくの目に合った。やつの手を頬に当てる。
「おれだよ」
「……あゝ、キタだ」
「芝はときどき、今みたいになるよな」
「スイッチが、切れるんだ。あいつらに輪姦 されたときとか。ぜんぶ遠くなって、目の前んことがテレビんなかんことみたいに思える」
あいつは弱よわしく笑った。ぼくはあいつの背中を撫でた。
「おれ、インド人なんだ。オヤジがそっちの留学生だったらしくて。兄貴とは父親がちがってさ。あいつの父親は広告代理店のお偉いさんで。だから、あいつ、おまえはスードラの息子だから、生まれついての奴隷なんだっていった」
そんな屁理屈をこねて、あの男は弟を虐待したのだ。怒りで体温があがった気がした。
「日本に留学に来てたなら、芝のお父さんはきっと身分の高い、頭のいい人だったと思うよ。スードラじゃない。仮にそうだったとしても、そんなのはなんの理由にもならない」
「今はわかってる。でも、おれ、バカだから、ウソだって、なかなかわかんなくてさ」
「芝は、子供だったんだよ。わかんなくても、しょうがないんだよ」
きれいな煙水晶の目。あいつはさみしげに頬笑んだ。
「キタはさ、おれがかわいそうだから、すきだとおもったんでしょ。自分よりもかわいそうだとおもったから。だから安心できるんでしょ」
思いがけない言葉に、たじろいだ。それが正鵠を射ていたのがわかったから。自分でも意識しなかったさもしい心を、見透かされていたのだ。ぼくは大きく息を繰りかえした。この純粋な男を、こわいと思った。あいつはぼくの胸にしがみついた。
「それでも、いいよ。キタが、いっしょにいてくれるなら」
「……」
「どこにもいかないで」
「……」
「はなさないで」
「……」
「ここにいて」
ぼくはそっと抱きかえすことしかできなかった。霧の夜にサイレンがこだました。
♂
水温の安定しないシャワーからきこえはじめる 恋は野の鳥
♂
有線放送とパチンコ台の大音量に耳が壊れるかと思ったけど、五分で慣れた。ぼくはスヌーピーの財布から千円をメダル貸し機へ投入し、メダル五〇枚を手に入れた。《ゲゲゲの鬼太郎》のスロットを回す。あと二万四一八八円。少しでも増やしたかった。三つのスロットはおもしろいほどそろわなかった。ずれまくるチェリーと西瓜とベルと目玉のおやじ。
隣の台でシバケンも打ってた。咥えタバコ、メンソールの香。こいつは吸わないんだと思ってた。こいつのカネがいくら残ってるのか、気になったけどきけなかった。あてにしてると思われたくない。ヂャンヂャンヴァリヴァリ音に負けないよう、シバケンは大きめの声でいう。
「むこうは将来ある学生さんで、こっちはコブつきの年増だろ。おれがおなかにいること、オフクロはいいだせなかったんだよ。ほんとはイーハトーブより、インド行きてえんだ。オヤジに会ってさ、ぶん殴りたい。きちんと避妊しろって」
「でも、芝がいなきゃ、おれは困る。それに芝のお父さんだって悪気はなくて、避妊してたけど破れちゃったのかもしれないし」
シバケンは煙を吐いて、にやりとした。「おれは失敗作ってことか」
「そんなこといってないだろ」
「人類の九割九分は失敗作なんだよ。見てみろ、ろくなやついねえじゃん」
平日の真っ昼間から台に向かう大人たちは、みなどこか崩れて見えた。そうかもな、とぼくはいった。
「でも、インド行ったら、おれ、きらわれるな」
「どうして」
「左手ってフジョーの手じゃんか、むこうでは」
そういえば、こいつはギッチョだ。インドでは尻をふく手は左と決まってるって地理の授業で習った。左利きの人間は、さぞかし不便にちがいない。シバケンは両手を眺める。
「インド人って、どっちの手でシコんだろうな」
あと二万三一八八円。ぼくはもう一枚、千円を投入する。さっきよりも短時間でメダルがなくなった。あと二万二一八八円。
「だめだ。おれ、パチプロの才能ない」
ぼくは苦笑し、あいつの台を眺めた。シバケンは灰を落として、八重歯を舐めた。
「おれが獲りかえしてやるよ」
