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千哩(千と一の夜が明けたら)
子供時代の終りに。
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約束もしていないのにローソンの前で時間を灰にしている
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モニク・アースの弾くラヴェル《鏡》より《鐘の谷》。夜のローソン保土ヶ谷駅西口店の前で、ぼくはガードパイプに腰かけていた。
光陵高校の詰襟を着て、清水俊太がやってきた。相変わらずのふさふさ坊ちゃん刈り。背はいくらか伸びたけど、まだ一六〇センチに届かないんだという。
「ぼく、学校で小清水って呼ばれてるんだ」
「コシミズ?」
「クラスに、もうひとり清水って名字のやつがいるんだ。しかも、下の名前も似たような感じでさ。ややこしいから身長差で、ぼくは小清水、そいつは大清水ってことになった。けど、いつのまにか、そいつはただの清水に戻って、ぼくばっかりが小清水のままだ。ま、たんにそれだけのことなんだけどね」
ぼくらはおたがいの近況と、知りあいの噂を伝えあった。
海老原晋先生は、今は別の区で高校教師をしている。体育教師の奥さんの尻に敷かれていて、でも、いい意味でのチャランポランさを発揮してうまくやってるみたいだ。
元学級委員長の工藤斗南は、残念ながら榊言美とは破局してしまったそうだ。やつは大学でもサッカーを続けるという。
河合省磨のその後は知らない。ただ、河合一家ご自慢の高級マンションの耐震強度偽装が明らかになった。当然、不動産価値は大暴落、手放そうにも買手などつくまい。事実をきいたときの河合母子 の顔を想像すると笑ってしまう。
竹宮朋代は、顔をださずにインターネット上で歌手活動をしてるらしい。あの子のあの美声だ。きっと話題沸騰で、すぐ事務所からお声がかかるにちがいない。その美貌が明らかになった際には、いわんやだ。
小早川瑞乃は母親とは絶縁同然で家をでて、髙梨与一の実家に身を寄せてる。出産予定は秋。髙梨は瑞乃と相談して、赤ん坊に献持 とつけるつもりだそう。画数は完璧だ。赤ん坊の性別はまだわからないけどね。
ひとしきりしゃべって、清水は手を振った。五月の夜風。ぼくはひとりそこに座ったまま、いろんな人たちのことを思った。
うちのクソオヤジは、今のところうつ病は再発してない。仕事はうまくやれてるみたいだ。黒猫のルドルフにはめろめろで、息子のことよりも可愛がってんじゃないのってくらいだ。べつにいいけどね。
草薙為比古先生は相変わらず多忙だ。顔色が悪くて心配になるけど、忙しくしてないと亡くなった息子さんのことを考えてしまうからなんだろう。気持ちはよくわかる。
目黒秀気は理容学科卒業を控えて、お父さんの店で見習いを始めた。東京に住んでる白鳥雄飛とどうなったのかはいわないし、ぼくもわざわざきこうとは思わない。
百瀬新とは最近あまりつるまなくなった。百瀬は念願のニューハーフのお姉さん(お兄さん?)とSMごっこを楽しんでるらしい。まあ、幸せなら文句はない。
千葉透徹とは今も金曜の夜だけ会う。あの人とは、すごく相性がいい。体の相性も、気持ちの相性も。千葉の奥さんと娘さんには申しわけないけど、やめられそうにない。
芝くんが会わしてくれはったんやで、きっと、と千葉は笑った。ほら、チバとシバて似てるやんか。
もし芝賢治が生きていたら、ぼくはあの春を若気の至りと一笑に付して忘れたのかもしれない。もっと大人になってから、あいつと酒でも酌み交わして、おたがい若かったなと笑いあったかもしれない。でも、あいつは死んだ。もう二度と話すことも、目を見交わすこともできない。あいつの好きだったカレーを食べるたび、あいつに似たやつを街角で見かけるたび、会いたくなって苦しかった。あいつはぼくの魂を半分ちぎって持ってったんだと思った。
誰かかが隣に座った。亜麻色 の髪のギャル。ワイシャツの花奢なウエスト・腰を折ってミニにした制服のスカート・折れそうに細い脚にルーズソックス。その子はいう。
「久しぶり。あたし、わかる?」
少年アニメのヒロインみたいに甘い声は変わってなかった。
「菊池?」
十七歳の菊池雪央は、うなずいた。
「菊池、すんげえ変わったな」
「そこはキレイになったっていってよ」
「うん、きれいになった」ぼくは頬笑んだ。「恋人でもできた?」
菊池は化粧したベイビーフェイスで笑った。この子は、復讐に来たのだろう。
「でも、おれはあのころの菊池、すきだったよ。テディベアみたいでかわいいって思ってた」
「そういうこと、あのころいってくれたらよかったのに」
「あのころのおれ、照れ屋だったんだ」
ぼくらはひっそりと笑った。タクシーの列が入れ替わり立ち替わり流れていった。
「北浦は今どうしてる」
「おれ、留年しちゃってさ、まだ二年生なんだ。順調に人生踏みはずし中だよ」
「やだ、どうしよう」
ぼくらは顔を見あわせて笑った。あーあ、ウェンディは大人になっちゃった。ぼくばっかりがガキのまんまだ。
「芝に会いてえな」
ぼくをぱっと見やる菊池。
「あゝ、べつに死にたいって意味じゃないから。心配しないで。人は死んだら天国とか地獄に行くってふうには、おれは思ってないから。輪廻転生は信じたいけども。おれは仏教徒なの」
合掌するぼく。噴きだす菊池。黒いタクシーが一台ロータリーを通り抜けてゆく。
「芝くんは、かわいそうだったね」
「そうだな」
「でも、芝くんはしあわせだね」
菊池の、きれいな焦色 の瞳。この目だけは、あのころと変わらない。
「ここで、北浦に、ずーっと思っていてもらえるんだから」
ぼくはびっくりした。あの子はさみしげに笑って、ガードパイプから腰をあげた。
「じゃあね。元気でね」菊池は桜貝色の爪の小さな手を振った。「おやすみなさい」
「おやすみ」
亜麻色の髪の菊池は宵闇に消えていった。
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ウェンディ・モイラ・アンジェラ・ダーリング、いつかの春の造花をきみに
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東の空が白んできた。芝賢治と別れた朝から、何百回目かの夜明け。黄金 の光と、朱鷺色 の雲。何億回来ても、朝はいつでも新しかった。グローフェ《グランド・キャニオン》の《日の出》みたいだ。ぼくはひとりごちる。
「おまえが星の王子さまでさ、おれがバラの花だったんだよな。おまえは別の星へ旅にでたんだ。そう思うことにしたよ」
五十億年後に滅ぶ太陽。朝日を背に、ぼくは国道一号線を歩いた。足もとに、道しるべのように長い影。ぼくは小さな声で歌う。くるり《ワンダーフォーゲル》を。リフレイン・リフレイン・リフレイン。
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光を、もっと光を われわれのぜつぼうはもうよみあきている
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