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第11:日が昇る

 すっかりと日が暮れた頃に、やっとの思いで二人は家に着いた。  アルは腕に抱いていたレオをベッドの上へと下ろすと、ボロ切れと化した服の上から掛け布団を身体にかけてやった。  住み慣れた家と、自身とアルの匂いが染み付いた掛け布団の香りにレオはホッと息を付く。 「……レオさんの家、久しぶりだな」 「……」  ぽつりと呟かれたアルの切なげな言葉に、レオは何を言えばいいのかわからずただ黙る他なかった。  しん、と部屋の中が静まり返る。  互いに何と言葉をかければいいのか検討にあぐねていると、ふとレオが静かな空気をやんわりと壊すかのようにそっと呟き出した。 「……あの、アル……僕、君に謝らなきゃ」 「……何を? レオさんが俺に謝る事なんて、何もないじゃないですか。アンタは何も悪くない。むしろ被害者だ」  好きな人から嫌われたくなかっただけであるのに裏切り者と突き放され、挙げ句に暴君どもに捕まりレイプ寸前にまで至らされてしまい、最後は殺されかけるなぞ、被害者以外の何者でもない。  それでもレオは、いまだに自分が悪いと思い込んでいる。その健気さが、却って人を傷つけている事になっているなどとは露ほども感じていないのであろう。  紫暗の瞳から涙が今にも溢れそうになり、慌てて俯き誤魔化すレオの頬がアルの大きな手のひらでそっと包み込まれる。  暖かな手のひらの体温に甘えるかのように僅かにすり寄るレオを慈しむかのような瞳で見つめながら、アルは目の前の形のいい耳元に囁いた。 「……ごめん、助けるのが遅くなって。怖かったでしょ」 「……ううん。助けてくれて、ありがとう」  ふるふると弱く首を横に振るレオのその姿に、アルの心はますます冷水を浴びたかのようにキュッと縮こまってしまう。  自身はレオに対して、許されない事をしてしまった。  レオの事情を知らなかったとはいえ、「裏切り者」と罵り、自分の身勝手な振る舞いで愛する人の心を抉ってしまった。 「……俺、アンタに最低な事しちまった」  後悔と懺悔の思いを一心に込めて、アルはレオへと己の愚かさを語り出した。 「深い事情を知ろうともせず、自分の復讐のためだけに突っ走って、レオさんの話も全然聞かずに「裏切りやがって」って突き放して……龍から両親の死の真相と、アンタが今でも俺の事を大切に想ってくれている事、そんで屋敷で酷い目に合わされそうになってる事を聞かされて、やっと目が覚めたんだ」  ぽた。ぽた。  黒曜石のような瞳から次々に溢れ出す雫は小麦色の頬を伝い、白いシーツに吸収され行く。 「……両親を殺したのは、龍じゃなかった。全部、村長が仕組んでた事だった。アイツ、龍を讃えてる振りをしながら、陰で献金や供物を横領したり横流ししててさ……それを偶然知った両親が、口封じのために……俺のしてきた事って、何の意味もなかったんだ……」  そう。己は最初から、何の意味もない修行をし、何の意味もない志を掲げ、何の意味もなくその人生を過ごしてきたのだ。  そしてその元凶を見破る事もできずに、自身の思惑通りに事が運ばなければ癇癪を起こして想い人に当たり散らすばかり。  想いをすべて吐き出した事により涙腺が崩壊してしまったのか。  気づけばアルの瞳からは先ほどとは比べ物にならないくらいの数多の雫が流れ落ち、その場で崩れ落ちてしまう。 「っ……!ぅっ……!」 「……辛かっただろ? よく頑張ってきたね。君が一番辛かっただろう時に、寄り添ってあげられなかった、ごめん。そして、今までずっと君を騙して傷つけた事も、ごめんね」  しゃがみ込んでしまったアルの背中を優しく擦りながら、レオは最大級の慈しみを込めた瞳をアルへと真っ直ぐに向ける。  絹のような銀色の長い睫毛が、瞬きをする度に羽ばたく鳥の羽のような美しさを帯びている様を霞んだ目で見ながら、アルは呆然と口を開く。 「……んで……」  微かに響くその声色にレオが首を傾げるな否や、突如としてアルは涙を散らしながらレオへと詰め寄った。 「なんでっ……! 俺がアンタを傷つけたのに! 今までの事だって、一番傷ついて頑張ってきたのはレオさんの方だろ!? なのになんで、俺なんかにそんな優しい言葉をかけてくれんだよ!? なんで一番欲しい言葉をくれるんだよ!? 同情か!? 憐れみか!? アンタはいっつも人の事を優先するけどさ、自分の意思とかはないのかよ!?」  気持ちが昂りすぎて、思わずレオに強い言葉をぶつけてしまい、アルははっと我に返る。  八つ当たりをするつもりはなかった。しかし、混乱するばかりである頭では、感情が理解に追い付かず身勝手な事ばかりをしてしまう事に、アルは途端に後悔の念に苛まれた。 「ちがっ……こんな事言いたいわけじゃ……ご、め……」  自分自身の不甲斐なさに頭を抱え、|頭《かぶり》を激しく振るアルの黒い髪の毛に、華奢な白い手がそっと触れるのを感じた。  ピクッと肩を僅かに震えさせたアルがおずおずと顔を上げれば、目の前には今にも涙を溢しそうにこちらを見つめるレオの顔が間近にあった。 