あいつの目つきが変わった。あいつは絵を描くとき同様の恐ろしい集中力でボタンを叩いて、三つの絵を確実にそろえる。ボーナスゲーム! ヂャンヂャンヴァリヴァリとメダルの怒涛。ドル箱が十数分で山になった。
シバケンはピン札の福沢諭吉を八人も手に入れた。景品交換所の外で、シバケンは一枚を突きだした。ぼくは手をださなかった。あいつは札をたたんで、ぼくのサーマルの丸襟に押しこんだ。醒めた目。
「そんなに施される側はイヤ?」
弱点を殴られた気がした。泣きそうになって、ぼくは万札を財布へ仕舞った。
♂
マッチ売りのように煙草を灰にして追憶という大人の遊び
♂
DEUS EX MACHINAというネオンサイン。暗闇に乱舞する光線。本日二度目の大音量、Underworldのエレクトロのドラミングがずんずんみぞおちに響く。耳が悪くなりそうだ。踊るシルエットめいた大人たち。ぼくはダンスなんてできない。困ってシバケンを見やると、あいつは器用に踊ってた。左耳のダイヤモンドが光を撥ねて、腰で手錠が揺れる。
「テキトーでいいんだよ、こんなもん」
まわりの大人たちを観察し、ぼくは適当に真似した。シバケンはげらげら笑った。何かおかしいだろうか?
ちょっと懐かしい小沢健二とスチャダラパーがゆったりと流れて、カップル客が身を寄せあう。そういう時間らしかった。ぼくとシバケンはバーカウンターでソフトドリンクを注文(さすがに二十歳にゃ見えない)。ぼくがカルピスソーダ/シバケンはコーラ。乾杯。
「ふたりですか? あたしたちも二人なんですー。一緒にどうですか」
女の子が声をかけてきた。びっくりした。おゝ、これが噂の逆ナンか。
「アミでーす。亜熱帯の亜に美しいで亜美でーす。アミーゴって呼んでね」
栗色のショートボブ、顔は普通だけど愛嬌はたっぷりって感じの子だ。亜美の目当てはシバケンらしい。一生懸命、話しかけてる。
「おれら、横浜から来たんだ。卒業旅行で」
シバケンも愛想よく応じてる。一方、亜美のツレの子は無言でケータイをいじる。セミロングヘアの冷たそうな美人。おそらく年上だろう。竹宮朋代よりも手ごわそうだ。ぼくは気おくれしたけど、声をかける。
「あの、北浦っていいます。名前は?」
えりか、といった。小さく咳きこむ。風邪をひいているのか。
「どんな字ですか」
「ひらがな。やゐゆゑよのゑの、ゑりか。わかる?」
「あゝ、なんかるとんが合体したような字ですよね。あれって画数何画なんだろう」
「五画」
即答して、ゑりかはケータイをいじった。小さな咳。会話が弾まねえ……。
「あたしたち、きょう泊るとこないんです。ほんと、困っちゃっててー」
亜美がシバケンにしなだれる。内心、ぼくは穏やかじゃなかった。シバケンは陽気にいう。
「じゃ、泊まるトコ探しに行こっか。部屋はひとつ、ふたつ?」
ショックだった。そんな堂々と浮気しようとするなんて。ぼくは抵抗を試みる。
「で、でも、ゑりかさん、いやですよね?」
ゑりかはちらりとぼくを見た。
「べつにいいよ」
えっ、とぼくは声をだしてしまった。うれしさが三割、途惑いが七割。変な汗がでてきそうだ。ぼくはシバケンの腕をつかんで、ダンスフロアのすみっこにつれてった。
「どういうつもりだよ」
シバケンは悪びれず笑う。「一回くらい、女とやりたいだろ?」
「おれ、初対面の子とセックスなんかできない」
「運転とセックスは教わんなくてもできるんだよ。兄貴がいってた」
「そういうことじゃない」
「まあ、ガンバれよ」
シバケンは肩を叩いた。ぽん、ぽん、ぽん。
ねー、なにはなしてるのー、と亜美が寄ってきて、それ以上話ができなくなった。
♂
茄子紺の夜のきれいな大人たち踊れ骨盤ゆがめて軽く
♂
Hotel GEM PALACEというサインがライトアップされていた。白亜のモダンなラブホテル。
エレベーターのなか、亜美とシバケンは腕を組んで、カップル然としてた。もちろん、ぼくはゑりかと腕なんか組めなかった。これからシバケンが女の子と寝るのだ。箱の上昇とは逆に、ぼくの心は沈んでいった。
