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五十哩(カムパネルラを探してもむだだ)
二〇〇一年四月十八日。芝賢治、享年十四歳。
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シイタケが苦手な男友達の住みついた区はキノコのかたち
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十七歳の春休み、今井町の実家からぼくは単身で引っ越した。ルドルフは連れてこなかった。ペット可の物件は高かったし、クソオヤジひとりぼっちじゃ気の毒なので。国道一号線沿い、保土ヶ谷町の赤いドアの白いマンション。四階の角部屋、1DK。アップライトピアノと冷蔵庫だけは先に専門家に運んでもらった。免許とりたての白鳥雄飛が軽トラを借りてくれて、目黒秀気と百瀬新も手伝ってくれて、家具と段ボールを運びこんだ。ぼくはキッチン用品の箱を探し当てて、キムチ鍋(豚肉・豚肉・豚肉!)をこしらえた。いつかの清水俊太の秋田土産の高清水で、四人で乾杯した。百瀬がグラス片手にいう。
「おれ、ばあちゃんのラーメン屋、継ぐ気でいたんすよ。そしたら、ここはわたしの代で終わりだよ、手に職つけなっていわれちゃって。いろいろ考えたんすけど、義肢装具士の学校いってみるかなって。それだと、デザイン科じゃなくて機械科行っときゃよかったなぁって後悔して。今から転科って可能ですかね?」
「きいたことねえな。卒業すれば、別の科なら何べんでも入学できるけどよ、時間と金がもったいねえって。そのまま義足の学校行けよ。デザイン科出身にしかつくれねえ義足もあるかもしれねえし」
目黒はいった。目黒は東京の専門学校の理容学科に、雄飛は鍵師の養成学校に行っていた。二人とも、もうリーゼントじゃなかった。
酒がたりないので、百瀬に追加で買いに行かせた。いくら飲んでも目黒は顔色を変えず、百瀬は陽気になったが一定のテンションを保った。雄飛は顔を赤くして、他の三人にキスしてまわった。ぼくは困って、ほっぺで受けておいた。百瀬はうれしそうにまともに応えていた。目黒は鬱陶しそうにあしらった。
「こいつ、酔うとキス魔になるんだよ」
「さみしがりやなんですよ、きっと」
ぼくは缶ハイボールをちびちび飲んだ。雄飛は段ボールの狭間に寝転がって、小さく鼾をかいた。むにゃむにゃという。
「……メグ、愛してるぞ」
「うるせえな、わかってるよ」
目黒はため息をついて、赤マルを咥えてマッチを擦った。
百瀬は女から電話で呼びだされて、先に帰っていった。目黒とぼくは話しながら、酒を飲みつづけた。古いシステムコンポから、シサスク《銀河巡礼》。曖昧模糊としたプリペアドピアノの旋律。
「おめえは、まあ、不思議な曲をきくよな」
「天文オタクのエストニア人がつくったんですよ。北半球の二十九の星座に、それぞれメロディをつけたんです。星座の名前や神話は関係なくて、星のイメージそのものを表現してるんだそうですよ。最終的に全八十八星座つくる気でいるみたいですね」
「なるほどなぁ、よくわかんねえけど」目黒は新しいタバコに火をつけて、煙を深く吸って吐いた。「なあ、おめえってホモなんだよな?」
ぼくは首をひねった。自分の性的指向については、いまだにはっきりとつかみきれないような感覚がある。「バイですかね、女もすきですから。でも、最近は男のほうがいいんで、ホモっちゃホモですね」
「それって、芝のせいか?」
「まあ、きっかけは芝賢治ですけど」
「ん? いや、芝安吾じゃなく?」
ぼくはとりちがえたことに気づいた。ぼくにとって芝は芝賢治だけだった。ぼくは酔った勢いでゲロった。
「おれの童貞奪ったのは芝賢治ですよ。あいつが死ぬ直前まで一緒にいて、やりまくってました」
「えぇ、ケン坊もそっちなの?」目黒は煙を吐いて、缶チューハイを呷った。「んで、変なこときいていいか。ぶっちゃけ、ケツ掘られんのってどんな?」
「なんすか、猥談すか」
「いや、まじめな話。痛えの?」
「慣れないうちは痛いです。向き不向きもありますかね。おれの知りあいの人は何度やっても痛くて無理っていってます。おれはめちゃ向いてましたけどね」
「いいの?」
「ここだけの話、締めたときに奥突かれると、前立腺に響いて、死ぬほどいいです。知っちゃうと、地獄ですよ。おすすめはしません」
ぼくは薄く笑った。目黒はまばたきして、タバコの灰を皿に落とした。
「じゃ、おれはやめとこうかな」
「試そうと思ったんですか?」
目黒は困った顔をして、眠る雄飛を一瞥した。「いっぺん応えてやったら、こいつも気がすんで次いけんじゃねえかと思ってさ。まだ童貞なんだぜ。蘭ちゃんとは続いてるみたいだけど、妹にしか思えないっていうしさ」目黒は煙を長く吐いた。「それとも逆に、突き放してやんのが愛かな」
「占ってみます?」
ぼくは段ボールを開封して、黒猫のポーチを探り当てた。タロットデッキを床に置く。
「これを気のすむまで混ぜてください。なるべく裏返らないように」
