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四十八哩(雨は正しき者にも正しからざる者にも)
雨は青梨の匂い。
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金曜日といえば宇多田ヒカル《traveling》だといったら、おれの世代はドリカムの《決戦は金曜日》やな、と千葉透徹はいった。ポケモングッズであふれた日産キューブ、運転席の千葉の左薬指に光るゴールドリング。よその旦那さんで、よそのお父さんだった。これって不倫だよな、とぼくは思った。不倫した母親をあんなに軽蔑していたのに、同じ立場になるなんて皮肉だった。
「けど、制服のまんまやと、連れ歩きづらいな」
ぼくは高校のワイシャツとズボンで来ていた。両手でレジメンタルタイをいじった。
「こういうほうがうれしいのかと思った」
「うれしいで。おっちゃんはもう、そういう時代には戻られへんからな」
千葉は手を伸ばして、ぼくの頭をくりくりと撫でた。なんだかガキあつかいされてる気分だ。
「おまえ、けっこうおしゃれやな。そんなこじゃれたピンつけて」
ぼくのネクタイに、真珠を挟んだピアノ型のタイタック。
「中学のころの友達が誕生日にくれた。おれがピアノ弾くからって。そいつはヴァイオリン弾いてたんだけどさ、マクドナルドをマクダァノゥとかいっちゃう帰国子女で。そいつは卒業まえにマンハッタンのナントカって芸能高校に行ったよ。自分で自分を見限ったら、一生許さないってそいつにいわれて。だから、おれ、ピアノ辞めないことにしたんだ。そいつに一生思われてるなんて気持ち悪いからさ」
千葉は笑った。「ええ話やな」
そうかな?
「ピアノバー行ってみるか。酒は飲まれへんけど」
車両用信号が青になった。千葉はウインカーをだして、左折した。
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糠雨がきれいにみえるこの日ごろ恋をしているわけではないが
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BLUE JAMは中区港町 の半地下の店だった。階段つきの入口はかなり狭かった。ステージに鎮座した褐色のグランドピアノ。ぼくは悩んだ。
「ピアノ、どうやって入れたんだろう。分解したのかな?」
「壁つくるまえに搬入したんちゃうか。知らんけど」
「あ、そっか。おれ、アホじゃん」
「おれも地下鉄の電車どこから入れたんか考えすぎて寝不足やねん」
ぼくは笑った。いぶし銀の髭のマスターに、千葉はクールコリンズっていうノンアルコールカクテルを二つ注文した。世慣れた大人って感じだ。マスターはいう。
「脚だけ外してね、縦にして入れたんですよ」
「おまえのほうが正解やんか」
千葉は笑った。ぼくはいう。
「よく来るの?」
「若い子ぉ口説くときはな」
「そんなにしょっちゅう口説いてんだ」
「もう三年もご無沙汰やねん」
千葉は泣き真似をした。この人が三年まえに口説いた相手とどうなったのか気になったけど、きかなかった。きいてもしょうがない。
ぼくらは乾杯した。クールコリンズはレモンとミントの爽やかな炭酸だった。
ピアノの座には白シャツにヴェストの若い男。ぼくの知らないジャズを静かに弾いてる。音大生か。ぼくには関係のない、向こう側の人間だ。
「おまえも弾くか」
千葉がいった。ぼくは首を振った。
「おれ、ジャズなんか知らないもん」
「べつにジャズやなくてええやんか。なあ、マスター」
「飛び入り参加は歓迎ですよ」
ぼくは椅子の位置を微調整した。褐色のピアノはベヒシュタインだった。ピアノ音楽はベヒシュタインのためだけにつくられるべきだ、とクロード・ドビュッシーは絶賛したらしい。やっぱり、この曲かな。《喜びの島》。家のヤマハよりトーンに深みがあって、一音一音がクリアだった。昔は不可能に思えた変調子も、今は軽くこなせる。弾きつづけていてよかった、と心から思った。ぼくはスニーカーでペダルを入れて、笑った。
ぼくは調子に乗って、おまけに宇多田ヒカル《COLORS》をジャズっぽくアレンジして弾いた。まあ、もともと宇多田はジャズの匂いがするけどね。千葉が拍手した。マスターがいう。
「手塚 くんよりうまいじゃない」