シバケンと亜美と一緒の部屋だけは勘弁してもらった。見たくない。亜美をお姫さま抱っこして、シバケンは部屋へ入ってった。
ゑりかはソファーに座って、ケータイをいじりつづけた。小さな咳。女の子と密室で二人きり。ぼくは緊張して性欲どころじゃなかった。
「あの、べつに、しなくてもいいですよね。ゑりかさん、具合悪そうだし」
「ゲイなの?」
苦手な生レバーを投げつけられた気がした。「つきあってる子がいるんです。だから、できません」
「あれって彼氏でしょ。キスマーク目立つよ」
ゑりかはみずからの首を指差した。ぼくはダッシュで洗面所へ行った。大きな鏡をたしかめる。サーマルの丸襟から露出した範囲には何もない。ぼくは部屋へ戻った。
「騙しましたね」
ゑりかは初めて笑った。「やっぱ、あれ彼氏なんだ。悪いね、亜美はメンクイだから」
ぼくはベッドにへたりこんだ。顔を両手で覆って、ため息を長くつく。今ごろ、あいつはあの子とよろしくやってるのだ。たまんなかった。
「わたしの叔父さんもゲイなの。だから、あんまり気にしないよ」
「あんまり?」
ゑりかは咳きこむ。「多少は気にするけど。偏見のない人はいない。それよりも、あんた、ほんとはいくつなの」
「十四です」
「若っ、ガキじゃん」
「ゑりかさんは?」
「十六」
「はは、ゑりかさんも若いです」
涙がでそうだった。シバケンにとってぼくは操 を立てるほどの存在ではなかったのだ。
「泣くほどすきなんだ?」
ぼくは余分な涙を半袖でこすった。「よく、わかんなくなりました」
「こっちおいでよ」
ゑりかはソファーの隣を叩いた。ぼくはためらったけど、隣へ行った。狭いラブソファーで、太腿がくっつく。黒のミニスカの白い太腿は、シバケンのよりもやわらかかった。餅みたいだ。
「女とは経験は?」
「ありません。すきな子は、いたんですけど」
「なんでそうなっちゃったの」
「あいつにはおれしかいない、みたいに思っちゃって。でも、思いあがりだったみたいです。あいつは女でも男でもモテそうですもんね。バカみたいだ」
「あんたも浮気しちゃえば」
ゑりかの涼しい目が、いたずらっぽく光った。ぼくはその胸もとを見おろした。十六歳のわりに立派だ。たぶん、Cカップくらい。
「浮気はしたくないですけど、ゑりかさんの裸は見たいです」
ゑりかはベッドに立って、ストリッパーみたいにポーズをつけながら脱いだ。窮屈さのない長い手脚・つんと上を向いたおっぱい・くびれた平らなおなか・つつましい逆三角形の陰毛、エロスと清楚の融合。神々しいくらいだ。おれ、やっぱりホモじゃないや、と思った。ぼくはぼくはファスナーをあけて、股間を握った。
♂
乾いた咳の音、ぼくは目覚めた。梔子色 の間接照明。ぼくの迷彩のデイパックを、ゑりかが探っていた。ぼくはソファーから忍び寄って、折れそうな手首を握った。あの子が手にしていたのは、やっぱりスヌーピーの財布。ゑりかの怯えた目。
「おカネ、必要なんですか」
「帰りたくないの。親の彼氏が変態で、着替えとかお風呂とか覗いてくるの」
「お母さんに、いったんですか」
「あんたが誘ったんでしょう、っていわれた。何をいっても無駄だよ」
ぼくは暗鬱な気分になった。財布から札を抜いて、数えた。三万二〇〇〇円。ぼくは一万二〇〇〇円を差しだす。
「あげます。ここの部屋代と、帰りの交通費だけあればいいんで」
「いいの?」
「そんな母親なら、捨てたほうがいいです。負けないでください」
ゑりかの目に梔子色の光が揺れた。「ありがとう」
♂
朝日にうらぶれたHotel GEM PALACE。エントランス前の裏通りで、家出少女たちにぼくは手を振った。シバケンはにやにやとぼくを小突いた。
「よお。どおだったよ、初めてのオマンコは」
「やってないよ」
「あ?」
「裸は見せてもらったけど、さわってない」
「なんでよ」