目黒は真剣な顔で、七十八枚のカードをステアした。ぼくはカードをまとめた。上半分の束をとって、下半分と入れ替える。一枚目を目黒の前に置き、さらに二、三枚目を並列に置き、さらに四、五枚目をぼくのそばに並列に置いた。目黒から見て、カードがV字を描くように。ぼくは一枚目から順に捲った。
「現在の問題の位置に、コインのキングの逆位置、これは物質的な不足や不満って意味があります。発展的な関係を築いていこうって雰囲気はあるんですけど、おたがいに腰がひけちゃってる感じですね。それで、メグさんが突き放した場合、将来の位置にカップの八の正位置がでてます。ユーヒさんは察して、メグさんが拍子抜けするくらいあっさり離れていきます。突き放した場合の最終結果に、ソードのキングの逆位置。ユーヒさん、自暴自棄になるかもしれませんね。それをあからさまに態度にだすことはしないんですけどね。メグさんが応えてあげた場合、将来の位置にカップの六の逆位置。子供時代にいろいろあったんですね。過去は過去としてしっかり向きあって、人生を新しく見直す必要に迫られます。応えた場合の最終結果に、戦車の正位置。いろいろな思いや葛藤はあるんですけど、そのなかでこれだ! って落としどころを見つけられます。主導権はメグさんが握ってます。流されることも、溺れることもない。まあ、意外とハマってうまくいっちゃうのかもしれないです。絵を見てください。この二頭の白黒のスフィンクスは、雄と雌です。それと、あいだに独楽みたいのがあるでしょう。合わさったリンガとヨーニです」
「リンガとヨーニって?」
「ようするに、チンコとマンコです」
「ぅわぁ……」目黒は頭をかかえた。「えー、でもなー」
「べつに突っこむだけがセックスじゃないですし、無理にしなくていいと思いますよ。あくまで占い上のシンボルの話なんで」
「……うーん。まあ、よく考えてみんわ。ありがとな」
ぼくらはまた静かに飲んだ。目黒がぽつりとつぶやく。
「もう三年経っちまうんだな、ケン坊が死んでからさ」
じき四月。芝賢治とすごした季節が、また来る。でも、あいつは、もういない。
「あいつに、最後に、いわれたんです。いちご水! って。意味がわからなくて。それが、ずっと、トゲみたいに刺さってて、苦しいんです」
いちご水、raspberry cordial。コーディアルは、心からの。ラズベリーの花言葉は、悔恨。それが答えのような気もした。でも、アルファベットもろくに書けなかったあいつが、ぼくでさえ知らなかった英単語を理解していたとは到底思えなかった。きっと、あいつは花言葉なんて興味はなかったはずだ。
目黒はいう。「それってBJCのあれじゃねえの」
「BJC……」
「BLANKEY JET CITYのさ、《いちご水》って曲があんだよ。シングルのB面で、アルバムにも入ってないマイナーなやつなんだけど。今、きかしてやるよ」目黒はiPodをいじって、笑った。「BJC、ケン坊に教えてやったの、おれなんだぜ」
目黒はイヤホンを片っぽ、ぼくに嵌めてくれた。静かなギターリフから始まった。いちご水、ピンクの影、ふれようと――きっと何かの隠喩なんだろう、美しい詞だった。サビの詞に、ぼくはこらえきれなかった。熱くなった涙腺から、涙がとめどなく流れた。ぼくは口を押えた。嗚咽するほど泣くなんて、いつ以来だろう。目黒は無言で、ぼくの背中をさすった。雄飛は何も知らず、寝息を立てている。
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とこしえの愛など知ったこっちゃない裸眼に爆ぜる水沫 のあおさ
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信号機のきれいな夜。目黒は雄飛を叩き起こして、徒歩で帰っていった。部屋に戻って、ぼくは荷解きの続きをやった。文房具類の箱から、F4のスケッチブック。ページはすべて、芝賢治が描いたぼくの顔や体。眺めていると泣きそうになって、長くは見られないのだけど、処分するなんてとてもできなかった。
「おまえさ、おれを美化しすぎだよ」
あいつに会いたい。あいつと話したい。芝賢治のケータイ番号なら暗記している。オクレサクハナハサクラ。かけたって繋がりっこないけど。
ぼくはケータイをひらいた。ボタンを十一回プッシュして、耳に当てた。
予想と裏腹に、呼出音。それが途切れる。
『……はい』中年の女の人の声。『どちらさま』
ぼくは絶句した。女の人はいう。
『賢治の、お友達かな?』
芝賢治の、おかあさんだ。思わず、ぼくは通話を叩き切ってしまった。ケータイを握りしめ、混乱気味の頭を鎮めてゆく。
息子のケータイを、おかあさんは生かしつづけているのだ。あれから三年も経つのに。
会いにいかなくちゃ、と思った。芝賢治じゃなく、そのおかあさんに。
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信号の緑黄赤どこまでも規則正しくゆくほかはなく
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