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百哩(修羅修修修、春)
また四月が来た。なんど春が巡ってきても、ぼくは芝賢治を思いだす。
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花桃が炎のように揺れていて消せぬ記憶の数だけの赤
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ことしの四月十八日は日曜日だったけど、ぼくは高校の制服を着た。ぼくの手持ちの服のなかじゃ、それが一番フォーマルだった。晴れ、東の風は肌寒い。ぼくは両手をズボンのポケットに突っこんで、十メートル先のアスファルトを見ながら歩いた。保土ヶ谷駅前の花屋で、三千円ぶんの花を買う。カーネーション・キンセンカ・カスミソウ、みんな白い花。
芝賢治の遺骨は、今井町の霊園に眠っているはずだった。ぼくは相鉄バスに揺られて、実家のある町をめざした。片耳にイリーナ・メジューエワの弾くグリーグ《抒情小曲集》。芝賢治のことを考えていた。あれから三年が経った。あいつの記憶は、ある部分はもう朧げになってきた。けれど、ある部分はより鮮明になった。そのときの感情や印象や手ざわり。それらは余分なディテールを削ぎ落とし、核だけ残った。その鋭くなった部分を、なんどでも何度でもなぞりたかった。自慰のように、自傷のように。
花束と水桶を手に、霊園の階段をのぼった。横に平たい洋風の墓石が整列していた。休日の昼間、墓参りの人がちらほらといる。ぼくは芝家の墓を探して、片っぱしから一つひとつの墓銘を読んでいった。墓銘さえない新品の墓も多かった。
目的の墓石は磨いてあった。芝真由美さんがやったのかもしれなかった。あいつの戒名は、賢空春愚童子だった。あいつらしくて、いい戒名だ。
人影が差した。カラフルな仏花を抱いたカーキ色のつなぎの男、髙梨与一だった。葬式のときを思いだして、ぼくは身構えた。髙梨はぎこちなく頬笑んだ。敵意がないと示すように。その眉毛は相変わらず手入れのしすぎで細かった。
髙梨が水をかけて、ぼくが花を活けた。墓の右肩に色の花/左肩に白い花。ぼくらはそれぞれ両手を合わせて祷った。髙梨はブツブツと経のようなものを唱えてた。
「おい、キタ」
キタ。その呼びかたに、心臓がすくんだ。芝賢治がいた時間に呼び戻された気がして。髙梨は横顔のままいう。
「ちょっとツラ貸せ」
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ただ古代都市に似ながら墓たちはそ知らぬ顔でそびえるばかり
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「葬式んときは悪かったな」髙梨はうつむきがちに、UCCの缶コーヒーをひとくち。「ケンジの兄貴がクソ野郎なのは、おれも知ってる。いい気味だった」
市営住宅そばの児童公園、尻に樹脂製のベンチ。ぼくの手にも同じ缶がある。そのあたたかさを皮膚にすりこむように回す。前髪を散らす風は冷たかったが春のやわらかさを持っていた。
「人間って、かんたんに死んじまうよな。おれのオヤジんときも突然でさ。自動車整備士だったんだけどな。整備中にタイヤが破裂して、即死だったよ」
タイヤが破裂して人が死ぬってことが、ぼくはうまくイメージできなかった。
「タイヤって、そんな危ないもんなの?」
「あれだよ。四トントラックの、でっけえやつな。オヤジは空気圧の点検してて、タイヤバーストが起きて、吹っ飛ばされて内臓破裂だ。たまにあるんだ、そういう事故が」髙梨はコーヒーをひとくち。「その制服、もしかして程工?」
「そうだよ」
「へー。てっきり、おまえはもっとアタマいいとこ行ったかと思ってたわ」髙梨はコーヒーを口へ運びかけて、その手をおろす。「ま、高校すら行けねえおれからすりゃ立派なもんだ。そんでよ、キタ」
「そのキタって呼びかた、やめてほしい。芝を思いだして、つらい」
「わりい。そんじゃ、タツヤよ。あいつの女のことって知らね?」
「……女?」
「ケンジのやつ、死ぬまえに、酔ったとき、いっぺんだけノロケてたんだよ。あいつ遊んでるわりに、そういう浮いたハナシきかなかったからさ、ビックリして、おれもうれしくてさ、ひやかしまくってやったんだ。でも、どんなにきいても、どこの誰なのかは教えてくんなかったんだよな。おまえはなんかきいてね?」
たぶん、ぼくのことだ。ぼくの口は自動的に噓をつく。