「なんで? おれはおまえとしかしたくないっ」叫んだ。泣きたくもないのに、涙腺から熱いものがほとばしる。水分が両頬をくすぐった。「おまえは、あの子と、やったんだろ。おれの母さん、不倫したって話したよな。おれ、そういうの、ほんっといやだ」
「だって、キタの初めて、全部おれがもらっちゃったから、一回くらい女とさせてあげたくて。キタもやってるとおもったから……」
「芝が浮気していい理由には、ならないよ」
シバケンはこわばった顔でうつむく。ぼくは涙をぬぐって、ため息をついた。ため息ばかりついてる。
「おれ、帰る」
あの四つめの街へ。ほかに行く場所はない。シバケンは打たれたように顔をあげた。
「帰ったら、犯されんぞ」
「いいよ。もう、どうでもいい。帰る」
ぼくは背を向けて、歩きだす。仙台駅まで一キロもない。手首をつかむ骨ばった手。痛い。シバケンは唾を飛ばして喚く。
「あんなやつらにどおにかされるくらいなら、おれのがマシだろっ」
シバケンは無理やりぼくをひっ立てて、ラブホへとってかえした。
エレベーターに押しこまれ、強引にキスされる。他の体にさわった手。嫌悪感しか湧かなかった。ぼくはデイパックで殴ってもがいた。けど、あいつのほうが強い。部屋までひきずられた。
内線用のプッシュホンにぼくは手を伸ばす。シバケンの足が薙ぎ払った。電話線が抜けて、無音の受話器が転がる。手すりのついた円形ベッドへ突き飛ばされた。シバケンはぼくの右手に手錠をかけて、手すりに繋ぐ。蹴あげようとするぼくの脚のあいだに、あいつは割りこんだ。左手だけじゃまともに抗えず、下半身をむきだしにされる。ぼくのチンコをつかんで、シバケンは音を立ててしゃぶった。嫌でも刺激されれば勃起する。血で破裂しそうに張って、ぬるぬると濡れる。情けなくなって、ぼくは洟をすすった。手錠が食いこんで痛い。ぼくは力を抜いた。あいつはしゃぶるのをやめて、ぼくのサーマルの下から胸を撫でた。心音をたしかめるように、やや左を押さえる。
「おれんこと、すき?」
不安げな煙水晶の目。あいつの掌で、乳首が尖った。ぼくの利き乳は、たぶん左だ。
「おれが浮気したら、泣いちゃうくらい、すき?」
あいつは顔を近寄せた。ぼくは背いた。あいつはピアスの耳を甘嚙みした。
「キタ?」
「……せに」
「うん?」
「……わかってるくせにっ!」
腹の底から、あらんかぎりの声で怒鳴った。部屋の空気がびぃんと震える。シバケンは目を丸くし、怯んだ顔。初めてこいつをびびらせた。ざまあみろ。あいつはヤンキーの目になった。血の色の唇を左右にひく。
「いいよ。キタの体、むちゃくちゃにしてあげる。乳首も、チンポも、ケツも開発して、奴隷にしてやる。おれナシじゃ、いらんないよ」
あいつはぼくの乳首をきつく抓った。痛みと表裏一体の快感。すでに手遅れだった。童貞には戻れない。
♂
青葉山公園の花見のニュースをブラウン管が伝えていた。ぼくのケツの穴に、シバケンの指が埋まってる。緩慢な動きで、キンタマの裏を掻く。もう小一時間もそうしてる。ぼくのチンコはどろどろだ。ぼくはぼうっと脱力して、城址公園の三分咲きの花を思った。あいつの声。
「やっと桜前線が追いついてきたな」
尻んなかの指が、急に速く不規則に動いた。ぼくの体はパペットみたいにびくびくと跳ねる。右手のステンレスの手錠が、手すりに当たって鳴る。気持ちいい。気持ち悪い。ぼくは乱れた息を飲みこんで、目をつむった。
「ひくひくしちゃって、やらしいケツな」
「芝のせいだ」
「ちげえよ、キタがもともと淫乱なんだ」
あいつはぼくのチンコをてまえにひっぱって、放した。再び反りかえって、腹に当たる。糸をひいた指先を舐めて、あいつは笑った。
「キタが教室で脱いじゃったときさ、おれ、ビンビンに勃起してた。毎んち、あれをオカズにシコってさ。半年くらい」
「半年も?」
「もっとかな。とにかく毎日ヌいた。おれの頭んなか覗いたら、キタはおれを大っきらいになるなっておもってた」
「今、きらいになりそう」