そりゃないよマスター、とアルバイト生が苦笑した。
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いだくもの持たずにいだくわが胸は無人のライヴハウスの広さ
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「おまえ、ピアノ弾いてたらかっこええなぁ。そらヴァイオリニストが真珠貢 ぐわけやで」
千葉は運転席でシートベルトを締めた。ぼくも助手席でシートベルトを締める。
「何それ、弾いてなかったらかっこよくないの」
「ちゃうちゃう、割増しでって意味やんか。プラス思考、プラス思考」
病気の被害妄想のせいで、相手のなにげない言葉を悪い意味にとってしまうことがあった。でも、千葉は意に介さなかった。この人といるのは、とても楽だった。
千葉はイグニッションキーを回して、シフトレヴァーに手をかけた。
「きょうも横浜駅でええの?」
この人、今夜も何もしないでぼくを帰す気か。この人は同情でぼくにやさしいだけなんだろうか。それともほんのガキンチョだと思ってんだろうか。ぼくはシフトレヴァーの左手を握った。
「おれのこと買って」
千葉が一時停止した。驚愕に瞠られた目。
「おれじゃ、そういう気になれない?」
千葉は何もいわない。大きく息をしているだけ。ぼくは苦しくなって、手をひっこめた。
「そうだよな。どんな病気もらってるかわかんないし」
性病の検査を受けるには、感染リスクのある行為から三週間は経たないと判定できなかった。芝安吾たちに輪姦 されてから、やっと三週間になるかならないかってタイミングだった。こわかった。ただでさえ頭が壊れてるのに、もしもHIVにでも感染していたら。これ以上、うちのクソオヤジに医療費の負担を強いるのは心苦しかった。
ゴールドリングの左手がぼくの右手をつかんだ。
「なんぼ?」
千葉の目に、欲望の光。ぼくは魅入られて見つめかえした。
「三万」
「三万……」
「高い?」
「いや、むしろ……」
千葉はそれきり黙ってハンドルを捌いた。どこへ行くのか、ぼくはきかなかった。警察署の補導室だったら嫌だな、と思ってた。ぼくはイヤホンを嵌めて、R.シュトラウス《ばらの騎士》をきいた。
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そのこととべつななにかをかんがえて縦列駐車の隙間でキスを
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《ばらの騎士》終幕のソプラノの三重唱。南区の安アパート一階の角部屋、千葉の別宅。
「よお栗の花のニオイとか、イカのニオイとかいうけどな、エンガワはまんまやで。おれ、あれも似てる思うねんけど、梨の後味。おまえは思えへん?」
キッチンの次の間で、千葉はネクタイをゆるめて、グラスの水割りをちびちび飲んだ。ぼくの前にも同じものがあった。ぼくはおそるおそる飲んだ。味はおいしくない。でも、くわっと火照るように酔いが回る。ぼくはぐびぐびいった。
「アホ、ゆっくり飲み」
ぼくは笑った。「酔った」
「しゃーない子ぉやな」
千葉はぼくを抱っこした。大人の筋肉と骨格。酔ってるせいか高い体温。ぼくは力を抜いた。
「なんか安心する」
「狼やのに?」
「千葉さんは、ひどいことしなそうだし」
ぼくは体を離して、千葉の目を見た。欲望の光、でもまだ理性が勝ってる。どうしたら、この人は夢中になってくれるだろう。ぼくは千葉のベルトに手をかけた。
「千葉さんの、してあげるから」
「順番ちゃうがな」
乾いた両手がぼくの頬を挟んだ。嚙みつくみたいなキスだった。ウイスキーの味がした。息継ぎしながら、何分も続けた。ぼくは勃起してた。千葉がささやく。
「あっちの部屋行こ」
制服を汚さないほうがええからといわれて、ぼくだけすっぽんぽんにされた。クイーンサイズのウォーターベッドで、ぼくは千葉のいうままに脚をひらいた。勃起したアレを見せつけるみたいに。それだけでものすごく恥ずかしいのに、千葉はローションと、チンコの形のオモチャを置いた。
「これでアナニーして見してや」
「恥ずかしいよ」
「恥じらってるの見るのがええんやんか」