「そういう子がいたってことはきいた。でも、くわしいことは、おれも知らないんだ」
「そっか。ケンジはおまえんことずいぶん気にいってたみてえだったから、ハナしてるかと思ったんだけど」
「その子が、何か」
「その子はケンジが死んだこと、まだ知らねんじゃねえかと思ってさ。あいつの墓の前に、つれてきてやりてえんだ」
「知らないままのほうが、いいかもしれない」
「なんでだよ」
「芝が死んだのがわかったら、その子だって悲しむ。これ以上、泣くやつ増やしてどうすんだよ」
髙梨は反論しなかった。もっともらしい、精巧な噓。ぼくは大噓つきだ。髙梨はコーヒーをひとくち。ぼくはどうしても気になった。
「芝は、その子のこと、どんなふうにいってた」
髙梨はいぶかしげな顔。「そうだな。いろいろいってたけど、うろおぼえだな。とにかく、すげえキレーな子だって。ほかのやつにはどうだか知んねえけど、おれにとっては世界一キレーなんだってぬかしてたな。もう、ごちそーさまーって感じ。んで、いちおーモノにはできたんだけど、ちっとも自分のモンになった気がしない。だから、終わっても、なんべんでも抱きたくなるんだと。あと、なんつってたっけ。あゝ、そうだ。気は強いけど、ちょっと天然入ってて、それがまたカワイーんだと。キスマークのことも知らなくて虫刺されとカンちがいするから、チョーうけたって。でも、ほんとはおれみたいなやつがいっしょにいちゃいけない子なんだって、すっげえ悲しそうなカオしていうんだ。おれ、もう、それ以上つっこんできけなかった。もしかして、どっかのお嬢さまとかだったのかな」
「……」
「……ぅおい! どうした、おまえ」
ぼくはマフラーの液漏れみたいに泣いていた。「……芝は、幸せだったのかな。十四歳だった。これからだったはずなのに、これじゃなんのために生まれてきたんだかわかんねえじゃんか」
「そうだな。でも、まあ、こんだけ泣いてくれるダチがいたら、幸せなんじゃねえかな」
「……芝は、髙梨があんまり瑞乃ちゃんにべったりだから、さみしいっていってたよ」
「そっか」髙梨はせつなげに笑った。「おれは、ケンジがおまえとつるんでんの、おもしろくなかったんだよな。おまえの影響なのか急にこむつかしい言葉つかいだしたり、アタマおかしいことやりだしたりさ」
「頭おかしいこと?」
「いっしょに吉牛いったら、あいつ、おれはヒンドゥー教徒だから牛は食わねえ! とかいいだして豚丼なんか注文しやがんの。ありえねえよ。吉牛だぞ? 牛丼屋だぞ? おめえはバカか! ってデコピンしてやったわ」
ぼくは泣きながら噴きだした。シバケンらしいや。髙梨は飲みほした缶を放った。それはきれいに弧をえがいて、くず籠へ吸いこまれた。髙梨は両腕を頭の後ろで組んだ。
「なーんだ、両思いだったんじゃん、おれとケンジ」
「そういえば、瑞乃ちゃん元気?」
「それがよー、あいつ、できちゃったんだ」
「男が?」
「っんでだよ! ちげえよ。ガキだよ、おれの」
えっ!!? ぼくはつい叫んだ。遠くの子づれの母親が不審げに見やる。髙梨の眉間に皺。
「おめえ、ビックリしすぎじゃね?」
「あ、いや、もっと計画的にやってんのかと思ってたから」
「明るい家族計画な」にやりとする髙梨。「いつかは欲しかったんだけどよー、ちょーっと早すぎちゃったよなー」
「産むの?」
「あいつは、産むって。おれも、そうしろっていった。親連中は猛反対してっけどな。今は毎んちおミズんち行ってるよ。おミズのお母さんは会ってくんねえけどな。まあ、大丈夫だって。なんとかなんだろ」
十七歳の父親の横顔は、あんがい頼もしく映った。ぼくはただうなずいた。髙梨はいう。
「ケンジの生まれ変わりだったりしてな」
「……」
「そうだったら、いいのにな」
〽そーだったらいーのになー、そーだったらいーのになー、と髙梨は子供の歌を口ずさみつつベンチを立つ。ぼくは思わず問いかける。
「あのさ、もし、生まれたのが男の子で、ついでにゲイだったら、どうする? 父親として」
髙梨はふりかえって、笑った。
「おれらのガキなら、かわいいに決まってんだよ」
そして髙梨は公園をでていった。別れの言葉もなかった。また会うかもしれない。もう会わないかもしれない。それはわからないけれど、あいつはきっといい父親になる。そう信じて、何が悪いというのだ。
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硝子体ふたつに混ざる空の青 少年はじき青年になる
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