「んなこといわないでよ」
シバケンは悲しげに笑った。ぼくは手錠をひっぱる。
「これ、はずしてくんない?」
「はずしたら、帰っちゃうんだろ」
「じゃ、せめて音楽きかせて」
音楽は苦痛を和らげる。あいつはぼくのデイパックから、MDウォークマンをだしてくれた。左イヤホンからメシアン《トゥランガリーラ交響曲》第八楽章。ピアノとオンドマルトノ、管弦楽。無調と調性の融合。いまの混沌とした状況にはふさわしい気がした。
シバケンは脇腹や股関節を舐めた。チンコやキンタマはよけた。じらして、ぼくが懇願するのを待っているのだ。ぼくは意地でもしたくなかった。左手は自由だったけど、シーツを握ってチンコにはふれなかった。
あいつはぼくの脚を広げて、内腿に舌を這わせた。くすぐったかった。尻んなかの指が抜けそうになったかと思うと、ぐっときつくなった。
「今、三本目」
「やめてくれ」
「おれは四本入るよ」
「ききたくないよ」
シバケンはぼくを裏返して、うつぶせにした。尻っぺたをぺちぺちと叩く。
「キタのお尻ってさ、キュッて上向いてて、女よりそそるよ。何かやってた?」
「小学校じゃ剣道クラブだった。それ以外はとくに何も」
「剣道か。おれの竹刀 、ほしくない?」
「欲しくない」
「そういわずにさ」
あいつは臀部の肉をつかんで、割れ目を押しひろげる。そこに生温かいものが這った。舐めているのだ。ゆるんだケツの穴に、ぬるりと硬くした舌を挿しいれた。目の前が白くなる。そんなことしちゃだめだ。人間としてだめだ。ぼくは腰をねじって抗った。あいつはぼくの腰を押さえこんだ。口でケツの穴全体を吸って、また舌を突きいれて蹂躙した。
「やめろ、汚いから」
「キモチい?」
ぼくは黙った。沈黙は肯定も同然だった。シバケンは熱心にそこをねぶった。ぼくは顔を枕にうずめて、声を殺した。でも、尻が勝手に揺れた。腹とシーツに挟まれたチンコが、だらだらと液を垂らす。いったい体のどこにこんなに水分があったんだろう。
ヴー、と振動音。あいつのケータイだ。あまりに非通知着信が執拗なので、マナーモードしたのだ。シバケンは舌打ち。
「また非通知?」
「そうだよ。マヂしつけえの」
あいつは何か閃いた顔をした。ケータイを手に、にやりと笑う。逃げ場はないのに、ぼくは円形ベッドのうえを後ずさった。
あいつは体でぼくの左手を下敷きにして、ケータイをぼくのチンコと一緒に握りこんだ。快感は、火傷の痛みに近かった。着メロと連動したヴァイブレーション。小さく短い嬌声が、ぼくの喉を繰りかえし突いた。あいつは笑った。
「早く思いつきゃよかった。サイコーじゃん、これ」
着信はやまなかった。四十五秒、一分、一分十五秒……ぼくはイった。胸に飛ぶ精液。どくどくと射精するあいだも、振動が続く。ひどくくすぐったくて、ぼくはとうとう音をあげた。
「もう……もう許して」
シバケンは汚れたケータイを投げて、ぼくをハグした。ベッドの下で振動音がやんだ。ブラウン管は午後の東北地方の天気を告げた。
♂
愛撫なおくわえる愛撫この指が永く記憶の痣になれよと
♂
とろとろとまどろんでいた。シャツを腕から抜かれて、右の手錠のはずされる感覚。それから、両手首にモヘアのような質感。ぼくは目をあけた。シバケンが頬笑む。
「おはよう」
自分の両手を見て、ぎょっとした。エロ本のSM特集で見るような、黒革の手錠に替わってた。短い鎖が鳴る。シバケンは長めの鎖をベッドの手すりに巻いて南京錠をかける。
「これなら少しマシだろ。おみやげいっぱい買ってきた」
テーブルに桜の花の枝、八十センチほどある大ぶりなものだ。たくさんの蕾、いくつかはほころんでいる。無残に手折られた根もとは、濡れタオルとビニール袋で包んであった。どこかの公園で折ってきたのか。器物損壊および窃盗罪だよ、といおうかと思ったけど、ぼくを拘束している時点で監禁罪だった。いまさらだ。
「ラブホって二十四時間以上いていいの?」