千葉は意地の悪い笑み。三万円も要求したのだ。しょうがない。ぼくはローションを手にだして、自分のケツの穴に塗った。下処理は家でしてきた。指で慣らして、拡げる。息がかかるほど間近で、千葉は服を着たまま、食い入るような目つきで見ている。たまんなかった。
「知ってんねんで。おまえのアナル、めちゃめちゃモロ感やもんな。いっぱいケツ振って、潮吹きまですんねやろ。なあ、八尋」
ぼくのチンコが漲って、濡れそぼる。ぼくはオモチャにローションを塗って、ケツに深く挿した。ゆっくりと動かす。くちゅくちゅと濡れた音。芯から火照って、全身にしっとりと汗をかく。ぼくはのけぞって、荒い息をした。
「……ねえ、もうイっちゃう」
「まだ、あかん」
「……あんたも、脱いで。おれの、さわってよ」
千葉はやっとネクタイを解いた。ワイシャツとアンダーシャツを脱ぐ。腹まわりに中年太りの兆しはあるけど、充分いい体だった。千葉はぼくを抱いて、ぼくのケツに刺さってるオモチャをいじった。ぼくは感じて、悶えた。
「……イく、イくぅ」
千葉は動かすのをやめた。ぼくは尻を振った。
「……ねえ、やめないでよ」
「もうちょい我慢しい」
千葉はベルトを外して、下着ごとズボンを脱いだ。おっきなチンコ、千葉はゴムをかぶせた。ゴムの上からローションを塗りたくって、正面からぼくのケツにゆっくりと埋めこんだ。尻のなかが、千葉でいっぱいになる。えもいわれぬよろこび。千葉の目の深い欲望の光。ぼくは声を殺して、喘いだ。壁が薄そうだったから。千葉の手がざらりと尻を撫でた。
「なんやこのピッチピチのお尻は」
体位を変えながら、延々と突かれた。中年のくせに、千葉はタフだった。イきそうになると、寸止めされた。何度も、なんども。天国で拷問されてる気分だった。我慢できなくて、ぼくは自分のチンコをしごいた。千葉がぼくの手をバンザイさせる。ぼくは尻を振ってねだった。
「……お願い、もうイかせて」
「……ほな、一緒にイこ」
スパートのように激しく突きあげられた。百瀬新んちで見たAVの女優みたいに、ぼくは高い声をあげた。きっと、上や隣の部屋に丸ぎこえだ。でも、抑えきれなかった。
瞬間、頭んなかが白熱した。拷問からの解放、天国からの追放。どくどくと脈打つようにぼくは長く射精した。千葉のアレが抜けて、ぼくの内腿にあたたかい精液がかかった。
余韻に震えていると、千葉に抱きしめられた。目を見交わして、荒い呼吸を鎮めていく。たぶん、同じことを思ってた。千葉がつぶやく。
「……あかん、あした筋肉痛や」
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笑わなくなったら大人 親指でなぞってあげるその片笑窪
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明け方、目が覚めた。千葉が床に座って、五〇インチのテレビを見てた。音声はミュートになってた。芝賢治とぼくが出演したビデオ。十四歳のぼくと芝賢治が対面座位で腰を振っていた。いま見ると、ぼくらはてんでガキだった。
「このDVD……」
「おゝ、なんや、起きたんか」
ふりかえった千葉の顔は、テレビの逆光で暗かった。表情のデティールが読めない。
「このDVD、いくらした」
「一万以上したわ」
「じゃあ、二万円だすから、売って」
「これは手放したないな。宝モンやねん」
「じゃあ、三万円」
「ゆうべの稼ぎ無くなるやんか」
「カネなんか、どうでもいいよ。ああでもいわないと、あんたが手ぇだしてくれないと思ったから」
「おまえ……」
逆光の千葉が笑った。ぼくの声は乾いて響く。
「ねえ、あんたに淫行されたって警察にいう……っていったら、いうこときいてくれる?」
千葉は沈黙した。空気が変わった。
「おまえ、ほんまは北浦竜也いうねんな」
表情のない声。千葉はウォーターベッドへ何か投げた。高校の生徒手帳だった。
「おっちゃん、手クセ悪いねん。ケーサツ行ってもかまへんけど、そんときは学校にも親にも知れるで。ええの?」
頭の芯が痺れた感じがした。画面のなかで十四歳のぼくが射精して、壊れた噴水みたいに潮を吹いた。
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直線の多い名前を授かって曲がったことが嫌いでもない
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