「……アルが……アルチュールが、好きだから」  レオが喉から振り絞るかのように伝えたその言葉に、アルは呆然と目を大きく見開く。  紅く色づく薄い唇が僅かに震えるその様から、どれほどまでに緊張し、そしてどれほどまでに勇気を出して伝えてくれたのかが痛いほどに伝わってきた。  突然の告白にただただ驚愕で硬直するアルに対し、レオは震える声で懸命に想いの丈をぶつけていく。  「僕だって、自分の意思くらいあるよ。だからさっきの言葉も、今から話す事も、全部全部僕自身の想いそのものだ」  そう一旦言い終えると、レオは緊張を解くかのように深いため息を一つ吐き、溢れそうな涙の膜をそのままに語りを続けた。 「実の両親からも村人全員からも愛されず、ただ搾取され続けるだけだった僕を、君は心から愛し、慈しんでくれた。僕に、愛される事の喜びと愛する事の尊さを教えてくれた。そんな人の事を、自分よりも優先したいなって思うのは当然の事だろ?」  愛されるを知らず、愛する事を知らずに生きてきた人生。  温もりなどを与えてくれる人は誰もいなかった。ただこの身体とこの血を搾取され続け、道具のように扱われる事でしか存在意義を示せなかった。  しかしそんな自身を、アルは何の見返りも求めずに愛してくれた。真っ直ぐに愛をぶつけられ、愛される事の喜びと愛する事の尊さを、アルは全部教えてくれた。  そんな人を好きにならないなど、あり得ない事であった。 「……綺麗事みたいになっちゃうけど、君の幸せが僕の幸せなんだと、思ってた……思ってたのになぁ……」  そう言いながら、レオはついに溢れ出しそうになっていた涙を幾度にも渡って流し始める。  白い頬の上を流れ行く、水晶のように透き通ったその雫は、幻想的な美しさを携えていた。  その涙を拭う事はせず、レオはくしゃっと顔を歪めながら思いの丈をすべてアルにぶつけていった。 「……やっぱり、またアルに愛してほしいって……! わ、わがままだけどっ……君の幸せの糧に、僕がなりたいだなんてっ……あ、浅ましくて傲慢だけど……!」  本気で愛した人を、本当の意味で手に入れたい。  たとえそれが、悲劇的な結末になろうとも。  そんな身勝手な欲望を抱いてしまう自分自身に嫌悪感を抱きながらも、レオは懸命に本当の想いを訴え続けた。 「……僕といる事で君が不幸になったとしても、それでもずっとずっと傍にいてほしいなんて……思ってしまった……ごめん、ごめんね」  一緒に、不幸になってほしい。  傲慢なその想いを受け入れられずとも、堪えきれない心はついにすべてを相手にぶつけてしまった。  ほろほろと流れ行く涙の粒が、真っ白なシーツの上を濡らしていく様が酷く滑稽に映る。  時折レオが嗚咽を漏らす音が聞こえてくる事以外の時間、長いようで短いような沈黙が二人を包み込んだ。  ふと、その沈黙を破るかのように、アルは目の前で小さく震えながら泣き続けるレオの身体を正面からそっと抱き締める。  ビクッと肩を揺らすレオを安心させるかのように華奢な背中を擦りながら、アルは努めて優しく囁き出した。 「……俺は、レオさんと一生一緒にいられれば、本当に何もいらない。復讐しかなかった棘だらけの俺の中に、アンタは優しさや温もりを与えてくれた。レオさんの存在が、俺の中の棘を一本いっぽん抜いて、その隙間を埋めてくれたんだ」  ドス黒く染まった心の中を、レオという存在が温め、溶かしていってくれた。レオという存在が、アルの刺にまみれた心を根こそぎ奪っていってくれた。  レオの涙に濡れた顔を自身の胸に抱き込みながら、アルは言葉を紡ぎ続ける。 「……たくさん傷つけてごめん。突き放してごめん。そんで、これから我が儘を言わせてもらう事も先に謝っとく。ごめん」  こんなちんけな謝罪で、到底すべてを許してもらえるなどとは思っていない。  それでも、レオという存在をアルは一生手放せなくなってしまった。もうこの手から逃さないよう、アルはレオに最大級の|愛《呪詛》をぶつけていく。 「……一生、俺の隣にいてください。どんな事があっても、ずっと手を繋いで俺と一緒に人生を歩いてください」  アルの言葉が言い終わるか終わらないかのうちに、レオの紫暗の瞳からはとめどなく透き通った雫が溢れていく。  そしてそのままアルの大きな背中に腕を回し、もう離さないとでも言うかのように力強く抱き締めた。  今度こそ、本当に愛する人と結ばれる事ができた。  今までの凄惨な人生を覆すかのように自身の元へとやってきてくれたこの|最愛の人《ヒーロー》を、二度と失わないようにレオは渾身の力を込めてその逞しい身体にすがり付く。 「……うんっ……!うんっ……!当たり前だよっ……!」  嗚咽交じりで拙い答えになってしまったが、それだけでもアルの心は幸せで満ち足りていく。  すれ違ったり突き放したり、酷い事ばかりしてきてしまっても尚、自身を求めてくれるレオへアルは心からの想いを乗せて言葉を紡いだ。 「……愛してます、レオさん」  アルの最大級の恋情が籠ったその告白に、レオもまた花が咲くような美しい笑みを浮かべて同じように囁くのであった。 「……僕も、アルが好き」

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