「管理人と話つけた。一日一万円でいいって」
あいつは紙袋から、ぼくの頭のまわりにブツを陳列した。コンドームの箱・ローションの小瓶・鈴つきのクリップ二個・輪っかのついた三角錐のプラグ・イチジク浣腸・グロテスクなほどリアルな形状の黒いヴァイブレーター――
「どれがいい」
黒いヴァイブから、ぼくはさっと目を背けた。シバケンはヴァイブを手にとった。
「やっぱ、これ? まえに欲しがってたもんね」
ヴーン、とヴァイブが振動する。ケータイとは比較にならないほどの強さで。ぼくはかぶりを振った。
「おれ、ホモじゃない」
「知ってるよ。キタはノンケだろ」
「こんなの、いやだ」
「でも、勃ってるよ」
あいつはぼくの亀頭にデコピンした。痛い。
「いやだ、やだ、帰りたい」
「だから、帰ったら犯られちゃうんだってば」
あいつはヴァイブを切った。トレーナーを脱いで、ぼくを抱っこする。あやすみたいに揺らして、キスした。
「イイコだから、ゆうこときけよ。な」
ぼくの腰に回ったシバケンの手が、何かしていた。尻の割れ目にとろみのある液体を垂らして、指でケツの穴の奥へと押しこむ。そこがじんわりと熱くなったかと思うと、だんだん痒くなってきた。
「何したの」
「よくなるやつだよ。どんな感じ」
「痒い。いやだ、これ」
ぼくは体をよじって悶えた。手錠に戒められた両手で、あいつの胸を打った。鎖が鳴る。
「いやだ。これ、とって」
あいつは興奮してるみたいだった。煙水晶の目の妖しい光。ぼくの姿態をじっと凝視して、胸郭が動くほど大きく息をする。虫の這うような痒みに、気が狂いそうだ。耐えきれず、ぼくはとうとう口にした。
「……掻いて」
「どこを?」
口にしたくなかった。「……ケツん、なか」
「どれで?」
シバケンは大人のオモチャをぐるりと指差す。ぼくはかぶりを振る。
「……指」
「ほんとに指でいいの?」
「……なんでも、いいから」
「これは?」
シバケンはみずからの股間を指差した。
「……な、んでも、いい、から、はやく。かいて、なかこすって。おねがい」
ぼくは半べそで喚いて、涎を垂らした。あいつはジーンズを脱いで、ゴムをみずからのチンコにかぶせた。痒くなるローションを、ぼくのケツの穴にさらに注入する。四つん這いで、うしろから挿入された。痒くてたまらない粘膜をこすりあげられて、ぼくは震えた。もっと奥まで、いっぱいこすってほしい。ぼくはすすんで尻を振った。肉が肉を打つ音。うつむくと、揺れるドッグタグのむこう、みなぎったチンコとキンタマごしに、あいつの怒張したアレが激しく出入りしていた。一抹の情けなさがよぎったけど、目をつむって忘れた。
あいつがいきなり体を離した。ぼくは締まりのない尻をあげた。
「ぬいちゃ、やだ。もっと、こすって」
あいつは仰向けになって、ぼくを跨がせた。ぼくのケツの穴に亀頭を宛がって、ぼくの腰をつかんで沈みこませる。ぼく自身の体重で、やつの硬いチンコがずぶずぶと深くめりこむ。いままでで一番深く入って、ぼくはさすがに悲鳴をあげた。シバケンはいう。
「自分で腰ふって、すきなトコ当ててみ」
騎乗位はやったことない。ぼくは顔を背けた。「……できな……い」
「手伝ってやるから。な」
シバケンは腹筋運動の要領で上体を起こした。対面座位になる。おそろいのドッグタグがぶつかった。手錠の両手をあいつの首にひっかけるふうに抱いた。あいつが腰を支える。
「それじゃ抜けちゃうよ。上下じゃなくて、前後に動くんだよ。スライドさせるみたいに……そう、じょうず」
ぼくは夢中で尻を揺すった。獣のようにあうあうと吠え声をあげながら。
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空咳がでて、体の芯が熱かった。ゑりかに風邪を感染されたのかもしれなかった。眠りたいのに、よく眠れなかった。射精して、まどろんで、また痒いローションを塗られて犯された。カレー弁当を食べさせられて、洗面器にオシッコして、犯されて。浣腸液で脱糞させられて、鈴のクリップで乳首を挟まれて、ヴァイブをチンコに当てられて、犯されて。ピアスの耳を消毒されて、タオルで体をふかれて、時代劇のちゃんばらを見ながら犯された。尻の違和感で目を覚ますと、シバケンに犯されていて、そのまま眠りこけた。しても、しても、しても、キリがなかった。宝石の家に籠ったシヴァとパールバディみたいに。《トゥランガリーラ交響曲》をなんべんもきいた。曜日感覚どころか、時間の感覚もなくなった。今は四月何日の、何時なんだろう。懐中時計は止まっていた。ただテーブルの桜の花がほころんでいくので、時間経過はわかった。
夢を見た。父が餃子を焼こうとしていた。でも、菜種油のボトルを倒して、床が油まみれになった。父はつるつると滑って、生の餃子をぶちまけた。それがなぜかものすごくおかしくて、ぼくはバカ笑いした。
ほんとうに笑いながら目が覚めた。家の台所じゃなくて、ラブホの部屋だった。手錠と鎖。乾いた精液まみれの体とシーツ。爛漫たる桜の枝。シバケンの姿がなかった。置き去りにされたんだろうか。じいちゃんも、父も、母も……みんな、ぼくを置いてった。心細くて、悲しくて、シーツに突っ伏した。涙がぼたぼたと落ちて、洟が垂れて、うまく息ができない。無理に息をするたび、胸が切り刻まれる。
トイレの流れる音がして、シバケンがでてきた。号泣するぼくを、あいつは抱擁した。強い腕と、あたたかい胸。
「泣かないで、おれがいるから」
言葉が、記憶野をひっ掻いた。涙が止まって、体が小刻みに震えた。
「どおした」
「……おかあさんが、泣いてたんだ。おれが小さいとき」
当時は母のものだった二階の部屋、鏡台の前で母は泣いていた。涙の理由は、ぼくは幼すぎてわからなかった。
「泣かないで、ぼくがいるから、っていったんだ。そしたら」
母は顔をゆがめて、怒鳴ったのだ。
「あんたなんかいてもしょうがないのよ、って」
いまの今まで、忘れていた。もっと酷いことも、たくさんいわれたのに。四歳のぼくには、それだけショックだったのかもしれない。
シバケンは泣きそうな目をして、ぼくの髪を撫でた。
「キタが、かわいそうだ」
「かわいそうっていうなよっ」
ぼくは怒鳴って、手錠の手であいつの胸を殴った。また涙がでてくる。
「自分をかわいそうなんて思ったら……死にたくなるだろっ」
ぼくは四歳みたいに泣いた。息ができない。誰か、だれか……ぼくを――
「おかして」
シバケンは涙を舐めとって、ぼくを組み敷いた。
「おれんだ」
いやらしい腰つきでシバケンはささやいた。
「おれんだ。誰にもやんねえ」
「そうだよ、おまえんだ」
ぼくはぼんやりと答えて、ただ身をゆだねた。物をうまく考えられなくなっていた。
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死んだふりした少年と少年を花のふぶきが埋葬します
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床一面の花びら。枝の桜があらかた咲いて散ったころ、シバケンは黒革の手錠をはずして、ぼくを風呂に入れた。あいつは服を着て、荷物をまとめる。
「そろそろ行こう」
「どこへ?」
「次の街」
「イーハトーブまで?」
シバケンは悲しげな目をして、ぼくを右手で撫でた。
「行けるところまでだよ」
仙台は花曇り。風が懐かしい。何日ぶりか、ぼくはまともに歩いた。足もとがおぼつかなかった。咳きこんで、よたついて、シバケンに支えられる。イヤホンを嵌めてないのに、頭んなかで《トゥランガリーラ交響曲》が回っていた。
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とおくから遠くへ風は突き抜けて穢土 の桜のうつくしいこと
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